何日か前に、TBS系の番組で「信長コード」という名の番組が放映された。 番組の主な内容は、 1 信長暗殺の首謀者は室町幕府と朝廷の権威復活を望む公家さんだったこと 2 秀吉は、光秀の信長暗殺後、光秀を裏切り討ち取ったこと 3 信長は、安土城において神道、キリスト教、佛教あらゆる神の中心に自らをおいたこと。 4 信長は、御所前を牙体で駆け巡ることで、朝廷を威嚇したこと。 5 安土城の絵が、バチカンのどこかにあるらしいこと。 である。
この中で目を引くのが信長の神に対する考えである。 3,4から、信長は、天皇・神をも恐れぬ態度をとっていたことが分かる。 そして、その断片は、京の都における信長の信仰にも現れているのである。
都が都たるゆえんは、現人神たる天皇がそこに住むからである。 その住居は内裏と呼ばれ、都の碁盤の目の一番北側の東西を二分するところに置かれた。その配置は天皇が天皇大帝、つまり、不動の天体である北極星を意味することに由来する。 平安京の造営は、その内裏にふさわしい位置を決めることから始まった。北極星の神を地上におろさんがために、形の整った神備山を内裏の背にしたい。そこで、その神備山としての役目を果たすことになったのが、船岡山である。 現在船岡山に位置するのは、織田信長を祭る健勲(たけいさお)神社である。これは、明治天皇によって創建されたのでその歴史は古くない。その船岡山は、かつては今宮神社の御霊会の会場であったのである。では、その御霊会において祀られる神、天皇を見下ろす位置、臣民が天皇に拝礼した際に仰ぎ見るより、大きな存在となるのは誰なのだろうか。 その神こそが、天皇家に国家の主権を譲り渡した一族である、祇園社にも祀られる牛頭天王・須佐之鳴尊であり、大国主命である。そして、明治より前までは、テンノウといえば、天皇家ではなく、牛頭天王・須佐之鳴尊を意味することの方が一般的であった。牛頭天王・須佐之鳴尊や大国主命は、天皇家に国をのっとられたかつての首長の象徴であり、それは怨霊となり、度々、朝廷の頭を悩ませることになった。さらに、貴族同士の権力争いや各地での叛乱の鎮圧により、菅原道真や平将門などの新たなる怨霊が加わっていった。 天皇は北極星の地位を付与されたとはいえ、真の意味では北極星になれなかったのかもしれない。結局は、北斗や北極星に真の意味でなりえたのは、彼らまつろわぬ神だったといえるだろう。 この祇園牛頭天王こそが、信長が最も信仰する神だった。祇園社・八坂神社の神紋にも織田家の家紋である五つ木瓜が加えられた。これは、何を意味しているのだろうか。信長は、皇室の天照大神の血ではなく、真の意味での北極星である牛頭天王・須佐之鳴尊の血を欲したのではないだろうか。 だからこそ、自らの家紋を祇園社の神紋に付け加えたのだろう。 2001-2007年頃ジオシティーズウェブページ「町のつくり」『祭と民俗の旅』ID(holmyow,focustovoiceless,uchimashomo1tsuなど)に掲載。 2019年本ブログに移設掲載。写真の移設が自動的にできなかったため、随時掲載予定。
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