氷の上を生暖かい風が吹き抜ける。クレバスの近くを通るときは一転、冷たい風が隙間から出てくるのを感じる。
目に見えない空気は、複雑に立体的に入り組んだ氷の合間を抜ける。
氷河を作っているのは水だけではない。空気も重要な要因の一つだ。
先へ進むと一つのグループが止まっている。
ここでカッパを着る。
いよいよ今回の目玉、ブルーミストである。これを歩くためにここに来た。

縦に伸びた氷の裂け目の中に入る。先が見えない。
足元にはかき氷のような細かい氷が敷き詰められている。
氷の回廊。
青く透明な氷の壁にはさまれた回廊が先に伸びる。
この青さはどう表現したらいいのだろうか。
どんな言葉を並べても氷河の青というのは人に伝えられないだろう。
こんな時のためにカメラを借りて持ってきたのだ。パチパチと写真を撮りながら回廊を進む。
このクレバスは今年できたもので、深くそして長い。
極端な話、ここを通らなくてもツアーは営業出来る。
だがお客さんを楽しませるため、自分達が楽しむために、氷の隙間に何トンもの氷のかけらを落とし、隙間を埋めて人が通れるようにした。
1週間がかりで何人ものガイドが作業をしたと言う。
ガイドというと聞こえはいいが、やっていることは土方だ。
つるはしでクレバスの上部を削り氷を落とすのだが、人力ではらちがあかないのでチェーンソーで氷を切って落とし溝を埋めていった、とタイは言う。
それだけの苦労があり、ボクらはそこを歩ける。

クレバスは深く、出口は急な上りだ。氷の壁にアイススクリューでアンカーを取り、ロープを渡し手すりを作ってある。
ロープを握りながら氷の裂け目からはい出る。マー君も満円の笑みで出てきた。
なんとまあ……言葉が上手く出てこない。
「スゴイなあ」
とんでもない自然を前にするとスゴイという言葉しか出てこない。言葉が感動に追いつかないのだ。
やれやれ、今回も又この国の自然にやっつけられてしまったか。
氷河ハイクは初めてではない。3回目だったか。だがいつ来ても違う感動がある。
ボクの気持ちを代弁するようにキミが言った。
「いつ来ても氷河はいいなあ」
地元に住んでいる人だってそう思うのだ。

ブルーミストを抜けさらに氷河の上部へ。
そこで1人つるはしを振っているガイドと挨拶を交わす。
氷河ガイドの仕事というのは、ただお客さんと一緒に歩くだけではない。
斜面を登る人のために氷をつるはしで階段状に削りながら進む。
先のグループのガイドがステップを切っても何人も歩けば階段は崩れてしまう。
なのでその都度つるはしを振りステップを切りながら進むのだ。
お客さんをガイドしていなくても、他のグループの為に1人コツコツと氷を削る仕事もする。
正直、大変な仕事だ。こんな仕事を毎日やる若き友をボクは誇りに思う。
ブルーミストは氷河に対し縦、氷河の流れる方向に氷が割れているが、先へ進むと今度は横向きに氷が割れている場所に出る。
下から見ると何重にも氷の壁が立ちはだかっている。
ツアーコースはその中へ入っていく。まるで巨大迷路だ。こんな所でかくれんぼをしたら楽しいだろうなあ。ただし命がけのかくれんぼだ。

お昼は氷の上で食べる。
ツアーの人達も近くにいるが、氷の形は複雑なので、ちょっと離れると自分達の空間がすぐにできる。
のんびりと氷の上の時間は流れる。
ランチはキミが朝作ってくれたおにぎりだ。昨日の照り焼きサーモンの残りが中に入っている。文句なしに美味い。
デザートはセントラルオタゴのネクタリンである。木で熟したフルーツというのはとことん甘い。
おむすびを包んでいたアルミホイルを持っていたのだが、一陣の風がそれを奪っていった。
ボクはあわてて追いかけたのだが、大きな氷の穴の中に吸い込まれていった。
回収は不可能。仕方がないあきらめるか。
ボクは行く先々でゴミを拾いながら歩いているが、そんな自分もゴミを作ってしまった。
まあ故意にすてたわけではないし、ひょっとすると氷河も人間が持っているキラキラした紙切れみたいな物が欲しくなったのかもしれない、ととことん都合良く解釈をする。

