月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

240.長崎大村市の成田山(月刊「祭」2019.12月4号)

2019-12-12 12:39:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●全国の成田山
 全国には「成田山」が数多く存在します。「成田山」は交通安全を祈り、車を持ち込んだ信者がいたことから、全国的に交通安全祈願の寺院として認識されています。
 管理人は縁あって、長崎県大村市と関わることが多くなりそうなのですが、その大村市にも成田山はありました。

●成田山長大寺
 長崎県大村市の国道34号線ぞいに長大寺はあります。縁あってこの地に建てられたとのことです。



↑西国の観音霊場の観音も。







↑御不動産が山の上にいらっしゃいます。

このような「成田山」がなぜこの地に建てられたのでしょうか。

●長大寺の立地(参考:ウィキ●ディア)
 長大寺は、下の地図に見られる位置に位置しています。この地はかつて長崎街道が通っていた地だそうです。そして、現在も大村市と諫早市、長崎市を結ぶ重要な交通の要所となっています。
 さらに、1951年の大村空港の発足から、世界初の埋め立て空港・長崎空港ができました。長崎空港は地方空港にしては珍しく中国などへの国際版も有していました。より、空港がある大村から諫早、長崎に通じる国道34号線の重要度も増して来ました。
 江戸時代の長崎街道から、現在の空港-都市道と性質は進化しています。ただ、長大寺がある大村市と諫早市の境目は交通の守護「成田山」の立地にふさわしいものと言えるでしょう。




謝辞
 突然現れた見ず知らずの私に対し、さまざまなご厚意をたまわった成田山長大寺関係者の方に御礼申し上げます。


コメント (1)
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239.学び続ける子どもの祭-神戸オリニマダン-(2019.12月3号)

2019-12-10 11:10:00 | コリア、外国
●神戸オリニマダン
 神戸어린이 마당•オリニマダンは今年で22回目を数えます。この祭は、神戸オリニソダンという、神戸市内に住む小学生が通うコリアの文化・語学などを教える教室の発表会です。管理人は前職(神戸市立小学校教職員)の頃から、スタッフとして参加させて頂いています。
 この祭は主に午前の部の舞台発表、昼食、午後の部のお楽しみコーナーに分かれています。それぞれの概要を書いていきます。

●会場準備
 会場は蓮池小学校、だいち小学校、真陽小学校、長田南小学校の持ち回りとなっています。前日からコリア教育文化センターの方、有志の先生方が手際よく準備をしていきます。また、保護者の方々が腕を振るって、昼食の準備も前日から行ってくださいます。準備管理人は子ども用のハングル名札の制作などを担当することが多かったのですが、今年は仕事で準備できませんでした。前日にはそれまでの多文化共生学習やコリア文化学習などのとりくみを紹介した掲示物が貼られます。





 当日は、それぞれの舞台や昼食、出し物の準備、受付の準備を行い、子どもたちやお客さんを迎えます。この日には神戸市内の大学生や、韓国の大邱市からボランティアとしてお手伝いしてくれました。




●午前の部・舞台発表
 中学生の司会により、この祭始まります。見知らぬ人が数百人単位でいる前での堂々たる司会でした。
부채줌・プチェチュム
 管理人は準備などで見ることができなかったのですが、毎年부채춤・プチェチュム・扇踊りが、高学年の女子によってなされます。下の写真は、オリニマダンのポスターを撮ったものです。



 また、全員でコリア語の歌も歌います。大きい声で歌っている子、少し恥ずかしそうな子もいますが、母語を使って歌う様子に心を打たれます。

대구 꿈꾸는씨어터•大邱 夢見るシアター
 大邱の夢見るシアターが、ゲスト出演してくださいました。プロの演奏技術にみんなが聞き惚れ、プロの踊りに目と心が奪われました。
 この公演は神戸コリア文化教育センターが大邱のゲストハウスなどを通じた交流活動の一環として近年始まりました。
 




단심줄・タンシムチュル
 タンシムチュル•단심들 では、赤青黄緑などの色とりどりの布を持った子どもたちが、右へ左へ楽しく棒を中心に歩き回ります。するとあら不思議。


