少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

効率的な組織

2005-05-12 23:03:25 | その他
こう不景気が続くと、どこの会社もリストラというのをやる。要するに採算の悪い事業からは撤退し、効率の悪い組織からは無駄をなくしていく。まあ、至極ごもっともな戦略だ。

で、大体バブルの頃に作った仕組みというのは無駄の塊のようなものだから、リストラをすると会社の業績はよくなったように見える。いや、確かに数字の上からは、よくなる。そういうことをした経営者は世間から名君ともてはやされる。

しかし、そこでちょっと考えてみよう。リストラして効率の良くなった組織って一体何なんだろう。コストの安いアウトソーシングを使った残りの組織って一体何なんだろう。効率の良い組織というのは無駄がない。無駄がないということは、脂肪のない体のようなものだ。骨と皮しかない。

全ての仕事を外部のプロに頼んでしまった会社っていうのは、素人の集まりである。素人の集まりに人はお金を払わないのではないだろうか。そう思って見ると、リストラをして身軽になった会社は、確かに無駄なお金は使わなくなった分利益は出るが、新たに何かを生み出すことによる新たな成長という点においてはきわめて活性が乏しくなる場合が多いような気がする。

良く付加価値というが、一体価値とは何だろう。人がお金を払う価値とは。もしかしたら価値というのは無駄と同じことなのかも知れない気がしてきた。例えば芸術家の絵を見てみればいい。絵はなんの役に立つというのだろう。何の役にも立ちはしない。しかし、ゴッホの絵は何億円もの価値がある。役に立たなければ役に立たないほど、そのものの価値は高まるに違いない。

何も交際費を湯水のように使って仕事をするのがいいというつもりはさらさらないが、効率をどこまでも追求し、選択と集中の名のもとに枝を切り捨てていった後に残るものが、果たしていいものなのかどうか、まじめに考えないと大変なことになりそうな気がしてならない。

ちょっとまじめなおはなしでした。

精神病と人類の文化

2005-05-11 23:29:02 | 哲学
さっき読み終えた本によると、人類(ホモ・サピエンス)が高等な文化を持つようになったのは、その祖先が突然変異によって精神病を発生するようになったからだという。確かに、文化的な偉業を成し遂げた芸術家や科学者の家系には精神病を病む者が多いのだという。

その理論の是非はどうか知らないが、何かプラスのものを生み出すためには必ずマイナスも伴う必要があるというのは、世の習いのような気はする。真空の中から電子と陽電子が生まれ、またそれが結合して真空に帰っていくように。

私たちの世界にとっては、電子がリアルな存在だが、それは私たちの勝手な都合に過ぎないのかもしれない。電子と陽電子のどっちが上か下かなんて誰にも決められはしない。

天才と精神病患者だって同じかもしれないなあと思う。どっちが正しくてどっちが間違っているのか。それは、私たちの勝手な判断に過ぎない。余計なお世話というものかもしれない。

でも、それでも私たちは芸術を愛し、病気の人を少しでも減らそうと努力する。そのことに意味がると信じて。二つの素粒子は、それらが存在できるわずかな時間の後に何の形跡も残さず消えていってしまう運命にあるにもかかわらず、様々な物質を作り出す。ほんの一時咲き誇って散っていく花のように。そこに私たちは美しさを感じるのだ。

浜崎あゆみ

2005-05-09 23:24:18 | その他
最近のマイブームである。電車の中ではほとんどは浜崎あゆみのCDを聞いている。

最初にいいなあと思ったのは去年の紅白だかレコード大賞だかで歌っていたのを見たときだ。すごい迫力にもうちょっとで涙がちょちょぎれそうになった。その時の歌Momentsの歌詞がすごく良かった。

擦り切れるほど(?)その曲の入ったアルバムMY STORYを聞いた。今はツタヤで借りてきたRAINBOWを聞いている。

いいおじさんの聞く曲じゃあないのかもしれないが、いいものはいい。音楽は僕の創造力の源だ。音楽なしでは生きていけない。ッてーほどでもないかもしれないけど。

最短時間最大濃度

2005-05-08 15:27:55 | 写真
先日実験に失敗した最短時間最大濃度について再度チャレンジした。

今回は、

印画紙現像液:プロトールスタンダード:水=1:2
印画紙:フジ・レンブラント
拡大メモリ:9.4(いつもキャビネで使っているサイズ)
フィルム*フジ ネオパン400プレスト
フィルター:2号