午後もツアーの合間を行く。
氷の壁に挟まれた場所を歩いていると、壁に穴があいていることに気が付く。
大きさは1mにも満たないものだ。
中を覗くと鍾乳洞のように上から氷がたれ下がり、それを伝い水滴がポタポタと垂れている。
水滴は底にある小さな水たまりに落ち、小さな波紋を作る。
美しい。
この小さな穴の中に均整のとれた美がある。
こんなのいつまでも眺めていられそうだ。
自然はこんな巨大な氷河の中に、小宇宙を作り上げている。
きっとこんな箱庭が何百、何千と氷河の中にあるのだろう。
それらのほとんどは人目にふれることなく生まれては消えていく。
僕達が住むこの地球も宇宙から見ればこの箱庭みたいなものではないか。
その箱庭の中で人々は愛し合い、同時に傷つけ合い、いがみ合っている。
「こんな所に小宇宙、こっちの壁にも小宇宙。ああ小宇宙、小宇宙。」
バカみたいにつぶやきながら歩くボクをキミが暖かく見守る。
氷にはさまれた空間というのは不思議なものだ。
森を歩くのと同様、これは感覚のものであり、自分の身をそこに置かなくてはつかめない。写真やビデオでは感じられないものだ。
氷の切れ目はなまなましく、エロチックでもある。クレバス、割れ目という言葉だってそうだ。
氷の中へ入っていくのは女体へ入っていくのを思い起こさせる。
氷河は女だ。
それを帰ってからタイに言ったらヤツはこう言った。
「そうそう、氷河は女なんですよ。手のかかるところなんかそっくり。やさしく包んでくれる時もあれば、ダメなときは絶対ダメってのも似てますね」
ガイド連中は氷河のことをヒネと呼ぶそうだ。
ヒネはマオリの言葉で娘を意味する。
ちなみに家で飼っているニワトリもヒネである。
続
目に見えない空気は、複雑に立体的に入り組んだ氷の合間を抜ける。
氷河を作っているのは水だけではない。空気も重要な要因の一つだ。
先へ進むと一つのグループが止まっている。
ここでカッパを着る。
いよいよ今回の目玉、ブルーミストである。これを歩くためにここに来た。

縦に伸びた氷の裂け目の中に入る。先が見えない。
足元にはかき氷のような細かい氷が敷き詰められている。
氷の回廊。
青く透明な氷の壁にはさまれた回廊が先に伸びる。
この青さはどう表現したらいいのだろうか。
どんな言葉を並べても氷河の青というのは人に伝えられないだろう。
こんな時のためにカメラを借りて持ってきたのだ。パチパチと写真を撮りながら回廊を進む。
このクレバスは今年できたもので、深くそして長い。
極端な話、ここを通らなくてもツアーは営業出来る。
だがお客さんを楽しませるため、自分達が楽しむために、氷の隙間に何トンもの氷のかけらを落とし、隙間を埋めて人が通れるようにした。
1週間がかりで何人ものガイドが作業をしたと言う。
ガイドというと聞こえはいいが、やっていることは土方だ。
つるはしでクレバスの上部を削り氷を落とすのだが、人力ではらちがあかないのでチェーンソーで氷を切って落とし溝を埋めていった、とタイは言う。
それだけの苦労があり、ボクらはそこを歩ける。

クレバスは深く、出口は急な上りだ。氷の壁にアイススクリューでアンカーを取り、ロープを渡し手すりを作ってある。
ロープを握りながら氷の裂け目からはい出る。マー君も満円の笑みで出てきた。
なんとまあ……言葉が上手く出てこない。
「スゴイなあ」
とんでもない自然を前にするとスゴイという言葉しか出てこない。言葉が感動に追いつかないのだ。
やれやれ、今回も又この国の自然にやっつけられてしまったか。
氷河ハイクは初めてではない。3回目だったか。だがいつ来ても違う感動がある。
ボクの気持ちを代弁するようにキミが言った。
「いつ来ても氷河はいいなあ」
地元に住んでいる人だってそう思うのだ。

