こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

市民にできる市民のエール

2015年06月24日 03時18分00秒 | 文芸
市民に出来る支援のエール

 再び朝日新聞が襲撃された。この無言の暴力は恐怖時代を予感させるものだ。断じて見過ごしてはならない。日本の将来のためにも。
 言論側が、このような暴力による抑圧行為の前に屈することはないだろうが、故人は元来弱者である。故にこそ、記者諸氏の使命の重さを考え、さらなる奮起を願うばかりである。
 法治社会に暴力は相容れられないものとの認識を強く持っていたわたしだが、昨今の風潮を見るに、本当にそうなのかと疑いたくなる。暴力団抗争に始まり、地上げ屋、誘拐殺人等、毎日報道される記事の大部分は、暴力がらみであるといって過言ではない。
 その暴力の横行の前に、時には巻き添えで犠牲者になり、あるいはひっそりと身を避けるしか手段を持たない一般市民。味方であるべき法律さえも、建前論に終始するばかりである。
 こんな中で、唯一、弱者に対しても公平な正義と真実を追求してくれる報道機関。なんと頼もしいことだろうか。
 いま、その報道機関が暴力の標的にされている。犯人の逮捕は警察に期待するしかないが、庶民に出来得る可能な限りの支援のエールを、関係者に送ろうではないか。それはわたしたちの平和と幸福を守るためでもあるのだ。
(朝日・1987・9・29掲載)
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まんが・まだ早い!

2015年06月24日 01時44分35秒 | マンガ
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「天然アユ」の表示に不信感

2015年06月24日 00時13分33秒 | 文芸
「天然アユ」の表示に不信感

 テレビのニュースで天然アユの特集を見て、日本の食品業界への不信を新たにした。
 少なくなった天然物に代わり養殖物が主流を占めるのは納得できるものの、問題はその名称である。単純明快に養殖表示はされず、「流れ天然アユ」や「天然仕立て……」など実に紛らわしい表示で出荷されている。消費者心理につけ込んだ、そのやり口は何とも不快な限りである。
 何もアユだけではない。何でもかでも手作りや天然、有機に表示されがちの食品の現状は、全く怖いばかりに放置されっ放しである。それをまた安易に受け入れている消費者側の責任も見過ごせない。
「文句が出てこないからいいじゃないか」という強気な養殖業者の言葉が、日本の消費者意識の低さを言い得て妙である。「こうなれば値段で判断するしかないですね」とニュースキャスターは言う。
 さらに問題は、そんな不適格な表示を見過ごしている関係官庁にもある。ことは健康、生命にかかわる食品についてだ。もっと厳しい監視と規制があってもしかるべきである。安心して天然表示のアユを味わえる日が待ち遠しい。
(朝日・1988・7・8掲載)
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思い出のインタビュー記事

2015年06月23日 17時14分25秒 | Weblog
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父の日に

2015年06月23日 16時29分20秒 | 文芸
 父の日。たった一人の留守番は退屈極まりない。といっても、この年になると、もう「父の日」は完全無視らしい。寂しいなあ。
「おとうさん、いる?」
 いきなりの訪問者は、この間結婚した長女。
「そこまで用事で来たから、ついでに寄った」
 そうか、ついでですか。と、ちょっと気落ち。すると、娘は手にした買い物袋を出した。
「これ、父の日だから、ついでにプレゼント」
 さりげない娘の贈り物だった。期待していなかった分、喜びは大きい。ついで、でも…。
 お昼の食卓を二人で囲んだ。父と娘水入らずの食事は久しぶり。孤食よりおいしい。
「おとうさん、赤ちゃんが…できたみたい」
 照れ臭そうに、娘の報告だった。
 最高の「父の日」になった。父親であることの幸せを実感させてくれた娘に感謝だ。よく聞けば、妻が「父の日に一人だから、顔をみせてやって」と娘に声かけしたのだ。家族の思いやりに胸がジーンとなる父だった。
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自分勝手なのを男らしさと錯覚

2015年06月23日 12時02分02秒 | 文芸
自分勝手なのを男らしさと錯覚

 夫は自分のことしか考えないタイプで、妻や子どもはいつも後回しです。仕事ならまだしも、趣味でも同じですからアキれるばかり。でも、結婚前は、そんな気性が逆に男らしく見えて恋してしまったとあれば、沈黙するのみです。
 義父は夫と全く逆で、ひたすら尽くすタイプなのです。足が不自由な義母への奉仕は、見ているだけでも感動的。どんなに自分がつかれているときでも、義母の希望を実行するのに懸命なのです。その上、夜は義母が不自由にしているな足や腰を、丹念にさすってあげるのが日課ですから、「ようやりはる」と絶句してしまいます。
 その父親の血を受け継いだとは、とても信じられない夫。「あんた、ほんとにお義父さんの子ども?」と皮肉を言っても、「そう見えるか。オレも疑ったことがあるんだ。親父と違って、俺ハンサムだろう」ですって。「一度聞いてみたら、バカッ!て怒鳴られちゃったよ」と大口開けて笑い転げる夫です。
 ただ同じ血筋なので、夫が年を取った時に期待します。
(神戸・1988・11・11掲載)
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人生初めて広告新聞に載った小説(未完・挿絵も自作)

2015年06月23日 10時05分04秒 | 記憶の記事
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昔人間の余計なおせっかい

2015年06月23日 08時56分37秒 | 文芸
昔人間の余計なおせっかいか

 経営していた喫茶店を閉めた15年前、ピンクの公衆電話用の権利を休止扱いにした。商売をしなければ、自宅の電話一本で充分だったのだが……。
 契約を解除すれば面倒はないが、「将来、子どもの誰かが大学に進んでアパート暮らしをしたら、必要になるやんか」と自信満々で妻を納得させた。
 その時がついにやってきた。大学に受かった長男がアパート生活を始める。
「さあ、電話の取り付け、いつにするんや」すでに三度の更新を終えている休止電話の、「待ちに待った晴れの出番」のはずだった。
 ところが、「そんなん、ええわ。要らへんで」「そうやな。使わへんもんな」つれない息子と妻の反応に、わたしは思わず「え?」。
 そう、時代は大きく変化して、携帯電話が“猛繁殖”している。加入電話の居場所はない。携帯を使いこなせない昔人間の余計なおせっかいだったようだ。
(讀賣・2004・4・11掲載)
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4コマ漫画

2015年06月23日 01時45分39秒 | マンガ
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絵手紙

2015年06月23日 00時53分58秒 | 絵手紙
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