少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

プレゼントについて

2005-05-19 22:10:03 | 哲学
最近よく人に写真をプレゼントする。かわいらしい花の写真をもらって怒る人はまずいない。

だが、なぜ私は人にプレゼントをするのだろうか。

お近づきの印?それとも感謝の気持ち?

それもある。たしかにある。

でも、一番根っこにはモノをあげることでごまかそうとしている卑しい心がどこかにあるような気がしてならない。

本当にそういう卑しい心がないのなら、モノなどあげなくてもいいはずだ。

僕はモノの力を借りて何かをごまかそうとしているのだ。

プレゼントをあげることで、相手の心に隙を生ませる。そのことを僕は全く意図していないとは言いがたい。

完璧な善意。そんなものはありはしない。でも、それでも僕は写真をプレゼントし続けるのだ。

なぜ?。。。そういう運命になっているとしか言いようがないのかも知れない。

策を弄する

2005-05-18 23:08:38 | 哲学
最近不思議な感覚に襲われることがある。

何かを一生懸命に考える。あーでもないコーでもないと考える。いつまでたっても答えは出ない。

でも、そんな時フッと、これしかないと思える方向が目の前に開けてくるのだ。そういう時は必ず、これから起こることに身を任せようという気分になる。そう占いみたいなものだ。

人事を尽くして天命を待つという言葉がある。その感覚だ。

もうやることはやった。あとはその結果を受け入れるだけ。

そういう時、自らの気持ちに私心があってはならない。損得で考えると必ず迷いが出る。

そうではなくて天が与えた道を素直に見据える気持ちといえば良いだろうか。

松下幸之助の本にあった。策を弄するなと。

小ざかしいテクニックで一儲けみたいなことは、長期的は必ず失敗するとも。

いろんなことに適用できる金言だと思う。

人の言葉に耳を傾けること

2005-05-17 22:15:05 | 哲学
人の言葉に耳を傾けること。それが大切なことは言うまでもない。

特に実績もある人からの意見なら、だれでもその言葉に耳を傾けるだろう。

でも、人の言葉に耳を傾けるとき、むしろ自分の意見と違う意見に注意を払うことが大切だと思う。

自分の意見と違う言葉には、何か自分が知らない意味がそこには隠されているはずだ。

いつも気に入らない人の話なんていうのは、聞くだけ無駄だと思うのも無理はない。

でも、そんな人の言葉の中にだって何らかの意味がある。そう思って聞くことが大切だ。

自分の意識の外にある何かが、そこにはあるに違いない。イヤ、あると思ったときに、突然その言葉は意味を帯びてくる。

写真も同じだと思う。上達は、上手くいかないことを見つけることが全てといってもいい。上手くいかないことの理由を考える。いつもやっていることだ。

モニタテレビ購入

2005-05-17 19:17:31 | 天体観測
望遠鏡の映像を素人さんに見せるためにエレクトロニックアイピースを買った。でもこれだけでは絵にならないので、カシオの2.3型のポケットテレビを秋葉原で買ってきた。2.3型で値段は5980円。それでも一応カラーである。

ビデオ信号用のケーブルが800円ほどした。アイピースとあわせて、なんだかんだで10000円くらいはかかっただろうか。

昨日はちょっとだけ月を見てみた。コントラストの調整が少し微妙だが、一応映像は確認した。

土星ぐらいが写ってくれると良いんだけど。どうかなあ。

そのうち子供天体観望会をやることにしよう。資料もつくらないとね。

ものの値段

2005-05-16 22:50:16 | その他
製品の値段というのはどうやって決まるのだろう。

市場原理?それだけだろうか。

製品が世の中にはじめて出たときは、誰もその適正な値段が分からない。だから、とんでもない高い値段になることもあれば、哀れなくらい安くなることもある。

しかし、その製品が社会において多くの人から求められると、その値段は高くなっていく。

逆に、あまり欲しい人がいなければ値段をディスカウントするしか売る方法はない。

そして、需要と供給のバランスによって適正な価格に収まっていく。これが市場原理である。

しかし、実際には一旦決めた値段を後からあげることは非常に難しい。したがって、厳密な意味の市場原理は働かないのである。

だからモノの値段は普通高めに設定されてマーケティングが始まる。そして市場の要求によって値段は次第に下がっていく。

しかし、ある値段を下回ると、そのビジネスにかかわっている人が金銭的な恩恵を受けられなくなってくる。

それでも、市場は値段を下げる力を弱めないと、どうなるのだろう。

最後にはそのビジネスを誰も実行することが出来なくなって、その製品は市場から姿を消してしまうのだ。

結局、その製品を作ろうと思った人がどのくらい市場の値下げ圧力に耐えられるかが鍵となる。売れなくても値段を下げないという我慢の力だ。

その力を継続するためには、メーカーがその製品の価値を疑わないことが大切だ。その一点が揺らいだら値段はどこまでも下がっていってしまう。

結局、ものの値段というのは、それを作った人の心の強さによって決まるということになるのだろう。


何かを成し遂げる方法

2005-05-16 22:26:04 | 哲学
何かにチャレンジするとき、どんな方法をとるか。

それは人によって、そしてその事柄によって様々だろう。

でも、僕は成し遂げようとすることがなんであろうと、その方法論にはセオリーがあるように思う。

成し遂げたい事柄と、今自分のいる場所をループの上の2点と考えてみるといい。

自分のいる場所となしとげたいことの距離が、その難易度とする。

もちろん、両者はループの上にあるのだから、ゴールに到達する方法は2つある。近い方と遠い方だ。

どちらを通っていく方が良いか。それは勿論近い方に決まっている。

でも人生において人は、そのループのどっちに回っているかを知ることが出来ない場合が多い。

だから、辛く長い道を歩むことになってしまうのだ。

でも、良く考えてみるとゴールへの道が遠いということは、反対に向かえばゴールは、もうすぐそこにあることになる。

何か困難を成し遂げようとするとき、ま反対に向かってみよう。きっとゴールはもうすぐそこにあるのだ。

途中で引き返してはいけない。決して。成功を信じて疑わない精神力が必要だ。

標準現像時間

2005-05-15 20:24:02 | 写真
最短時間最大濃度の実験で、印画紙焼付けの標準露出時間(キャビネ)を絞りF16で4ないし5秒と決めた。キリが良いので5秒としよう。

