彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

会津若松と平泉訪問記 その6~鶴ヶ城~

2012年09月26日 | 日本100名城と続100名城
飯盛山で雨の洗礼を受けてから、移動は雨に振られながらになりました。

会津若松訪問の目的の一つである、赤い瓦になった鶴ヶ城見学のために、自転車を押しながら天守まで向かいます。
細かい城郭は2008年に訪れて見学していますので、目的は赤い瓦のみと言っても過言ではありません。
ちなみに、彦根城で見られる鉢巻腰巻石垣について、彦根では「彦根城と江戸城と鶴ヶ城の三城のみ」と紹介されることが多い為に、以前に訪れた時に確認しましたら、「表に見える城がこの三城(と言っても鶴ヶ城はギリギリ見える程度)だけど、築城技術としては地盤の緩い場所ではよく使われる技術」とのことでした。

さて話題を戻します。赤い瓦になった鶴ヶ城です。





ぱっと見ただけでは赤さがあまりわからないかもしれませんが、確かに赤瓦です。
以前の同じような場所からの撮影と比べてみると。





構図少し違うので解り難いですが、雰囲気変わってますよね。

ちなみに同じ構図だと
(現在の赤瓦)

(以前の普通の瓦)

です。

もともとは、寒さに耐えられる土で焼けば赤くなったのですが、再建時の瓦の技術では普通の色でも大丈夫だったようですね。
しかし昨今のより昔に戻すという考えから赤い瓦に葺き直し、2011年3月12日に赤い瓦をお披露目するイベントが計画されていたのですが、その前日に東日本大震災が起こったのです。
福島県でも内陸にある会津若松での被害は、海側に比べると少なかったとは聞きましたが、それでも余震の恐怖や、福島県というだけで風評被害もあったようでした。
大河ドラマ『八重の桜』はそんな福島県に新しい希望の灯となる事を願っています。

もう少し赤瓦の鶴ヶ城を紹介しますと…


 
そんな鶴ヶ城内に残る幕末からの遺構として鐘撞堂があります。
会津戦争の最後の瞬間まで鐘を撞いて時刻を正確に伝えて、味方を鼓舞したという鐘です。
ここの瓦や建物の色は前回見た時も赤色でした。

それに気が付かなかったとは不覚です…


さて、ここから城下に出て、今回のもう一つの目的地である八重の生誕地を目指します。この時になり雨は随分小降りになっていたのです。
コメント
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