まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

柔らかき 福栄のお湯の ゆず湯かな

2009年04月02日 | 自然
 今日も肌寒い風が吹き流れて・・・、一歩も屋外には出られなかった・・・。

 風の冷たさが・・・喉に響いて・・・呼吸困難に陥ってしまうからだ・・。今になっても未だに・・・この風の冷たさがこたえてしまっている・・。

 

 四月になっても・・・この寒さは・・どうしたことだろうか・・。

 それだし・・四月にもなって・・、これくらいの寒さで震えているなんて・・、どうしたことだろうか。隣の80歳にもなるオジサンは・・・トラクターに打ちまたがって・・田圃を耕しているし、孫たちは寒さもものとはせずに・・公園で遊びまわっていたし・・。私だけが・・寒さに震えているものなんだろうか・・。

 

 ETCを搭載した普通車は・・どこまでも走っても千円だというもうもので・・、これからが毎日が日曜日になるものだから・・、連休前に・・今治から・・・しまなみ海道を回って・・・中国自動車道経由で・・三木から・・淡路島経由で戻って来ようと・・・計画はしたのだけれど・・。それまでに・・健康が回復するのかが・・大きな疑問・・・。

 途中で・・・呼吸困難になって・・・橋げたに激突しても・・意味ないしなぁ・・とか。

 それまでには・・元気になっておきたいしなぁ・・とかと。

 

 松山自動車道の・・・小松インターまでは・・何度も通っているのだけれど、そこから・・・しまなみ海道に入って・・・大島の高龍寺に立ち寄ったり・・大島を見学して回ったり・・・、お寺で泊めてもらってもいいかなぁと思ったり・・。

 あと・・大三島にも立ち寄ったりして・・。

 生口島ほかの島々を巡って歩いて・・・。あとは・・山陽自動車道を経て・・・倉敷から・・・瀬戸中央道を回ってきたら・・・、いくらぐらいになるんだろうかなぁと。それでも・・千円になるんだろうか・・・。何泊ぐらいになるんだろうか・・・などと・・、とらぬ狸の皮算用・・・。

 

 午後から・・・会社の人たちがやってきて・・、餞別を渡してくれた・・・。課長と課長代理と・・主査の三人がわざわざ・・我が家にまでやってきてくれて、お見舞いかたがた・・餞別だ・・。

 本来ならば・・・送別会とか・・離任式とか・・朝のミーティングほかで手渡される・・餞別だが・・、それらに出席できなかったことで・・わざわざ・・自宅にまで届けてくれた・・。

 でも・・・、これを頂いたことで・・・、あ・・会社ともすっかりと縁が切れたのだなぁと思った・・。もう、これで・・あの会社ともお別れなんだなんだなと思った・・・。

 

 あっさりと・・未練もなく・・というか、訳の分らぬままに・・・退職という時期を迎えてしまったことは・・、シャイな私にすれば・・・好都合な・・・入退院という理由で・・・公式行事をすっぱかしてしまったような印象さえあるが・・。

 それだし・・おもはゆい・・・全社員の前でのあいさつとか・・・職場を巡っての・・・退職挨拶とかを・・・入退院という理由で・・・うまく切り抜けたというような・・・・印象も・・・考えてみたり・・。

 ま・・なにはともあれ・・・、一つの大きな峠は越えてしまったんだなぁという印象を感じたことだった・・・。もう・・、元には戻れない峠を・・・越えてしまったんだなぁとか・・・。

じゃぁ、また。明日、会えるといいね。





空と地に 梯子かけての 花吹雪

2009年04月01日 | 自然
 四月一日になった・・・。

 早くも・・・一年のうちの三か月が過ぎて・・・90日ほどが過ぎてしまった勘定になる・・・。あっという間の三か月だったなぁ・・。そのうちの・・・30日を・・・病院で過ごしてしまった計算になる・・・。

 年賀状を書いて・・・お正月を過ごしたのが・・・まるで昨日のことのように思えてならない・・・。人生は・・・あっという間なんだかねぇ・・。

 

 今日のニュースで・・・東京都庁とか大阪府庁の入社式の様子を眺めているようで・・・そんなにも注目もしていなかったけれど・・。確かに・・ああいう・・入社式があったような気がする・・・。

 あの頃には・・・何千人という社員が入社したような気がする。もっとも・・それは・・神戸市内だけの入社式であったのだろうけれども・・。昔は・・神戸都市管理部・・・なんて組織があって、そこで盛大な入社式が行われたような気がするのだけれど・・。

 あれから・・42年か・・・。仕事の流れも・・技術革新も大きな潮流となって流れて・・・渦巻いて・・・。

 

 まさかねぇ・・・、電話機がなくなるなんてねぇ・・。今じゃ携帯電話ばかりだもの・・・。そういう・・情報革新の波は・・確かに実感させられたと思うよ・・。

 黒電話から・・カラー電話機になったし、プッシュホンというものが現われて・・・は消えて・・・。ファクシミリが事務の流れを大きく変えたし・・やがてには・・インターネットだ。添付ファイルで・・・ファクシミリがなくても困ることはなくなった・・。

 40年昔には・・、磁石式という電話機があって、ハンドルを回すと交換手が出て・・・「31番に頼む・・」とかいうと・・・電話回線が結ばれて話ができた。

 裸線という・・・銅線が・・電柱から電柱に張りめぐされていて・・、雪が降ると・・、その銅線に雪のスリーブが巻きついて・・・重みで切れて断線になった。それの修理に追い回されたこともあった・・・。

 銅線だけじゃなくて・・、家庭の引き込み線までもが・・雪の重みで切れたものやったなぁ・・。

 昔は・・・雪がどんどんと降ったからねぇ・・。今じゃうそみたいな冬になったけれど・・。

 汗と・・・涙と・・・雪解け水で・・ぐちゃぐちゃになって・・故障修理に追われたものやったねぇ・・。

 

 あ、そうそう・・雨が降ると・・故障続きになって・・、竹を組んだ竹梯子を背中にかついで・・・田圃の中や・・クリ畑のなかを歩いたものやった・・・。今のような重機や機械がない時代やったからねぇ・・。

 そんな・・・想いが・・走馬灯のように浮かんでは消えていくなぁ・・。

 40年という年月は・・・大きな社会の流れでもあったし・・潮流であったような気がするなぁ・・。

 ま・・、楽しいことも・・ばかばかしいこともあったし、飲んで騒いで・・・みたいなこともあったし・・・。

 

 ま・・語りつくせない・・・思い出ばかりが凝縮したような・・そんな生きざまではあったのかなぁ・・。

 ま・・、いつかは・・ゆっくりと振り返ってみるのもいいものかも知れないけれど・・。

じゃぁ、また。

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