で、スヌケのフィルムの部分がどのくらいで真っ黒になるかを実験した。

その結果は、やはり以前と同じF22,8秒程度になった。しかし、良く見るとF16,8秒くらいのような気もする。なにぶん黒と黒のほんのわずかな差を比べているので、見るほうの気分で絞り一段位はぶれてしまう。

明らかにF22,6秒よりは長いということは明らかだが、その先は結構微妙なのだ。
最近のネガフィルムを焼き付けるときの標準的な条件がF11,4秒くらいなことからすると、実験結果のF16,8秒というのとほぼ同じくらいの感じになる。感覚的にも、分かるか分からないかのギリギリのところの諧調の描写が、写真に奥行きを出しているとすると、現状の露光条件はまあまあ良いところなのかもしれない。

春の星座

2005-05-07 22:46:58 | 天体観測
夏や冬に見える星というのは、ちょうど天の川の中を見ることになるので華やかだ。比較的近いところにある星なので小型のべ応援今日でも結構見ごたえがある。

しかし、春や秋の星というのは天の川銀河の上下を眺めることになるので、基本的に見える星の数が少ない。星雲や星団も遠くにある銀河がたくさん見えるが、これはととてつもなく遠いので、小型の望遠鏡では苦しい。いくつかの球状星団も見えるが、僕の85ミリではそれぞれの星に分解して見えたためしがない。

今回のゴールデンウイークはいい天気が続いたので、結構星を見ることができた。2,3の初めて見るメシエ天体もあった。

球状星団というのは古い星がたくさん球状に集まったもので、なんでああいうふうになるのかよく分からないということを聞いたことがある。今日はM3という最も大きい球状星団の一つを大分長く眺めた。2,3の星が星団の周りに見えたが、あれが星団の一部の星が分解できたのか、それとも近所にある星なのかははっきりしない。

3万2千光年のかなたからはるばる旅をしてきた50万個もの星の光が、この小さな望遠鏡を通して僕の網膜に焼きついた。ここの星にその光は分離しなかったけれど、そこには一つの奇跡が起こったのだ。

統計と美しさの関係

2005-05-07 09:09:31 | 哲学
統計というのは、物事を長期にわたって観測し続けたり、たくさんのサンプルを集めたりしたときにその集合の数学的な性質を議論するものである。そんなことは誰でも知っている。

でも、それってものの美しさと同じではないかと思うようになってきた。つまり、ものの美しさはもののディテールに宿るのだから。ディテールはディテールだから、普通はよく分からない。じっと対象を良く観察し続けることが大切だ。このじっくり観察し続けるというプロセスは、まさに統計でいうサンプルを集める過程そのものではないだろうか。

データを予見をいれずに取り続ける。大体は平均値のようなデータばかりだろうが、それだからといってそう決め付けてはいけない。たまにはアレッて思うようなデータが表れる。それこそがその対象に潜んでいる美しさであり、本質なのだ。

長く一つのことを続けることの意義、それは3シグマの外にあるような微妙な事柄を見つけることが出来るということだろう。

俄然統計に興味がわいてきた。

何かをなし遂げる

2005-05-05 23:27:13 | 哲学
何かをしようと思うとき、その瞬間に行動を起こさなければならない。それはどんな小さいことでもいい。とにかく一歩を踏み出すこと。それが大事だ。

その時一歩を踏み出さないと、結局何もできない。

最近、何かをしようと思ったときに、「今しないのか??」という声が聞こえる気がする。その声を無視するとダメになりそうな気がしてしまう。だからちょっとだけ行動を起こす。

でも、それを全てやっていると僕の生活は猛烈に忙しくなってしまう。だって、頭の中ではあれをやろうこれをいう思いが次々とあらわれるのだから。

どっかで妥協しなくてはならない。そうしないと体がもたない。

でも、ちょっとずつでも行動を続けるとそれはいつか実現する。願いは実現するのだ。ゆっくりかもしれないけど、必ず。どっかの本の題名であったようなきがするけど、まあいいか。

印画紙現像液

2005-05-05 23:09:19 | 写真
印画紙の現像液というのは、これまであまり注意を払っていなかった。とにかくネガの仕上がりが全てを決めると思っていたので、濃度や温度もかなりアバウトだった。

