摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

我が国で一、二の低さを誇る天保山へ

2024年01月22日 | 関西の四季

今年最初の自然観察お出かけウォーキングは、日本有数の低い山である天保山へ行った。見出し写真は渡し船から見える天保山大橋と右手の木立の中の天保山。


大阪メトロの大阪港駅で降りて、第一に印象的だったのは大きな正月飾りやしめ縄。
その次は街の規模を思うと不釣り合いなほどに立派なお寺・築港高野山と港住吉神社だった。海に生きる人びとが今年もまた、無事に生きて正月を迎えられた喜びと、信心の深さを現わしているのかなと思った。

【大阪港駅の正月飾り】  【築港高野山・釈迦院のしめ縄】
  

「板子一枚下は地獄」という船乗りにとって、ひと航海ごとに神仏に手を合わせる気持ちは陸で呑気に暮らす我々には思いもつかないほど切実なものがあったのだろうな。築港のお寺はかつて7800坪ほどの大きな敷地を有し「西の築港高野山、東の四天王寺」と並び称されるほど栄えたと言われる。戦災と阪神淡路大震災により大きな打撃を被ったが、その佇(たたず)まいにはなお、往時をしのばせるものがある。
また、港住吉神社は天保の世に、航海の神である住吉大神を天保山頂に祀ったのが始まりであるとされる。当時、天保山は船乗りたちが大阪港に帰って来る時の目印になっていたのだ。とき移り星移り、祀られる場所が代わった今も、海運等に携わる人びとの信仰は篤い。私たちが見学に行ったこの日も、正装をしたおおぜいの人びとが、巫女さんに率いられ威儀を正してお参りしておられるのに出会った。
【築港高野山の水掛不動さん】 【港住吉神社(写真はグーグルマップより)】
  

新幹線や航空機に交通の主役を奪われた今、瀬戸内海航路の花形だった関西汽船や加藤汽船が発着した弁天ふ頭はすっかり寂れ、天保山もクルーズ船の発着場と化した。往時の大阪の表玄関、押すな押すなの盛況をしのばせる賑わいはなかった。フェリー乗り場も南港やコスモスクエアが中心のようで、時代の変化の目まぐるしさに今更ながら驚かされる。

デンマーク・コペンハーゲン港と大阪港の文化交流により寄贈された人魚姫。
東日本大震災により地盤が沈下して、低い山日本一の座は東日本に移ったらしいが、三角点のある山では天保山が今でも日本一。その二等三角点を参加者一行で踏みしめて来た。

    

対岸の桜島に行くために無料の渡し船に乗って安治川を渡った。築港からUSJに行くにはこれが一番の近道。
さて、桜島に上陸したけれど子どもの頃あった日立造船桜島工場はとうの昔になくなっていた。小学生だった頃、進水式を見に行ったりして感激したのも、60数年以上も昔のことになるねんな。代わりににぎわっていたのがUSJだった。
港は大きく変わった。街も変わった。人びとの興味関心もずいぶん変った。
そんなことを感じさせる天保山詣でだったけど、ひとの命の安全と無事を祈る気持ちだけは変わらずにあった。具体的に目に見える形では、神仏に祈り敬うという形で残っていた。