月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

京都府与謝郡伊根町(丹後半島)宇良神社太鼓台(大阪付近ではだんじりと呼ばれる形態の練り物) -「太鼓台」と「だんじり」のルーツ考-

2019-01-13 17:17:31 | 祭と民俗の旅復刻版祭・太鼓台

 四国地方の瀬戸内沿岸に住む人や、播州から泉州に住む祭りマニアの方の多くは、「太鼓台」ときけば、写真のような、愛媛県と香川県の瀬戸内沿岸に分布する多重布団屋根型の担ぎ式太鼓台を思い浮かべるだろう。少なくとも、岸和田にあるような曳きだんじりを思い浮かべる人はごくまれであろう。

 ここのテーマになる与謝郡伊根町より、車で20分ほど西に行った同じく丹後半島の北部、与謝郡袖志町に「太鼓台」があるということは知っていた。さすがに布団屋根型の太鼓台を思い浮かべることはなかったが、出石にあるような家屋根型の「太鼓みこし」のようなものが「太鼓台」と呼ばれているのだと漠然と考えていた。

  そんな中、僕は、浦島伝説に興味があり、浦嶋子(浦島太郎)を祭神とする宇良神社に車で向かっていた。
 筒川をわたると八柱大神の幟がそちこちに立てられている。本庄上(ほんじょうあげ)の町会所に差し掛かると、一階のガレージが開かれており、和太鼓をつんだ小さなお囃子だんじりのようなものがあるのがわかる。それを見て、その日が祭の日であると分かった。太鼓は練り物の進行方向と垂直にすえられているので、曳行のときは、太鼓の打ち手はあるきながら打つものだと考えていた。


 浦嶋伝説の舞台となる筒川。



太鼓が設置されている、「太鼓台」と呼ばれる練り物。

 そのお囃子だんじりのようなものを写真に撮らせてもらえるように、町会所の玄関前で酒を酌み交わす町の方々にたのんでみると、快く承諾してくださるばかりか、町会所の中の様子の撮影も許可していただいた。町会所と山車の収蔵庫が合体しており、収蔵庫が一階、会所が二階という形式などは、祇園祭の山鉾町の町会所に似ているかもしれない。ただ、祇園祭の山鉾町の町会所が縦長なのに対して、本庄上の会所は横長であることは相対する。
 二階に上がると、剣鉾の鉾頭、長刀(大太刀と呼ぶらしい)十本、棒ふりの棒、御幣が七本さしこまれたされた木箱が上座に飾られていた。このことから、本庄上の練り物は、祇園祭の綾傘鉾のように棒ふりなどの踊りとともに、練り歩く類のものであると予測していた。


長刀型の大太刀

   

御幣が差し込まれた木箱、小太刀、棒ふりの棒、剣鉾の頭。太鼓のばち。

 さて、次の日の朝になると、収蔵庫から練り物は外に出されており、町の人は鉢巻に袴姿で粋に着飾っている。その様子を見て、袴をはいたものが棒ふりなどをしながら練り歩く京都祇園祭の綾傘鉾のようなものを思い浮かべた。だが、外に出されたその練り物の印象は昨日と全く違うものだった。それは、太鼓が進行方向に沿ってすえられており、打ち手用の座り台も備え付けられている。そして、後ろ梃子!それは、あの岸和田のだんじり祭において、やりまわしのときに大きな役目を担う後ろ梃子が、この練り物にもつけられているのだ。よくよく見ると、練り物本体の大きさのわりに、足回りはかなり頑丈そうなものとなっており、かつては、かなり激しく曳き回していたのかもしれない。しかも、その練り物の後ろに、猩々緋と呼ばれる大きな幟、剣鉾、傘鉾と後部に棒状のものを立てる様子も、岸和田のだんじりと共通する。



太鼓が進行方向と同じ向きにすえられ、のった状態で太鼓をうつことができる。



岸和田のだんじりを髣髴とさせる、三本の棒状祭具を練り物の後ろに立てかけた様子。左から剣鉾、傘鉾(傘御幣ともいえる。)、(猩々緋)

 
 これも岸和田のだんじりを思い出させる後ろ梃子(てこ)。



足回りは、小型な練り物にもかかわらず、頑丈なものになっている。


 さて、その練り物の曳行前になると、後ろに立てられた猩々緋、剣鉾、傘鉾ははずされた。太鼓と笛が鳴り、太刀舞いの指揮役ともなるダイフリの合図で、宇良神社への道中が始まる。真夏の日差しに照らされた道中はやはり、きつそうだと感じつつその一行について歩いていると、やがて、お宮さんに近づいてくる。
 



宇良神社までの道中。様相は小型のだんじりといえる。


 そして、そのだんじり型の練り物は、宮入のときにその本領を発揮する。ダイフリの一際大きな掛け声で、だんじり型の練り物は疾走して宮入りしたのである。
 その練り物は宮入後も役目を終えることはない。今度は、太鼓を、前日みたように練り物の進行方向と垂直にすえなおし、横から立った状態で太鼓を打てるように形態を変化させた。そして、その太鼓は、宇良神社名物の見事な太刀振舞の基幹のリズムを形成する重要な役割をはたす。そんな太鼓を運び、その時々によって姿を変えるその練り物が、太鼓を支えるという意味の「太鼓台」と呼ばれていることにもうなづける*。
 その太鼓台から、宇良神社名物の見事な太刀振の奉納がはじまるのである。
 



宮入後は、太鼓が練り物の進行方向と垂直にすえられ、練り物の下から立った状態で太鼓を打つ。



 もしかしたら、日本を代表する名物とも言える、かつては芸能とも関連していたと言われる岸和田のだんじりのルーツとも言える姿が、ここにあるのかもしれない。
 

*兵庫県の淡路島に分布する五段布団屋根型担い式太鼓台は、都筑地方などでは「だんじり唄」の奉納の際の演奏用にその「太鼓」が使われる。そして、その「担い式太鼓台」は「だんじり」と呼ばれている。そうなると、「太鼓台」「だんじり」とは、演奏用の太鼓を移動させる道具を意味するものだったと考えられるのかもしれない。

 

■全くのよそ者の私を、快く受け入れてくださった、宇良神社氏子地区・本庄上区の区長様、青年団長様、祭礼関係者の皆様方に深く感謝申し上げます。

2001-2007年頃ジオシティーズウェブページ「祭・太鼓台」『祭と民俗の旅』ID(holmyow,focustovoiceless,uchimashomo1tsuなど)に掲載。
2019年本ブログに移設掲載。写真の移設が自動的にできなかったため、随時掲載予定。

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