一応薬品はフジのプロトールスタンダードと決めている。希釈も1:1くらいにしていたが、今日は残りの薬品があまりなく1:3にした。おまけにちょっと古くなって原液は茶色に変色していた。

印画紙はレンブラントを使って焼いたが、なんとなく写真に迫力がない。いくつか露光条件を変えてみたが、やっぱりダメ。以前のRCペーパーに焼いていたときよりマイルドな仕上がりだ。

こういうときは最短時間最大濃度を測ってみようということで、小さく切った印画紙にたっぷり光を当てた部分と、露光時間を変えた部分を作りその色の差を比べた。
ところが、露光時間をいくら延ばしても真っ黒にならない。えっ!という感じ。

どうも、印画紙現像液が薄いために発色が遅くなってしまったことが原因らしい。プロトールスタンダードの袋には1:4で温黒調ということになっているから、これもまんざら悪いということではないのだろうが、とにかく現像液の条件もきっちり合わせないと、いい結果は得られないということだ。

まあ、当たり前といえば当たり前なんだけど、経験して見ないとこういうことってわからない。
とりあえず今夜は新しい現像液を作っておしまいにした。

理解について

2005-05-04 18:22:47 | 哲学
何か分からないことがある。あるいは何かを習熟したいことがある。

そういうときに理解したり習熟していくプロセスとはいったいどんなことだろう。

それは目の前に起こっている事柄を当たり前のことに落とし込んでいくプロセスだ。

当たり前になったことが大切なのではなくて、当たり前にしていくことによって残りの部分を小さくしていくことが大切なのだ。

それはカメラの露出についてもいえることだし、自転車に乗る練習だって同じだ。

目の前に起こっている当たり前のことを当たり前と認識すること。簡単な様でこれが案外難しい。

当たり前になってしまえばそれは文字通り当たり前なのだが、当たり前になっていないことは訳が分からないからだ。

当たり前のことを見つけること、それを観察と呼ぶ。

観察のポイントは、心の中でお話を作らないこと。目の前にあるものをあるがままに受け入れること。

露出だったら、目の前にあるのは家ではなく、白っぽい平面と、もうちょっとグレーの平面と、真っ暗な平面の組み合わせ。そう、当たり前のことだが、普通人はそういう風にモノを見ない。ただ、日ざしを受けた家がそこにあると認識してしまうのだ。

今僕の目の前には一組のデータがある。あるセンサーからのデータだ。さあ、これをどう料理しようか。データの中にある当たり前は何だろう。

肉眼黒点のスケッチ

2005-05-03 11:57:47 | 天体観測
太陽の黒点活動はとうにピークを過ぎたが、時々こういう大きな黒点が現れる。望遠鏡を使わずフィルターで減光しただけで黒点と分かる肉眼黒点だ。

黒点のまわりのでこぼこが今日は結構良く見える。全体に表面のざらざらした感じまで分かる。シーイングはかなり良いと思う。

宇宙にぽっかりと浮かんだ水素の塊の表面の地球よりはるかに大きな黒いシミを見ていると思うと不思議な感覚に襲われる。

観察をしているうちにまわりの白い部分(白斑)の形が変わっていくような気もする。普通天体観測というと、地球の自転による動き以外には何もない静の世界だが、太陽黒点だけはなんとなく動きを感じることが出来る。木星の自転も表面の模様の動きでわかるというが、85mmの屈折望遠鏡では、そこまでは難しいようだ。

実は、宇宙のかなたの星雲では秒速何万キロというとてつもない速度でガスが拡散していたりするダイナミックな世界が展開されているのだが、何千光年というとてつもない距離によって、それはスタティックな世界に変換されるのだ。我々が動きを感じられるという世界というのは、時間と距離のある組み合わせでいうとホンの狭い領域に限られるのである。

天体観測というのは、そうした動きのない世界を動きのある世界に取り込もうとする人類の挑戦なのかもしれない。100億光年のかなたにある原始宇宙の姿を捉えるハッブル宇宙望遠鏡によって、そこに人類は意味を作り出すのだ。動きと意味は同じことをなのだ。

動かないものには意味がない。多分そうだろう。逆に言えば動かせば意味を作り出すことが出来るとも言えるかもしれない。