あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

スクールホリデーの1日

2011-04-21 | 日記
栗拾いをした後、南風が強く吹き冷たい雨が降り、また一歩冬が近づいてきた。
外を吹き荒れる風を見ながら、あの木ではボタボタと栗が落ちているのだとイメージが湧いた。
こうなると又、栗拾いに行きたくなる。
あの食べ物を採る楽しみを子供にも教えてあげたい。そんなイメージも湧いた。
深雪の友達のサクラに電話をいれると興味がありそうだ。
よし、じゃあ今日は子供と一緒に栗拾いだ。
家から車で3分、長靴持参で『栗の道』へ向かう。遠くに見える山もすっかり冬化粧だ。
予想通り、昨日の風雨で栗はたくさん落ちている。
「なるべく大きいのを拾えよ。足でイガをグリグリやると大きいのがあるからな」
「あった!こんなに大きいの」
嬉しそうだ。いつの時でも子供が喜ぶ姿は良いものだ。次から次へ拾う。
「な、食べ物を採るって楽しいだろ?」
「うん。すごく楽しい」
「よろしい。どうだ、この木の周りはほとんど取ったか?」
「うん。だいたい取ったよ」
「じゃあ次はあっちの木だ」
「あっちにもあるの?」
「そうだ。来てみろ。ほらこの木も栗の木だぞ」
「ホントだ、こっちにもたくさん落ちてる」
「さあ拾え。どんどん拾え」
そしてまた次の木へ。あっというもにスーパーの袋が重くなっていく。
駐車場に落ちた栗は車に践まれつぶれてしまっている。
どうせゴミになるのなら自分達が食べたほうが栗も喜んでくれよう。
取るのは自分が消費出来る分だけ。この分量は友達にお裾分けをするのも含まれる。
大地の恵みはできるだけたくさんの人と分かち合うべきだ。
あらかた取り終わったら、栗の木にお祈り。
「栗の木さん、ありがとうございました。あなたの実はおいしく頂きます。」
ボクと深雪とサクラの3人で手を合わせ目を閉じ感謝の言葉を告げる。
深雪とサクラが木の幹から出ている小さな枝を握り握手をしている。実によろしい。

家に帰って長靴を脱ぐ前にもう一仕事。
理科の授業だ。
「さあ、庭に来なさい。イモ掘りをしよう。庭にジャガイモがあります。さあどれでしょう?」
「あっち?あれ?」
「違う。ヒント、ジャガイモは白い花つけます」
「白い花?あった、あれだ。」
イモは花が咲くときが収穫の時だ。
「そう。じゃあこっちへおいで。普段ボクらが食べているジャガイモは根っこの部分で、地面の上はこういう植物なんだよ」
「へえ、初めて見た」
ボクは鍬でなるべく土がついている状態でジャガイモを掘り、子供達に渡した。
「さあ、ジャガイモを取ってごらん。」
「あった、あった。大きいのもあったよ」
経験、これに勝る教育はない。
自分が普段食べている物がどういう状態で育つのか知ることは大切だ。
イモを取った茎と葉っぱはコンポストの入れ物へ。
根っこの所はまとめて土に埋める。ひょっとするとそこから芽がでるかもしれないし、そのまま土になるかもしれない。それはイモが決めることだ。
作業をしながらボクは1本ずつに話しかける。
「大きく育ってくれてありがとう。君達のイモは無駄にせず美味しく頂きます」
大人がどういう姿勢で植物と向かい合うか。それを見せることで子供は学ぶ。
次に掘ったジャガイモの土を払い落とす。
子供にやらせてみたら芝生でゴシゴシこすり、きれいなジャガイモができた。
大人が全て指示するのではなく、自分達で工夫をしてやり方を見つけるのも大切だ。
ボクも芝生でこすることは考えなかった。子供から習うこともある。

