四国地方の瀬戸内沿岸に住む人や、播州から泉州に住む祭りマニアの方の多くは、「太鼓台」ときけば、写真のような、愛媛県と香川県の瀬戸内沿岸に分布する多重布団屋根型の担ぎ式太鼓台を思い浮かべるだろう。少なくとも、岸和田にあるような曳きだんじりを思い浮かべる人はごくまれであろう。 ここのテーマになる与謝郡伊根町より、車で20分ほど西に行った同じく丹後半島の北部、与謝郡袖志町に「太鼓台」があるということは知っていた。さすがに布団屋根型の太鼓台を思い浮かべることはなかったが、出石にあるような家屋根型の「太鼓みこし」のようなものが「太鼓台」と呼ばれているのだと漠然と考えていた。
そのお囃子だんじりのようなものを写真に撮らせてもらえるように、町会所の玄関前で酒を酌み交わす町の方々にたのんでみると、快く承諾してくださるばかりか、町会所の中の様子の撮影も許可していただいた。町会所と山車の収蔵庫が合体しており、収蔵庫が一階、会所が二階という形式などは、祇園祭の山鉾町の町会所に似ているかもしれない。ただ、祇園祭の山鉾町の町会所が縦長なのに対して、本庄上の会所は横長であることは相対する。
さて、次の日の朝になると、収蔵庫から練り物は外に出されており、町の人は鉢巻に袴姿で粋に着飾っている。その様子を見て、袴をはいたものが棒ふりなどをしながら練り歩く京都祇園祭の綾傘鉾のようなものを思い浮かべた。だが、外に出されたその練り物の印象は昨日と全く違うものだった。それは、太鼓が進行方向に沿ってすえられており、打ち手用の座り台も備え付けられている。そして、後ろ梃子!それは、あの岸和田のだんじり祭において、やりまわしのときに大きな役目を担う後ろ梃子が、この練り物にもつけられているのだ。よくよく見ると、練り物本体の大きさのわりに、足回りはかなり頑丈そうなものとなっており、かつては、かなり激しく曳き回していたのかもしれない。しかも、その練り物の後ろに、猩々緋と呼ばれる大きな幟、剣鉾、傘鉾と後部に棒状のものを立てる様子も、岸和田のだんじりと共通する。
■全くのよそ者の私を、快く受け入れてくださった、宇良神社氏子地区・本庄上区の区長様、青年団長様、祭礼関係者の皆様方に深く感謝申し上げます。 |
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