雨の日曜日になったが、それもつかの間で、午前中は曇ったまんま。午後からは晴れてきたが、夕方にはまたも小雨が降ってきた。今日の日曜日は何の予定もない。
この土日には、運動会やらおまつりやら各種イベントが予定されていたのだろうが、午後からはなんとかこなせたはず。
暑さ寒さも彼岸まで・・とは言うのだろうが、午後からは蒸し暑いかなぁと思ったけれど、気温は18度から25度とまり。湿度は66%から90%とやや高め。
昨日は白いリコリスを紹介したが、これは黄色いリコリス。ヒガンバナのようにも見えるが花びらの形が違う。「ショウキズイセン」という呼び方もあるそうな。
こちらがみろく公園の白いリコリス。
こちらが昨日の紫のリコリス。
で、今日のお昼はここになった。さぬき市志度にある「亀城庵・志度店」セルフのお店である。
今日は・・・久々に「肉うどん小」で390円。それにチクワ天を乗せて490円。少しばかり高くなったな。それにネギが少なめというか、下敷きになってしまった。ここのチクワ天、少しばかり硬いなぁと感じた。気分的な問題かもしれないが・・・。
そう言えば、あちらこちらでおまつりの準備や獅子舞を見た。それだし、明日が「社日」なもので、「地神さん」の秋祭りをやっているところもあった。うちの集落は明日の25日の15時からだが、平日ではお仕事があるというので、今日に繰り上げてのところもあったように聞く。それぞれに忙しい秋が始まっている。
今日はお彼岸の日曜日ということもあって、来客がひっきりなし・・・。お墓参りやらお仏壇参りの人たちが・・・。けいこばぁはその応対で日が暮れる。
今日の掲示板はこれ。この言葉は仏典に出てくるお釈迦様のお言葉である。
あるところにキサーゴータミーという女性がいた。彼女は幼い一人息子を亡くして悲しみにくれており、愛する息子をなんとか生き返らせたいとお釈迦様のもとを訪ねて生き返らす薬をお願いにきた。お釈迦様は「ケシの実を持ってきたら薬を作るけれど、ただし、そのケシの実は誰も死者の出ていない家からもらってくるように」と言われたのである。
キサーゴータミーは急いでケシの実をもらいに街に出るが、けれども、街中の家を回って尋ねても、死者の出ていない家は一軒もなかった・・・。
キサーゴータミーは、どこの家にも死があり愛する人との別れがある事に気づかされた。死は生きる者誰もが逃れることのできない事だと知り、生死という根本問題を自分自身の事としても向き合った彼女は、出家して生死を超えた仏の悟りの世界を求めることとなった。
そんな彼女にお釈迦様は次の詩を送られた。
「不死の境地(彼岸)を見ることなしに 百年間も生きるより
たとえ刹那(一日)の生であれ 不死の境地(彼岸)を見られれば
これより勝ることはない」 『ダンマパダ・アッタカター』
生死輪廻(しょうじりんね)の苦しみを超えた悟りの世界を求めることが、本当の苦しみの問題を解決する事であると教えてくださっているのである。
私達は日頃「生」と「死」という根本的な問題を後回しにしてその日暮らしをしているもの。キサーゴータミーが愛する息子の死を通して自分自身の問題として気づかされたように、お彼岸を機縁としてお仏壇やお墓に手を合せ、改めて「生死」の問題を自分の問題としてしっかり向き合い、仏様の教えを聞かせていただきたいと思うことである。合掌
じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。