「これは事実談であり、この男は実在する…」
少年劇画「空手バカ一代」の冒頭に刻まれたこの言葉は、
私の人生を大きく左右する運命の言葉となる。
この実在する男とは・・・大山倍達(おおやまますたつ)
そう、極真空手の創始者で世界中の人々から
「ゴットハンド」と呼ばれた日本空手界の革命児だ。
それまでは熱血野球少年だった私。夢は甲子園。
ヒーローも王や長島だった。
名門野球校に特待生入学した私からバットとグローブを
捨てさせた男が大山倍達館長だった。
この男は私の憧れ・ヒーローになった。
大山倍達。
第二次大戦後、東京の池袋に大山道場を開く。
沖縄古伝の空手から脱却し、寸止め制を導入した試合形式
でまとまろうとする当時の空手界に警鐘を鳴らし、あくまで
「強さ」にこだわった直接打撃制を用いて独自の道を歩む。
だが、その方向は理解されず、邪道空手、品格なきケンカ空手
と当時の空手界からは批判され孤立することに。
しかし「本気で打ち込まずして、何故空手本来の実戦力を
証明できるのか?、強さの信用を得られるのか?」
という自らの信念を貫き、国内を武者修行、
「組手の強さでは大山に伍する者なし!」との評価を得る。
その後、人間相手では飽き足らず、猛牛と闘いこれを制し、
世界に空手を普及すべく渡米。ボクサー・レスラーなど
幾多の格闘家と対戦し全勝。「神の手」ゴットハンドと
呼ばれ最大の尊敬を得るに至った。
帰国後、「巨人の星」や「あしたのジョー」などの原作者
故梶原一騎氏により、自身の一代記を劇画「空手バカ一代」
として発表されることにより、日本中にその名を轟かせ、
青少年の間に爆発的な空手ブームを生み出した。
自身が創設した国際空手道連盟・極真会館は
全世界約120ヶ国に支部を持ち、道場生約1200万人
を誇る世界最大の空手組織へと成長した。
そして亡くなった今も、K-1や総合格闘技など
日本格闘技界のルーツを生み出した伝説の武人と
してその名は燦然と輝いている。
私が大山倍達館長の劇画と出会ったのは、その極真空手が
大きく伸びようとする時期だった。
野球部を退部した私はその足で大山倍達館長率いる
極真会館に入門した。
稽古前の張り詰めた空気、先輩たちの鋭い視線、どれも
劇画の中の道場そのままだった。
今の様に足や拳頭に巻くサポータなどない時代、稽古の
後は足首やすねがパンパンにはれ上がり靴がはけないし、
蹴られた太ももが痛くてバスのステップも上がれない
ほどのダメージだったが「これが大山倍達の空手だ」
と思うと、この痛みも納得できた。
あの頃から早いもので、もう20数年の歳月が流れた。
そして今も純白の空手衣に、毎日、袖を通せる人生を
歩ませてもらっている。
劇画「空手バカ一代」の文中にゲーテのこんな言葉が
引用されている。
‘人生にはその人の一生を左右する、
さまざまな、めぐりあいがある。
師、友人、恋人、敵・・・
しかし、ただ一冊の書物が しばしば
それらにもまさる 決定的な影響を
もたらす場合がある ’
私も間違いなく めぐりあってしまった・・・
少年のあの日、人生を左右する一冊の書物に。
素晴らしき空手人生に乾杯!
少年劇画「空手バカ一代」の冒頭に刻まれたこの言葉は、
私の人生を大きく左右する運命の言葉となる。
この実在する男とは・・・大山倍達(おおやまますたつ)
そう、極真空手の創始者で世界中の人々から
「ゴットハンド」と呼ばれた日本空手界の革命児だ。
それまでは熱血野球少年だった私。夢は甲子園。
ヒーローも王や長島だった。
名門野球校に特待生入学した私からバットとグローブを
捨てさせた男が大山倍達館長だった。
この男は私の憧れ・ヒーローになった。
大山倍達。
第二次大戦後、東京の池袋に大山道場を開く。
沖縄古伝の空手から脱却し、寸止め制を導入した試合形式
でまとまろうとする当時の空手界に警鐘を鳴らし、あくまで
「強さ」にこだわった直接打撃制を用いて独自の道を歩む。
だが、その方向は理解されず、邪道空手、品格なきケンカ空手
と当時の空手界からは批判され孤立することに。
しかし「本気で打ち込まずして、何故空手本来の実戦力を
証明できるのか?、強さの信用を得られるのか?」
という自らの信念を貫き、国内を武者修行、
「組手の強さでは大山に伍する者なし!」との評価を得る。
その後、人間相手では飽き足らず、猛牛と闘いこれを制し、
世界に空手を普及すべく渡米。ボクサー・レスラーなど
幾多の格闘家と対戦し全勝。「神の手」ゴットハンドと
呼ばれ最大の尊敬を得るに至った。
帰国後、「巨人の星」や「あしたのジョー」などの原作者
故梶原一騎氏により、自身の一代記を劇画「空手バカ一代」
として発表されることにより、日本中にその名を轟かせ、
青少年の間に爆発的な空手ブームを生み出した。
自身が創設した国際空手道連盟・極真会館は
全世界約120ヶ国に支部を持ち、道場生約1200万人
を誇る世界最大の空手組織へと成長した。
そして亡くなった今も、K-1や総合格闘技など
日本格闘技界のルーツを生み出した伝説の武人と
してその名は燦然と輝いている。
私が大山倍達館長の劇画と出会ったのは、その極真空手が
大きく伸びようとする時期だった。
野球部を退部した私はその足で大山倍達館長率いる
極真会館に入門した。
稽古前の張り詰めた空気、先輩たちの鋭い視線、どれも
劇画の中の道場そのままだった。
今の様に足や拳頭に巻くサポータなどない時代、稽古の
後は足首やすねがパンパンにはれ上がり靴がはけないし、
蹴られた太ももが痛くてバスのステップも上がれない
ほどのダメージだったが「これが大山倍達の空手だ」
と思うと、この痛みも納得できた。
あの頃から早いもので、もう20数年の歳月が流れた。
そして今も純白の空手衣に、毎日、袖を通せる人生を
歩ませてもらっている。
劇画「空手バカ一代」の文中にゲーテのこんな言葉が
引用されている。
‘人生にはその人の一生を左右する、
さまざまな、めぐりあいがある。
師、友人、恋人、敵・・・
しかし、ただ一冊の書物が しばしば
それらにもまさる 決定的な影響を
もたらす場合がある ’
私も間違いなく めぐりあってしまった・・・
少年のあの日、人生を左右する一冊の書物に。
素晴らしき空手人生に乾杯!