三輪山の麓伊勢街道にある脇本遺跡は、泊瀬朝倉宮があった場所ではないかといわれています。泊瀬朝倉宮は雄略天皇の都として『日本書紀』に伝わっているのです。
その発掘はもう18次になるのですが、今回初めて現地説明会に行ってみました。
今回発見された遺構は、護岸設備です。
池状遺構の南側の護岸設備で石が積まれています。
高さは1.1m今回の発掘では東西に30mの長さが検出されたそうです。
しっかりと底を決めていてその基準となる基底石が並べられていますし、ところどころに目地が縦に並べられていて、積む為にずれが生じない基準にもなっていたそうです。
また、弥生時代の土抗やそれを埋めた後に建てた竪穴建物の跡も見つかりました。
(全体俯瞰)
(発掘された土器)
赤は土抗から
青は池状遺構から
ちなみに池状遺構は、しっかり高さが揃えられた整地された場所なのだそうですが、ここに水が溜まっていた形跡は無いそうです。
環濠集落を囲った空濠のような役目があるのか、それとも水を入れる予定で中止になったのか、謎は広がります。
その発掘はもう18次になるのですが、今回初めて現地説明会に行ってみました。
今回発見された遺構は、護岸設備です。
池状遺構の南側の護岸設備で石が積まれています。
高さは1.1m今回の発掘では東西に30mの長さが検出されたそうです。
しっかりと底を決めていてその基準となる基底石が並べられていますし、ところどころに目地が縦に並べられていて、積む為にずれが生じない基準にもなっていたそうです。
また、弥生時代の土抗やそれを埋めた後に建てた竪穴建物の跡も見つかりました。
(全体俯瞰)
(発掘された土器)
赤は土抗から
青は池状遺構から
ちなみに池状遺構は、しっかり高さが揃えられた整地された場所なのだそうですが、ここに水が溜まっていた形跡は無いそうです。
環濠集落を囲った空濠のような役目があるのか、それとも水を入れる予定で中止になったのか、謎は広がります。