暑さ寒さも彼岸まで・・・というように午前中は秋らしいすばらしい土曜日になった。
で、今日は所属寺院での「秋季永代経法要」のお勤めがあるので、兄弟子に誘われてお寺に出勤することになった。いや、誘われなくても行くのだけれど、今回はいやに兄弟子が誘うものだから・・・。
その前に腹をおこしておかねば・・と町内のうどん屋に寄った。説明するまでもなく。こういうお店だ。ここは朝の7時から営業しているのがうれしいし、まさにうまくて安くて早い・・・。
今日はわかめうどんのみ。ネギの刻み方がぞんざいだなぁと思った。240円。これでパワーをつけてご出勤。
その前に、「小砂(こざれ)説教所」に寄って、庄松(しょうま)同行のお墓にお参りしてきた。庄松さんは「おらは墓の下にはおらんぞ」と言うたけれど、大正時代になって、後世の人が同行を敬って石碑を建てたもの。ま、善し悪しではあるが、記念碑みたいなものだ。
これが「小砂(こざれ)説教所の全景。少し前までは、この地区の集会場としても使われていたが、近年、あたらしい集会場が建てられている。ここは「庄松講本部」という呼び名もある。
一方、これがうちのお寺で、「海暁山海暁閣勝覚寺」という。境内の松の葉っぱが黄色い。でも、松枯れではないという。単に夏場に「日焼けした」というのだけれど・・・。
この人が有名な「庄松同行」という「妙好人:みょうこうにん」の一人。ま、熱心な念仏行者、妙好人とは、浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語である。
これはお昼の「おとき:食事」。出勤僧侶やお手伝いさんのお弁当ということになる。少し前まではご婦人方のお料理だったが、今はお弁当になっている。
法要は13時から。私は・・・大太鼓の左手にいる。仏説阿弥陀経と現世利益和讃。
これは内陣出勤の方々・・・。中央がこの寺の社長・・・住職の「明海」師。奥にいるのが近隣のお寺からの出勤僧侶の方々。住職は七条袈裟で、そのほかは五条袈裟を着用している。
法要の後は「ご法話」いわゆる・・お説教。今ではお説教という言葉は聞かなくなった。
高松の専光寺の住職、佐々木安徳先生の「私のたからもの」というご法話だった。私が得度を受けるときに「教団概説」の講義をされた方。私と年齢が似ているのかな、なんか、話題も趣味も共通してるなぁと思った。
今日の掲示板はこれ。というても、お寺のカレンダーにあった言葉。これも昨日の「東井義雄」先生のお言葉・・・。「この私が、いまここにいる・・・ということが、最高の不思議なことである」というのである。メダカに生まれても、ムカデに生まれても仕方のないいのち。雑草に生まれても、ススキに生まれても仕方のないいのち。それが人間として、今、ここに生きていることの不思議さと、「あり得ない=有り難い」いのち・・・。感謝しなくては・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。