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ヒューマン・エラーとアクション・スリップ

2013-10-01 | ヒューマンエラー
HIsato Imai 氏ブログより

第6回:ヒューマン・エラーとアクション・スリップ

2013年05月23日 格納先:講義

下の3冊は,ヒューマン・エラー(アクション・スリップも含む)を専門としている立教大学の芳賀先生の著書です。新しい順に紹介しておきますが,どれも平易でおもしろく,お勧めです。
•芳賀繁 「失敗の心理学 -ミスをしない人間はいない-」 日経ビジネス人文庫
•芳賀繁 「うっかりミスはなぜ起きる -ヒューマン・エラーの人間科学-」 中央労働災害防止協会
•芳賀繁 「失敗のメカニズム -忘れ物から巨大事故まで-」 日本出版サービス

次の海保先生の本も,ヒューマン・エラーやその防止策について,平易に解説しています。
•海保博之 「人はなぜ誤るのか -ヒューマン・エラーの光と影-」 福村出版
•海保博之 「ミスに強くなる! -安全に役立つミスの心理学-」 中災防新書
•海保博之・田辺文也 「ヒューマン・エラー -誤りからみる人と社会の深層-」 新曜社
•海保博之・宮本聡介 「安全・安心の心理学 -リスク社会を生き抜く心の技法48-」 新曜社

次の2冊の本は,さまざまな分野の専門家が分担執筆した専門書です。特に2冊目は,規則違反に関連して,組織による反社会的な意志決定の問題なども取り上げています。
•大山正・丸山康則(編) 「ヒューマンエラーの心理学 -医療・交通・原子力事故はなぜ起こるのか-」 麗澤大学出版会
•大山正・丸山康則(編) 「ヒューマンエラーの科学 -なぜ起こるか,どう防ぐか,医療・交通・産業事故-」 麗澤大学出版会

次の本は,心理学とリスクに関する総論的な章に加え,交通安全と医療安全に焦点を当てて,事故と安全について論じています。
•三浦利章・原田悦子(編著) 「事故と安全の心理学 ーリスクとヒューマンエラーー」 東京大学出版会

過剰安全

2013-10-01 | 心の体験的日記

昨日も300万円の振り込め詐欺のニュース
年寄が被害にあった

といっても、振込みではなく、現金の直接手渡し

きょう、妻名義で80万円を振り込もうとした
郵便局でも銀行でも
委任状がないとだめ

一度におろせる金額も50万まで
2か所の銀行から現金を下ろして準備しようとしたが
結局、あえなくだめ

振り込め詐欺から直接現金わたしになった理由がよくわかった 笑い いや笑いごとではない

こうなったら直接持参しようかなー



有料老人ホーム

2013-10-01 | 心の体験的日記


それにしてもその数の多さ、料金のぴんきりぶり
これでは選択麻痺に陥る

それでもあれこれ情報を集めていると、
だんだん、見えてくるものがある

要するに寿命と経費はほぼリニアな関係にある
しかし、入居時点で、ある程度、寿命の見通しが必要
長生き予定なら、一時金を多めにして
1月分を低くしないと、そのうち資金が枯渇してしまう
問題は、寿命が不確定
資金はほぼ確定というところにある

ありがたいのは、年金と介護保険
これは寿命と完全(将来は、わからない)にリニア関係

さらに、こんな財政問題もある
高齢化社社会の大変さを実感中
「参考」
介護保険サービスにかかる費用は現在、自己負担を除いた給付費ベースで年8.3兆円。制度創設10年余りで2倍以上になった。団塊の世代が75歳以上に25年には19.8兆円にまで達する見込みで、給付の効率化が課題となっている



海外研修。昔話

2013-10-01 | 心の体験的日記
 38歳頃というのは、研究者として油の乗り切った頃である。海外での10か月は、油に火を注いでくれるはずとの強い期待で出かけた。
 ところがである。英語がぜんぜんだめ。話を聞き取ることができないのだ。実は、こんなときのため、ということで英会話は大学生の頃からおりにふれ勉強はしてきた。英文の研究論文も1日に何編も読んでいた。英検1級の資格もとっていた。
それがネイティブとの会話ができないのである。このショックは、衝撃的だった。すっかり外出恐怖症になってしまった。
 余談だが、そんな話を日本から来た英語のしまおか先生にしたら、へんに自信をもって海外にくる人にそういう人が多いこと、しかも、高校の英語の教員の海外研修でかえって自信喪失に陥ってしまう人が多いとのこと。大いに納得したものだった。
 そうなると、勢いつきあうのは、日本人仲間ばかり。

魔の一瞬」安全・安心の心理学」新曜社

2013-10-01 | 安全、安心、

魔の一瞬



          ―――思わず悪魔の存在を信じてしまう瞬間
●魔の一瞬
 災害、犯罪、事故に遭遇する人は、なんらそうなる必然性がないのにそうなってしまう。事が起こってしまうと、そうなったのはそうなる必然性があったのかのごとくに思えるが、決してそんなことはない。
交通事故にあったとしても、その時その場に居合せるのは必然だとしても、そこに車が飛び込んでくることには、なんら必然性はない。地震で倒壊したビルの下敷きになる不幸も、その時その場を通ることには必然性はあっても、地震が起こる、ビルが倒壊することには必然性はない。
危険との遭遇には、このように、個人的には、「たまたま」「偶然」「運悪く」「思いもよらず」「まさか」「不可抗力」しとしか言いようのないところがある。まさに、魔の一瞬に出くわしたのである。