休み時間、深雪とサクラは家の中でおやつを食べ、ボクはジャガイモを掘った場所を耕す。
さてここには次は何を植えようかな。
家の中に入り次は家庭科の時間だ。
子供達がお人形で遊ぶ間、ボクは取ってきた栗の皮に包丁で切り込みを入れる。
ある程度剥けばあとは爪で皮をはがせる。
「さあ子供達よ、次は栗の皮を剥くぞ。爪ではがして剥いてみろ」
3人でぺちゃくちゃおしゃべりをしながら栗を剥く。
「さてこの栗で何を作ろうかね?モンブランなんかどうだ?」
「モンブラン食べたい」
「じゃあ、モンブランってどういう意味か知ってる?」
「知らなーい」
「モンブランはフランス語でモンとブランの2つの言葉なんだよ。これがスペイン語だったらモンテ・ブランコだな」
「どういう意味?」
「モンはなんだと思う?スペイン語のモンテの方が英語に近いぞ」
「え~分からない。」
「ヒント。クライストチャーチの近くにもあります。」
「あたし行ったことある?」
「あるよ。さっきも見えたよ」
「分かった。マウンテンでしょう。」
「そう、当たり。ブランは英語とは似てないな。これは白って意味なんだよ」
「じゃあホワイト・マウンテンだ」
「そうそう。なんかお菓子の形が山みたいに見えるでしょう。」
「うん。あたしモンブラン作りたい。」
「あとで時間があったらやってみよう」
深雪もサクラが一緒だと文句を言わずにやる。実によろしい。
皮を剥いた栗は水に浸しておく。
こうすると渋皮が水を含み、剥きやすくなる。

午後はお菓子作りだ。
子供達がビスケットを作りたいと言いだした。モンブランは遠いがビスケットは近い。
よし、やろう。
ニュージーランドの家庭ならどの家にもある、エドモンドのクックブックに作り方は書いてある。
深雪が主体になってやりサクラが手伝う。
ボクはなるべく手を出さず、あくまで子供が自主的にやる。これが大切。
ボクも深雪の年には1人でマドレーヌを作っていた。
オーブンで火傷をしたこともあったが、痛い思いをするのも経験。経験は学習である。
子供達はビスケットの生地を作り、ボクは上に乗せるクルミを剥く。
クルミは友達の家から貰ってきた物だ。
子供達が好きな形にビスケットを作る。ボクは注意点だけを教える。
「あまり厚すぎると中まで焼けないからな。同じくらいの厚さにすること」
ネコの形にしたり、クルミで目鼻をつくったり、なかなか楽しそうだ。よろしい。
オーブンに入れて20分。
自家製ビスケットの出来上がり。

次は栗の薄皮を剥く。
これもぺちゃくちゃ喋りながら3人でやる。
爪楊枝を使うと薄皮がパリパリと剥ける。
綺麗に剥いた栗は脳みそみたいだ。
木の実を自分で取り、自分で加工して食べられる状態にする。
手間はかかるが、食べ物をこうやって作るということを学ぶことは、人間としてとても大切なことだ。
夕方になり、時間切れ。今日はここまで。
モンブラン作りは次回だな。
お土産は自分で取った栗、自分で掘ったイモ、そして自分で作ったビスケットである。
「またおいで。次はモンブランを作ってみよう」
「ありがとう、バイバイ」
ボクはその夜、栗の甘露煮を作った。
家に蜂蜜がたっぷりあるので、砂糖少なめ蜂蜜たっぷりのシロップ煮だ。
これにつけ込んでおくと栗も美味くなる。
煮て崩れてしまった物は、次回に裏ごしをしてモンブランを作ろう。
学校の勉強は教えないが、経験と実践の学習の1日。
ボクはこういう日を聖塾と呼んでいる。
学校の勉強も大事だけど、ボクは子供にこういう教育をしていきたいと思っている。
そしてそうなればいいなあと思うことは実現することを、ボクは知っている。


コメント (1)
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