月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

254.木場の亥の子-新しい祭と古い祭が与え合う影響(月刊「祭」2020.1月5号)

2020-01-20 13:27:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●松原八幡神社木場屋台
 勇壮な屋台の練り合わせや、激しい神輿のぶつけ合いで知られる「灘のけんか祭・松原八幡神社秋季例大祭」。その中でも木場屋台は、松原八幡神社の屋台の中でも最古であることが、18世紀の書物でも明記されている歴史ある屋台と言えます。そんな歴史ある屋台は思わぬ副産物を生んでいるようでした。
 


●明治はじめころまで夏祭にも??
 現在、木場の最も海側の地域である大木場には木庭神社が残っています。ここでは、七月(旧暦六月?)に夏越しの祭が行われます。1970年代?に発行された『姫路市史』によると、この時にも木場屋台は明治時代ごろまで出ていたといったようなことが、書かれていたのを管理人は読んだ気がします。
 
●屋台祭の文化⇄亥子
 旧暦十月亥の日などに行われる「亥子づき」などと呼ばれる藁などで大地を打つ風習は日本各地で見られるそうです。このような大地を打つ風習は、曽根天満宮に見られる竹割や灘型屋台とともに運行する「のぼり」が地面を打つ風習にも影響を与えているように見えます。もしかしたら、妻鹿屋台の胴突きもこの影響かもしれません。これらは、古い亥子づきの風習が屋台が出る秋祭に与えた影響と言えるでしょう。
 一方、新しい屋台の出る祭もまた、亥子づきに影響を与えています。それは、百の言葉よりも一枚の写真が説得力があります。下の写真は兵庫県立歴史博物館に残る木場の亥子です。屋台型ですね。博物館の解説によるこのような神輿のようなつくりものを亥子の日につくって練り歩く風習は、松原八幡神社と海を隔てた家島群島や、神社の付近に分布していたそうです。



 このようなものを作るのは木場では戦後から平成を待たずして途絶えたと聞きました。木庭神社には、その絵馬が残っています。当時の子どもたちにとっては、亥子は屋台練りの練習にもなっていたのかもしれません。








 


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