こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

もがいて……うらやんだだけ

2015年06月23日 00時02分45秒 | 文芸
もがいて……うらやんだだけ

 何が何でも親子で住めるマイホームを。重大な決意をして臨んだ年だったが、結果は現状維持で涙をのむことになった。甘く見ても落第点間違いなし。妻と共同作戦であらゆる物件の情報に走り回った末の結果である。
 頼りにしていた不動産屋の担当者が「しばらくこれはという物件は出ませんよ。みんな大手が押さえてこっちまで回って来ない状況ですから。1,2年待つしかないですな。と言っても必ず適当な物件が出て来るとの確約は……」と言葉を濁しながらの最後通告が8月の末ごろ。そこで業者を代えて再アタックとなったが、こちらも、どうもハッキリしないままである。
 まあ、こちらの条件が難しいのは分かっている。店舗付き住宅で子育てに適したところなんて無理な相談なのかも知れない。手持ちの資金が充分潤沢なら、その限りではなかろうが、大口をたたける懐じゃない。
「やっと一戸建てに入居しました。また遊びに来て下さい」なる知人からのはがきを手に、自分の甲斐性のなさを思い知った年でもある。しかも12月に3人目の子どもが生まれては、完全にマイホーム作戦は凍結するしかない。
 夫婦どちらかの手が取られれば、仕事をこなすのが精いっぱいの生活では何をか言わんやである。
(神戸・1988・12・27掲載)
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父の日に何を 贈ったっけ?

2015年06月22日 20時07分30秒 | Weblog
ボクもお父さん。この間の父の日は、実にうれしかったなあ。娘からのプレゼントは、ウォーキング用の靴。そして別枠で、「おとうさん、できちゃった」と孫をプレゼント!来年の1月に孫との顔合わせは持ち越しだが、こんなうれしいことはありませんね。ちなみに、私が自分の父親に、父の日の贈り物をしたことがない。甲斐性のない息子の私より、何層倍も甲斐性のある父親にプレゼントなんて、できっこない。ただ、実家から味噌汁の冷めない距離に居住しているのが、わたしにできる唯一の親孝行である。「おい、おるかあ?」「ああ。どっか行くんか。すぐに車だすわなあ」そして目的地では、車いすの父親を介助する。それぐらいしか、わたしにはできないのです
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詩・娘のしあわせに

2015年06月22日 13時23分50秒 | 文芸
娘のしあわせに

「……できたみたい」
面映ゆげな娘の報告に
「きょと~ん!」
すぐに気付き
「…そうか、よかったなあ」
内心の狼狽えぶりを
取り繕うために
頬笑んで頷いている
父の日に
なんと!素晴らしい
プレゼントだろう!

照れ臭そうな
娘と二人きりの時間
う~ん?
父親らしい言葉が
ぜんぜん浮かびそうにないぞ

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感謝してます愛情菓子

2015年06月22日 12時26分10秒 | 文芸
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4コマ漫画

2015年06月22日 10時34分32秒 | マンガ
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青春時代の思い出

2015年06月22日 08時17分26秒 | Weblog
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母の日に「長生きして」と…

2015年06月22日 02時01分04秒 | 文芸
母の日に「長生きして」と……

「おまえらが、はよ安心させてくれんで、まだまだ死ぬわけにゃいかんわいの」
 71歳になる母の口ぐせで、またその言葉通りなにくれとなくわたしとわたしの家族の面倒を見てくれる。
 寄る年波で足腰が不自由なのに、毎朝畑に出て、収穫したものを押し車に載せて帰り、「新線やでうまいぞ。みんなで食べたらええ」とニッコリ笑う。確かに朝どりの野菜は味が違うので、わたしの家族は大喜びで口にする。
 かと思うと、夫婦共稼ぎで家事を後回しにしていれば、洗たく、掃除、…と、いつのまにか母が片付けている。申し訳なくて感謝しきりのわたしたちに、
「子どもの家族の面倒みるんは親の役目じゃが。気にせんで働いたらええんじゃでな」
 めを細くして、さも嬉しいと言った調子で答える母だった。
 わたしの子ども3人も母が育ててくれたようなもので、いまだに3人ともおばあちゃん子なのだ。
 ことしの母の日、家族の総意で母を招待してご馳走をふるまうことに決めている。
 そして、こう言う。
「もう安心して長生きしてな、おばあちゃん」
(産経・1990・3・27掲載)
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青春時代の私の生き方

2015年06月22日 01時34分01秒 | マンガ
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このいのち大切に

2015年06月22日 00時02分25秒 | 文芸
このいのち大切に生きて

 生後3か月で川崎病と診断され、一か月近く入院を余儀なくされ、退院後も後遺症の健診で定期的に通院するはめになった長女である。
「この子の運命にゆだねるしかないな。ぼく達はただ温かく見守ってやれるだけなんだから」
 悲惨な症状でベッドに横たわる長女を見つめ、沈んだ声で言う夫に、うなずくしかなかったわたし。もはや長女の未来など考える余裕すら失った状態だった。初めて授かった子だけに悲しみはいっそう増した。
「わたしの健康をこの子に分け与えられるなら……」
 点滴で身動きも出来ない赤ん坊に添い寝しながら、何度神様にお願いしたことか。
 神様へのお願いが通じたのか、長女はこの4月に新一年生となる。
 そう強いとは言えないが、これと言う大病もせず成長し、二人の弟の面倒をよく見る、しっかり者のお姉ちゃんになってくれた。わたしも夫もうれしい限りである。
「神様が守ってくれたいのち。これからも大切に、みんなで明るく生きて行こうね」
 ランドセル姿の長女にソッと囁いていた。
(産経・1990・3・27掲載)
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こんな青春をおくってました

2015年06月21日 20時03分59秒 | 記憶の記事
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