●2つのタイプの魔の一瞬
魔の一瞬にも、図に示すように、2つのタイプがある。
一つは、因果連鎖タイプ、いわば、「風が吹けば桶屋がもうかる」型のものである。たとえば、、
「集中豪雨になったーー>川に一気に水が流れ込んだーー>堤防が決壊したーー>家屋が浸水被害を被った」
時間的に先行して起こったことが後に起こったことの原因になることの連鎖で、最終的に危険に遭遇するタイプである。深追いすれば、この因果連鎖の鎖は、どこまでもさかのぼれるし、一本の鎖状の連鎖だけでなく、樹木状の連鎖もある。
もう一つのタイプは、複数要因の同時発生タイプである。たとえば、
「集中豪雨になった。その時、夜道を運転していた。たまたま道路が冠水しているところを通りかかった。よく見えなかったので、冠水の中に突っ込んで急停車。後ろからきた車に追突された。」
いくもの独立した要因――それは結果として魔の一瞬を作り出す原因の一つになるーーが、あたかも糸でたぐりよせられるかのごとくその時その場に寄せ集まって魔の一瞬を作り出すのである。
現実には、この2つのタイプの混合型が多い。






●魔の一瞬は確率問題
いずれのタイプでも、魔の一瞬との遭遇は確率問題になる。
因果連鎖タイプでも、一つの因果の発生は、確率的である。川に流れ込んだ水と堤防の決壊との因果ははっきりしていても、それが実際に起こるかどうかは実は確率的である。
原因同時発生タイプでも、まず、それぞれ独立した要因がその時同時に起こるのはまったく確率的である。さらにそれぞれの要因が魔の一瞬の原因になるのも、確率的である。
いずれもその確率が非常に低いのが、魔の一瞬の特徴である。だから、「運が悪かった」となるのである。しゃれた言い方をするなら、「悪魔のふったサイコロに身を委ねた」ことになるのである。
また、どんな領域でも、確率は、マクロ世界においてその妥当性が高まる。明日6時に自分の庭に雨が降る確率より、明日午前、茨城県で雨の降る確率のほうが、確実性が高まる。ごくごくまれなことが、自分の身というミクロ世界に起こることを想定していないのが、確率的な認識の特徴である。これも、魔の一瞬の特徴となっている。

●魔の一瞬に会わないために
前述した魔の一瞬の2つの特徴は、魔の一瞬に自分が遭遇することは極めてまれと誰しもに思わせることになる。したがって、魔の一瞬への備えをあまりしないことになる。しかし、これまた誰しもが極めてまれであることを知っていながら宝籤の一等を当てたいとも思っている。(実際は、宝籤で1等に当たるよりも、宝籤を買いに行く時に交通事故に遭う確率のほうがはるかに高いのだが。)そして、一等を当てるために涙ぐましい努力をする人もいる。
それと同じように、魔の一瞬には会わないための努力をしてほしいのだが、一人一人でできることは残念ながらあまりない。あえて、と言われれば、次の3つくらいになるであろうか。
一つは、その時その場に居ないようにすることである。
これはかなり難しい。誰にも生活ある。その電車に乗って職場に行かなければならない。子供は、その道を通って学校から家に帰らなければならない。戦争など危機的な状況なら別だが、防護壁をめぐらして家の中に閉じこもっているわけにはいかないのである。
それでも、ハザード(危険)マップ作りなどを参考にすれば、その時その場の回避や危険感受力を高めることくらいはできる。
2つは、魔の一瞬に会わないためには、時折、魔の一瞬に遭遇するかもしれないと、想像をたくましくしてみることである。あるいは、マスコミ報道があるたびに、自分がその時その場にいたらどうなる、どうすると考えてみるように習慣づけるのである。それだけでも、安全意識は高まるし、危険対処のレパートリーが増える。
3つは、一人一人の努力には限界があるが、国や地域全体、あるいは今日、明日ではなく長期的、といったマクロな視点で原因の除去、因果連鎖の確率を低下させる対策をすることである。確率はマクロになるほど扱いやすいし、効果的な対策が打てるのである。安全、安心への不安が高まっている昨今、これについては、本当は好ましくはないのだが、状況は良い。






閲覧数、2000台で安定

2013-10-01 | Weblog

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親子離れが難しい時代

2013-10-01 | 教育

学費が国立でも50円万を超えるようになった。私大はおよそ倍。
18歳の子供が自分で捻出できる額を超えている。となれば、保護者の支援が必要となる。
親子の関係でも、お金が絡むと面倒なことも多い。
出すほうは、出してあげたのだから、言うことを聞きなさい」
出してもらうほうは、だしてもらっているから、従わざるをえない」
となる。
 18歳、親子離れが心理的にも経済的にも起こって当然の時期に、お金がそれを妨げる。
 かくして、大学選びから就職まで、親の影響力のもとに置かれることになる。
保護者が大学の入学説明会にごっそりとくる。就職にもあれこれと口を挟むようになる。
これが子供の自律も自立も妨げることになる。
今、日本の高卒者のほぼ8割が、専門学校、短大も含めて進学する時代。
高学歴社会は、膨大な子供大人を量産し続けることになる。