布が規則正しく絡み合い、斜めチェック模様の一本の棒ができていきます。


ベトナム語劇とムア・ラン(獅子舞のようなもの)
 ベトナム語教室の子どもたちが、「大きなかぶ」のベトナム語版演劇を見せてくれました。「うんとこしょ、どっこいしょ・ニョ カイレン、ニョ カイレン」はみんなで声を出しました。


 ムア・ランという獅子舞のようなものです。布袋を思わせる僧形のものが、する姿は、日本で子どもが獅子に相の手を入れる様子に似ていますが、詳しい考察は次号以降で行います。


プンムルノリ・韓国の伝統的打楽器
 ポク(太鼓)や長鼓(チャンゴ)、チン、ケンガリの四つの音・四物・サムル・사물を打ち鳴らし練り歩きます。この時ばかりは、昼食の準備をしていた保護者の方々も我が子の活躍を見んと、体育館にやってきます。


●昼食と午後の部
昼食
 昼食はクッパでした。家庭科室で調理した鍋をエレベーターで運びます。誰ともなしに、先生方が誘導して、多くの人数が混乱することなく食べることができました。



体験コーナー
 昼食がおわると子どもたちは体験コーナーに向かいます。料理、写真縦作りと衣装試着、工作、テコンドー(+ハングルしおり作り)、伝統遊び(+ハングルしおり作り)、楽器体験(+ハングルしおり作り)の6の体験が用意されています。ハングルが「ギリ」読める管理人はしおり作り担当です。

↑写真右下はしおり作りをしている子どもたち、ハングルで自分の名前を書きます。右上はテコンドー体験、道着を着ている子はお手本となる子で、前の私服の子たちが体験中です。


↑ペンイと呼ばれるコリア式のこま回しをしています。

クイズ大会
 先生方が列を作り、⚪︎と×の境目となって⚪︎×クイズ大会です。目指せ!コリアクイズ王。自称民俗学者で韓国通の管理人も知らないことが目白押し。



●裏方の活躍と子どもたちの日常
裏方の活躍
 この祭の主役は間違いなく子どもたちです。しかし、主役が輝くためには裏方が必要です。裏方は、保護者であり、教育センターやボランティアのスタッフの方々であり、有志の学校の先生方です。
 管理人は韓国のボランティアの方と行動を共にすることがよくあった今回の祭ですが、そのお二人が驚いていたことがあります。それが、神戸の先生方のチームワークです。今まで祭り一色だった会場が、瞬く間に通常の学びの場に戻っていく様子を見て驚いていました。

多くの大人を動かすもの
 では、なぜここまでたくさんの大人がこの祭のために動くのでしょうか。それは一言で言うと、子どもたちの頑張りによるものと言えます。出演している子どもたちは、歌や演技の練習だけをしているわけではありません。
 小学生がこなす勉強やスポーツ、習い事などの日常に加えて、常にコリアの言語や文化と向き合う学習を続けています。語学の学習というのは、必ずしも楽しいだけのものではありません。また、メディアや一部の「持つもの」が戦略的に憎悪を煽動している様子を目の当たりにしている子もいます。
 このような逆風の中でも直向きに頑張っている姿を見ている大人たちが協力をしているのだと思います。
 
 

↑子どもや教え子の活躍を見守る先生方もこの中にいました。



 管理人としては非常に楽しい「祭」になりました。また、この祭と出会って以来、このブログでこそ紹介したいと思い続けてきました。今年、ようやく紹介できました。
 スタッフのみなさま、先生方、そしてそこで学ぶ子どもたちに勝手に感謝します!
 