この条件でフィルム:フジネオパン400プレストをフィルムスピードを200として18%グレーカードを-5段からプラス4段まで絞りを変化させて撮影した。これをいつもの条件で現像し、標準露出時間で印画紙に焼き付けた。

その結果は、ゾーン1(マイナス4段)でホンのわずかにトーンが認められたことから、フィルムスピードは大体200でOKとなったが、ハイライト部分に少し問題が残った。ゾーン7(プラス2段)まではわずかにトーンが認められるがゾーン8では完全に真っ白になってしまった。

これは、ハイライト部分のネガが濃すぎて印画紙に当たる光が足りないためにこのような結果になっているはずである。つまり、もう少し現像時間を短くすればネガの濃い部分が薄くなって透過する光の量が多くなり、結果的にハイライト部分が描写されるようになるはずだ。

今やっている現像条件は

フジ プロトールスタンダード 1:1 温度:22.0度 8分(1分攪拌後30秒ごとに7秒攪拌)

これは、フィルムに書かれている標準的な現像時間よりかなり長い。次は1分くらい現像時間を短くして見ることにしよう。この処理によってゾーン8までトーンが得られれば、これが標準現像時間ということになる。

現在の条件で普通に撮った写真の焼付けをすると、F11で4,5秒くらいで適正になる。これはハイライト部のネガが濃すぎるために焼付けの露光時間を長くしなければならないために、このような結果になっていると考えられる。この時は、シャドー部が露出オーバーでつぶれてしまっているはずであり、現像時間の短縮によって、その問題が解決されるといいんだけど。

karipeeさんのサイト(http://www.tokyo-photo.net/index.html)に書いてある

>シャドウ側の端を基点として設定感度を定め、ハイライト側にどこまで伸ばすかを現像時間で調整>するわけです。この事を表す「シャドウのために露光し、ハイライトのために現像する」という言>葉が古くからあり、アダムスも著書「ザ・ネガティブ」の中で引用しています。初心者に言って聞>かせると通っぽく見えるので、覚えておくといいかも知れません。

という話。全くその通りですね。勉強になります。

ネガ濃度

2005-05-14 22:46:52 | 写真
最短時間最大濃度の実験で、ス抜けネガが真っ黒になる条件を求めた。ただ、黒い色のかすかな違いを識別するのはかなりむずかしい。

ただ、スヌケのネガの隣にあった被写体の映像を見るとF11の4秒では明らかにオーバーになっていることに気がついた。そのあたりの状況も考慮に入れてもう一度良く印画紙を観察してみると、大体F16で4秒くらいがいいところではないかと思う。

そう思って少し前にいいプリントが出来たなあと思った作品のプリント条件を見返してみたらF11、6.5秒でフィルターが1.5号だった。

最近のプリントではF11で4秒くらいが多いのだが、そういえば全体的に暗い感じのプリントになってしまっていた。どうもハイライトがさえないのだ。もしかすると撮影のときに露出をかけすぎたのではないかと思う。撮影のときの条件をもう一段くらい露出を減らす方向で撮ってみようと思う。

エレクトロニックアイピース

2005-05-14 21:43:56 | 天体観測
望遠鏡は普通、接眼レンズを通して見る。でも、これを近所の子供たちに見せようとするとなかなか上手くいかない。どうもどこに目のピントを合わせていいかが分からないらしい。

これは子供だけではなくて、おばさんとかに見せてあげても同じようなことが起こる。時にはレンズに写った自分の目を見てビックリする人もいる。

他の人に星を見せてあげることが目的で天体観測をやっているわけではないが、子供たちに星見の楽しさを知ってもらいたい気持ちもある。

ということでミードというアメリカのメーカーから発売されているエレクトロニックアイピースなるものを買った。ネットで調べて3000円程だった。接眼レンズをつける要領でこのアイピースをつけるとその映像がテレビに映るというシロモノだ。もちろん、淡い星雲を撮影するような本格的な撮影が出来るわけはない。月や惑星くらいがちゃんと写ればいいと思っている。

一応動作することは確認したが、写すモニタがない。秋葉原に行ってモノクロのモニタを探すことにした。今のところ6000円くらいで小さな携帯テレビを発見している。どっかに安いテレビがないかあ。

養老 孟司について

2005-05-14 12:42:35 | その他
心療内科の先生と話をしたとき、脳の分野で有名な養老先生の評判は、その分野ではすこぶる悪いという話をきいた。彼の論を専門家の間で支持する人はほとんどいないのだという。

ある対談で、どこかの研究機関のトップの著名な先生が養老先生の説を批判したとき、それに養老先生は答えられなかったという。大体有名な大学の名誉教授なんていうのは、老害以外のものではないということだという。

でも、僕は養老先生はなかなかすごいなあと思った。きっと彼への批判に対して言い返すことも出来たに違いないのに、彼はあえてそれをしなかったのだと思う。あれだけ本を出版し、テレビに出れば、研究者からはバッシングを受けるだろう。そんなことが分からないわけはない。

でも、彼はそれを続けている。名誉や金にはもう不自由しないだろうに、あえて彼はそれを続けている。彼の本当の理由を僕は知らないけど、その精神力の強さは、半端なものではない。