楽観ーー気持ちを元気にする習慣づくり⑧
「何事もポジティブに」
● 楽観主義者ってどんな人
わが母、かなり過酷な家庭環境のなかでの孤軍奮闘であったが、母の母,つまり祖母の口癖は、「お母さんが楽観的な人だからよかったね」でした。
こうして心理学をずっと研究してきましたが、心を病んだ人をみるにつけても、確かに母の楽観が家庭崩壊を崖っぷちで防いでくれていたんだなーとつくづく思います。
今となっては判然としないのですが、母、とりたてて、明るいというわけでもありませんでした。ただ、何かを深刻に悩んでいるような素振りが一切ありませんでした。変な言い方になりますが、「悩めない人」でした。
●悩めない人
セリグマンは、楽観主義者(悩めない人)は、ひどい事態に直面したときに、次のような現実認識(説明のスタイル)をする傾向があることを指摘しています。
① 一時的なこと 悪いことが今押し寄せているが、それは、一時的である
② 特定的なこと 悪いことが起こっている原因は、たまたまそこにあった特定の理由によるもので、いつもその原因があるわけではない
③ 外向的にとらえること 外の事態をポジティブにとらえる
こうした現実認識が自然にできるかどうか、あるいは、習慣的になっているかどうかが楽観主義者かどうかを分ける決め手になります。
● 楽観主義者になる
認識の仕方(説明のスタイル)なら、そのように努力すれば誰でも楽観主義者になれそうな気がしますね。
何か悪い(ように見える)事が起こったとき、
① それはすぐに終わる
② 今回だけ特別
③ 悪いことの中にもいいことがある、あるいはもっと悪くならないでよかった
と考えるようにすればよいのですから。
では、練習してみましょう。
悪いこと;けがで入院
① 1週間がまんすればよい
② ついうっかりつまずいてしまった
③ これを機会に英気を養っておこう
悪いこと;試験に不合格
① また次のチャンスを
② 勉強時間がなかった
③受かるはずの太郎も落ちたんだから
いかがでしょうか。これなら自分でもできそうとなれば、楽観主義者の入口まで来れことになります。
あとは、こうした説明スタイルを習慣化することです。これには、時間がかります。最初はそれなりの努力がいります。
● 楽観主義のリスク
楽観主義。
いいことずくめではないことも知っておいたほうがよいかもしれません。
それは、前述したように、楽観主義は、現実認識(説明スタイル)に端を発していますので、認識の錯誤を免れることができないということです。
楽観主義は、事態を冷静かつ論理的に分析するのとは違った(正反対)の認識の仕方をベースにしています。
事が個人の認識の問題だけですむならそれでもいいのですが、事の解決を求められるようなことになると、自分に都合の良い楽観主義的な認識では、何かと危ないですね。
自分は、育ちもあり、どこからみても楽観主義者ではありません。
事のネガティブな面、欠点、不備なところにすぐに目が行ってしまうほうです。
ここで余談。あまり心理学的な根拠はありませんが、楽観主義者には育ちの良さのようなものがあるような気がします。育つ過程で、あまりリスクにさらされなければ、自然に楽観的になりますね。
ところで、かつていた大学のある管理職は、まぎれもなく楽観主義者でした。
一緒にいると楽しくなりました。
ただ、会議などになると、その楽観主義的なところが気になってしかたがありませんでした。つい、反論や突っ込みをいれたくなってしまいました。多くは、しまったとなるのですが、そうしないと、何かとバランスがとれた決定にならないところがあるような気がして、そのようにしていました。