摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

冬至・クリスマス・新年などがバタバタと通り過ぎて行った

2024年01月08日 | 関西の四季

年の瀬の慌ただしさ。あえて怠惰に過ごす正月三が日。そんなこんなで生活のペースが狂うのかなと思っていたら、なんと元旦から能登大地震のニュース。続いて羽田空港の航空機事故。ざわざわと大災害の続く年の始めで、お正月気分とは縁の遠い日々が続くことになった。
閑話休題。
家を一歩出るだけでも、近年の気候変動の異常さは自分のような高齢者にも一目瞭然。冬至を過ぎても咲き誇り続ける菊とバラ。本来10月や11月頃が旬のはずだったけど、旬のはずの11月になっても暑すぎて菊は咲かなかったし、バラも貧相極まりなかった。12月を過ぎてやっと元気になってきたのだ。
 

12月22日は冬至。ユズ湯に入った。ホカホカと体の芯まで暖かくなって幸せな気分にひたれた。ケヤキも冬至を過ぎてようやく冬らしい姿になった。見出し写真は冬枯れのケヤキ。
冬枯れの姿を見てホッとするなんて、何だか妙な気分……
 

瞬く間に子どもたちの大好きなクリスマス。この横文字はメリークリスマス 点線内のフランス語は意訳すれば この幸せよ永遠にあれ! とかゆう意味らしいな……そして呑兵衛たちの大好きなお正月。

    

冬至もクリスマスもお正月も何だか一緒くたにして祝うのは日本人のええ加減で無節操な宗教心の現れだという声もある。けど、原始・古代の人びとの絶対的にあがめていた太陽が復活するこの季節を、めでたいめでたいと祝うのに多少の言葉や作法の違いがあっても良いではないかと、おおざっぱな私は思うのだ。そういえばフーテンの寅さんが欧州の街角で、キリスト教の聖職者に出会ったとき「これはこれは御前さま」と恭しく頭をさげていたよね。良い悪いは別として、経典が違う、神の言葉の解釈のしかたが違う……など、こ難しいことを言っていがみ合うよりは、私にとって馴染みやすい態度だった。良いかげんと宗教的寛容とは違うだろうが、その昔、八百万の神々がおわしたこの国では、キリストも仏も、その他の神々もすべて相対的なものになりがちのような気がする。

 

日が経つにつれて、心なしかパンジーとアリッサムが、次第に元気になって来た。とは言え今年の大阪の正月は春のような温かさが続いている。クマやカエルはぐっすり冬眠できているのだろうか?

年が代わっても地球温暖化の中での、植物ウォッチングを続けるつもり。同じ地球に生きるもの同士の連帯感を忘れないでいようと思うからね。
今年もよろしくお願い申し上げます。

年賀状仕舞いをする人も多いが、自分としては「今年もまだ生きているで」と、安否情報を発信するつもりでに出している。『まだ、生きていやがったのか。もうろく爺め!さっさとくたばれ』なんて、ののしられるかもしれない。とはいうものの…わけあって、あと何年かはしぶとく生き続けなければならない。