ボクはガイドである。
厳密に言うとガイドという職業を選んだ人間である。
ガイドとはそこを訪れる人を案内し、楽しみ方を教え共にその場を楽しみ、報酬としてお金を貰う。素晴らしい職業だと思っている。
あるホテルのマネージャーをやっている知人が言っていた。
「ガイドさんはいいよね。何て言ったって、1日の終わりにお客さんが『ありがとうございます』って言ってくれるんだから」
全くその通りである。
彼は立場上、お客さんに謝る事がかなり多い。そういう人から見れば羨ましい仕事であろう。
ボクの仕事が終わったときに、全てのお客さんがありがとうと言ってくれる。
もちろんこちらもお金を頂くのだから、ありがとうございますと言う。
お互いにありがとうと言って別れる。素晴らしいことだ。
さらにありがたいことに、再びリピーターとなってボクの所へ戻ってきてくれる人も多い。
リピーターの人達はボクの考えや行動に共感を持ってくれた人であり、ボクと一緒に時を過ごしたいという人である。
時にはボクと一緒にお酒を飲む目的で、はるばるニュージーランドまで来てくれる。ありがたいことだ。
そういう人達に接する時、ボクは精一杯、誠心誠意を持って、がむしゃらに、楽しんでもらうよう努力する。同時に自分が楽しむことも忘れない。
お客さんが楽しんでくれる事、これが何と言っても基本である。基本であるがその為に自分が楽しむ。
例えばパウダーの日、ドカーンと山がオープンした。どこを滑ってもいいぞ、さあどこへ行く?
その日の天気、風、日の当たり具合や山の混み具合を見てベストのバーンへ行く。
自分がおいしい所を滑りたいから。
結果的にお客さんもベストのバーンを滑ることになる。
もちろん、初心者の人を上級コースへ連れて行くようなことはしない。それぐらいの分はわきまえている。
お客さんが楽しんでくれて、自分も楽しんで納得のいく仕事ができた時のビールは格段にウマイ。
あなたハッピー、わたしハッピー。
シンプルしょ?
ある時、知り合いのガイドがこう言った。
「このコースはきれいだけど、もう飽きました」
本人には言わなかったけど、こいつはガイド失格だなと思った。
ぼくらは同じコースを毎日歩く。
やっていることは一見同じことだ。
だが昨日と今日では違う。
昨日つぼみだった花が今日は咲いていた。
昨日立っていた木が今日になったら倒れていた。
昨日は雨だったが今日は晴れた。
天気、風、鳥の動き、草花の育ち、それに一緒に歩くお客さん。
昨日と同じものはない。
そういった違いを見つけ出し、一回限りかもしれないお客さんに伝えるのがガイドだ。
言葉に出さなくても、「あ~あ、昨日と同じだ」という想いはお客さんに伝わる。ガイド失格である。
別の添乗員がこう言っていた。
「こういう自然の中の仕事は常に変化があっていいですね」
その人はパリのルーブル美術館に50回ぐらい行ったそうだ。
そこは夏に行っても冬に行っても、朝行っても夕方行っても同じなんだそうだ。そりゃ当たり前だ。
自然は違う。毎回違う顔を見せてくれる。だから面白い。
時に優しく、時にきびしく、同じものは何もない。
ツアーの添乗という仕事もある。
ガイドと混合されることがよくあるが、違う仕事である。
添乗員にガイド並の知識を要求する。これは無理だ。
添乗の仕事は世界あちこちへ行く。行く場所全てに現地ガイドと同じような知識経験など持てるわけがない。
添乗の仕事とはツアーがスムースに行くよう、行く先々で心を配ることである。
ホテルチェックイン、レストランのオーダー、現地ツアーの手配などがメインの仕事だ。
物騒な所ではお客さんに注意を促すし、健康管理にも気を使う。それに加え、お客さんが楽しめるようガイド代わりに説明をする。
楽ではない仕事だと思う。
だがやりがいのある仕事だとも思う。
ある添乗員が言っていた。