ブルーミストを抜けさらに氷河の上部へ。
そこで1人つるはしを振っているガイドと挨拶を交わす。
氷河ガイドの仕事というのは、ただお客さんと一緒に歩くだけではない。
斜面を登る人のために氷をつるはしで階段状に削りながら進む。
先のグループのガイドがステップを切っても何人も歩けば階段は崩れてしまう。
なのでその都度つるはしを振りステップを切りながら進むのだ。
お客さんをガイドしていなくても、他のグループの為に1人コツコツと氷を削る仕事もする。
正直、大変な仕事だ。こんな仕事を毎日やる若き友をボクは誇りに思う。
ブルーミストは氷河に対し縦、氷河の流れる方向に氷が割れているが、先へ進むと今度は横向きに氷が割れている場所に出る。
下から見ると何重にも氷の壁が立ちはだかっている。
ツアーコースはその中へ入っていく。まるで巨大迷路だ。こんな所でかくれんぼをしたら楽しいだろうなあ。ただし命がけのかくれんぼだ。

お昼は氷の上で食べる。
ツアーの人達も近くにいるが、氷の形は複雑なので、ちょっと離れると自分達の空間がすぐにできる。
のんびりと氷の上の時間は流れる。
ランチはキミが朝作ってくれたおにぎりだ。昨日の照り焼きサーモンの残りが中に入っている。文句なしに美味い。
デザートはセントラルオタゴのネクタリンである。木で熟したフルーツというのはとことん甘い。
おむすびを包んでいたアルミホイルを持っていたのだが、一陣の風がそれを奪っていった。
ボクはあわてて追いかけたのだが、大きな氷の穴の中に吸い込まれていった。
回収は不可能。仕方がないあきらめるか。
ボクは行く先々でゴミを拾いながら歩いているが、そんな自分もゴミを作ってしまった。
まあ故意にすてたわけではないし、ひょっとすると氷河も人間が持っているキラキラした紙切れみたいな物が欲しくなったのかもしれない、ととことん都合良く解釈をする。

午後もツアーの合間を行く。
氷の壁に挟まれた場所を歩いていると、壁に穴があいていることに気が付く。
大きさは1mにも満たないものだ。
中を覗くと鍾乳洞のように上から氷がたれ下がり、それを伝い水滴がポタポタと垂れている。
水滴は底にある小さな水たまりに落ち、小さな波紋を作る。
美しい。
この小さな穴の中に均整のとれた美がある。
こんなのいつまでも眺めていられそうだ。
自然はこんな巨大な氷河の中に、小宇宙を作り上げている。
きっとこんな箱庭が何百、何千と氷河の中にあるのだろう。
それらのほとんどは人目にふれることなく生まれては消えていく。
僕達が住むこの地球も宇宙から見ればこの箱庭みたいなものではないか。
その箱庭の中で人々は愛し合い、同時に傷つけ合い、いがみ合っている。
「こんな所に小宇宙、こっちの壁にも小宇宙。ああ小宇宙、小宇宙。」
バカみたいにつぶやきながら歩くボクをキミが暖かく見守る。
氷にはさまれた空間というのは不思議なものだ。
森を歩くのと同様、これは感覚のものであり、自分の身をそこに置かなくてはつかめない。写真やビデオでは感じられないものだ。
氷の切れ目はなまなましく、エロチックでもある。クレバス、割れ目という言葉だってそうだ。
氷の中へ入っていくのは女体へ入っていくのを思い起こさせる。
氷河は女だ。
それを帰ってからタイに言ったらヤツはこう言った。
「そうそう、氷河は女なんですよ。手のかかるところなんかそっくり。やさしく包んでくれる時もあれば、ダメなときは絶対ダメってのも似てますね」
ガイド連中は氷河のことをヒネと呼ぶそうだ。
ヒネはマオリの言葉で娘を意味する。
ちなみに家で飼っているニワトリもヒネである。
続