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238.祭を経験のない人に伝えるには(月刊「祭」2019.12月2号)

2019-12-04 14:11:00 | 屋台・だんじり・神輿-子どもへの指導、後継者育成-

●増えてきた祭の話を伝える機会
 最近小学校では、各学校の地域副読本(「わたしたちの◯◯」などという本)で、祭の記述が見られたり、道徳の教科書や音楽の教科書で祇園祭であつかうなど、祭りをあつかう教材がふえてきました。
 また、近年では播州などでも祭を扱った博物館の展示や、書籍が少しずつ増えてきています。それに伴って、大学などでも祭を扱うことが増えてきました。そのような中で、我々祭オタクが話をする機会も少しずつ増えてきているように思います。
 とはいえ、普段話している祭関係者相手に話すのとは、勝手が違うこともあります。おみこっさんと屋台の違いが分からなかったり、「練り合わせ」がわからなかったり、それこそ「台車」のイメージも難しいというのが現状です。
 ここでは、民俗学や歴史学を専攻していない、祭にも関わったことのない学生さんにどのように話すのかを自分の経験から考えてみました。だいたい20人くらいを相手にした場合と思ってください。
 
●大前提
 まずは、歴史的なことよりも現代的な問題に関心があるということです。どこぞの祭ブログの管理人みたいに自分の調べた内容をここぞとばかりに嬉々と話すだけでは退屈してしまいます。
 
●留意点
 コツとしては次のような感じでしょうか
①屋台の大まかな分布
 神輿との違いを簡潔に述べたあと、写真と地図をつかうといいと思います。
 
 








 
 ②屋台にいくまでの祭の歴史
  管理人は播州全体についていくつも 例をあげてダラダラと話してしまいましたが、主題とする祭を一つ決めて具体例としてあげ、その後一般化して話す方が分かりやすかったと思います。
 屋台前→江戸時代→戦前くらいまでを簡潔に。「自分が発見して面白いと思うのを伝えたい」気持ちもわかりますが、根拠をつらつらと述べるよりも面白いと思うポイントを絞る。
 
●メインのお題について
 例えば社会学部の学生さんだったら、こちらで現状を報告して、後継者不足などの問題について議論するなどしてみると面白いかと思いました。
 美術系の学生さんなら、彫刻や刺繍をメインテーマにもってくることもできるかもしれません。
 こちらが一方的に話すだけでなく、学生さんの興味に沿って、あれやからやと話して意見を言う機会を設けるといいように感じました。また次の機会があったら頑張ってみます^_^
 
 
 
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237.大阪市止止呂支比売命神社安立七丁目だんじりの取り付けられたものと失ったもの(月刊「祭」2019.12.1号)

2019-12-02 19:47:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
大阪市若松神社(止止呂支比売命神社・とどろきひめじんじゃ)安立(あんりゅう)七丁目御座船だんじり
 このだんじり は、江戸末期につくられたと思われる船だんじりです。若松神社(アクセスなど)は住吉神社の鬼門の守りだそうで、御座船の人型として二つの珠をもつ竹之内宿禰が乗っているところは、祇園山鉾のような山車に人形を乗せる文化の名残のようにも思えます。
 昭和30年頃まで運行していたそうですが、現在は大阪歴史博物館(アクセスなど)で展示されています。



 江戸時代のものとはいえ、一切形を変えずにここまできたとは思えません。そこで、どこがかわったのかを観察していきましょう。
 
●付け加えられたもの
 船の横には梃子棒がついています。接続部は鉄をねじりボルトのようなもので止められていました。少なくとも接続部は後から作られたと考えられますし、梃子棒が後から取り付けられたとも考えられそうです。





         ↑
上の写真底辺中心部にあとからつけられたような穴が空いています。ここに下の写真の後梃子が差し込まれていたようです。彫刻を避けることもなく中心に穴が開いており、周囲をやはり現代的な方法で体枠取りしてあるので、これも後に利便性を考えて取り付けられたと思われます。
 
●なくなったものもある??
 この状態だと後ろからは太鼓が丸見えになります。この後部の空間には何があるのでしょうか。そこで、同じ博物館の船の模型を観察してみました。後には方向を調節する舵が北前船の模型にはついています。たしかに、おなじように舵をつけていると梃子棒はつけられません。


 




●つけられたもの、外されたもの
 運行がスムーズにできる梃子棒が取り付けられ、一方で水の上では重要な役割をしながらも、陸では無用となった舵は梃子棒の取り付けとともに失われたものと思われます。
 
 
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