「自分はニュージーランドに何回も来ているけど、お客さんにとっては一生に一度のニュージーランド旅行になるかもしれない。だけどその一回の旅をご一緒できることが嬉しいんです。自分にできる範囲で最高のニュージーランドを見て頂きたい。そんな形でこれからも添乗の仕事を続けていきたいと思います。」
立派なものだ。彼の目は生き生きと輝き、添乗という仕事をしながらもこの国を楽しんでいるのが見えた。
こういう添乗員と一緒のお客さんは幸せだ。一緒に仕事をするガイドも楽である。
お金を貰う方と払う方と立場は違えどグループ全体が暖かい雰囲気に包まれ、全員がそれぞれにその瞬間を楽しむことが出来た。
全てにおいて良しである。
別の添乗員はお客さんを自分がコミッションをもらえる店に連れて行くことしか頭になく、そのツアーでは日程上そのお店に立ち寄れないとグチをこぼしていた。そいつの目は死んでいて、エゴが渦巻いていた。
こういう人と来るお客さんは可哀想だ。
添乗の仕事もガイドと同じで、仕事が終わった後にお客さんがありがとうと言ってくれる仕事である。
それはその人の態度にもよるだろうが。
世の中には多種多様な仕事がある。
人に喜ばれる仕事もあれば、人に嫌われる仕事もある。
人の目につかない所で働く人もいれば、表舞台に立って注目される人もいる。
職業に貴賤は無いというが、平等でもないと思う。
それはその人の生き方の現れでもあるからだ。
だがやはり愛というものが原動力にある仕事は素晴らしいと思う。
何をするということは問題ではない。
人間としてどうあるべきかが重要なのだ。
ガイドという職業を選んだボクは、この先どこへ進むのだろうか。
誰にも分からないしボクも分からない。
だから面白いのだとも言える。
その瞬間ごとに自分のやるべきことをやるのみ。
今はただそれだけである。
厳密に言うとガイドという職業を選んだ人間である。
ガイドとはそこを訪れる人を案内し、楽しみ方を教え共にその場を楽しみ、報酬としてお金を貰う。素晴らしい職業だと思っている。
あるホテルのマネージャーをやっている知人が言っていた。
「ガイドさんはいいよね。何て言ったって、1日の終わりにお客さんが『ありがとうございます』って言ってくれるんだから」
全くその通りである。
彼は立場上、お客さんに謝る事がかなり多い。そういう人から見れば羨ましい仕事であろう。
ボクの仕事が終わったときに、全てのお客さんがありがとうと言ってくれる。
もちろんこちらもお金を頂くのだから、ありがとうございますと言う。
お互いにありがとうと言って別れる。素晴らしいことだ。
さらにありがたいことに、再びリピーターとなってボクの所へ戻ってきてくれる人も多い。
リピーターの人達はボクの考えや行動に共感を持ってくれた人であり、ボクと一緒に時を過ごしたいという人である。
時にはボクと一緒にお酒を飲む目的で、はるばるニュージーランドまで来てくれる。ありがたいことだ。
そういう人達に接する時、ボクは精一杯、誠心誠意を持って、がむしゃらに、楽しんでもらうよう努力する。同時に自分が楽しむことも忘れない。
お客さんが楽しんでくれる事、これが何と言っても基本である。基本であるがその為に自分が楽しむ。
例えばパウダーの日、ドカーンと山がオープンした。どこを滑ってもいいぞ、さあどこへ行く?
その日の天気、風、日の当たり具合や山の混み具合を見てベストのバーンへ行く。
自分がおいしい所を滑りたいから。
結果的にお客さんもベストのバーンを滑ることになる。
もちろん、初心者の人を上級コースへ連れて行くようなことはしない。それぐらいの分はわきまえている。
お客さんが楽しんでくれて、自分も楽しんで納得のいく仕事ができた時のビールは格段にウマイ。
あなたハッピー、わたしハッピー。
シンプルしょ?
ある時、知り合いのガイドがこう言った。
「このコースはきれいだけど、もう飽きました」
本人には言わなかったけど、こいつはガイド失格だなと思った。
ぼくらは同じコースを毎日歩く。
やっていることは一見同じことだ。
だが昨日と今日では違う。
昨日つぼみだった花が今日は咲いていた。
昨日立っていた木が今日になったら倒れていた。
昨日は雨だったが今日は晴れた。
天気、風、鳥の動き、草花の育ち、それに一緒に歩くお客さん。
昨日と同じものはない。
そういった違いを見つけ出し、一回限りかもしれないお客さんに伝えるのがガイドだ。
言葉に出さなくても、「あ~あ、昨日と同じだ」という想いはお客さんに伝わる。ガイド失格である。
別の添乗員がこう言っていた。
「こういう自然の中の仕事は常に変化があっていいですね」
その人はパリのルーブル美術館に50回ぐらい行ったそうだ。
そこは夏に行っても冬に行っても、朝行っても夕方行っても同じなんだそうだ。そりゃ当たり前だ。
自然は違う。毎回違う顔を見せてくれる。だから面白い。
時に優しく、時にきびしく、同じものは何もない。
ツアーの添乗という仕事もある。
ガイドと混合されることがよくあるが、違う仕事である。
添乗員にガイド並の知識を要求する。これは無理だ。
添乗の仕事は世界あちこちへ行く。行く場所全てに現地ガイドと同じような知識経験など持てるわけがない。
添乗の仕事とはツアーがスムースに行くよう、行く先々で心を配ることである。
ホテルチェックイン、レストランのオーダー、現地ツアーの手配などがメインの仕事だ。
物騒な所ではお客さんに注意を促すし、健康管理にも気を使う。それに加え、お客さんが楽しめるようガイド代わりに説明をする。
楽ではない仕事だと思う。
だがやりがいのある仕事だとも思う。
ある添乗員が言っていた。
「自分はニュージーランドに何回も来ているけど、お客さんにとっては一生に一度のニュージーランド旅行になるかもしれない。だけどその一回の旅をご一緒できることが嬉しいんです。自分にできる範囲で最高のニュージーランドを見て頂きたい。そんな形でこれからも添乗の仕事を続けていきたいと思います。」
立派なものだ。彼の目は生き生きと輝き、添乗という仕事をしながらもこの国を楽しんでいるのが見えた。
こういう添乗員と一緒のお客さんは幸せだ。一緒に仕事をするガイドも楽である。
お金を貰う方と払う方と立場は違えどグループ全体が暖かい雰囲気に包まれ、全員がそれぞれにその瞬間を楽しむことが出来た。
全てにおいて良しである。
別の添乗員はお客さんを自分がコミッションをもらえる店に連れて行くことしか頭になく、そのツアーでは日程上そのお店に立ち寄れないとグチをこぼしていた。そいつの目は死んでいて、エゴが渦巻いていた。
こういう人と来るお客さんは可哀想だ。
添乗の仕事もガイドと同じで、仕事が終わった後にお客さんがありがとうと言ってくれる仕事である。
それはその人の態度にもよるだろうが。
世の中には多種多様な仕事がある。
人に喜ばれる仕事もあれば、人に嫌われる仕事もある。
人の目につかない所で働く人もいれば、表舞台に立って注目される人もいる。
職業に貴賤は無いというが、平等でもないと思う。
それはその人の生き方の現れでもあるからだ。
だがやはり愛というものが原動力にある仕事は素晴らしいと思う。
何をするということは問題ではない。
人間としてどうあるべきかが重要なのだ。
ガイドという職業を選んだボクは、この先どこへ進むのだろうか。
誰にも分からないしボクも分からない。
だから面白いのだとも言える。
その瞬間ごとに自分のやるべきことをやるのみ。
今はただそれだけである。
すごく勉強になります。ありがとうございます。m_ _m
共感とは周波数の同調です。
共感に感謝。
Funucky
オマエもがんばれ!