先日「桜守」16代目・佐野藤右衛門さんがテレビの番組で
「桜は人の心がわかるのです」と話されいた。
自分の父親である15代佐野藤右衛門さんが生前こよなく愛され育てていた
桜のお話で、その桜は先代が亡くなられる前年にこれまでに見たことがないくらい
‘鮮やか’に咲き誇り、先代が亡くなられた年から一切咲くことなく寿命を迎えたという不思議な話でした。
自分を愛してくれた桜は、先代の魂とともに旅立った。
藤右衛門さんは『私はその桜を見て真剣に「桜守」を継ごうと思った』と
話されていました。
桜は人の心がわかるのですかね?
保津川下りの乗船場にも今年、近年稀に見る鮮やかで美しい桜が
咲き誇っています。
そして・・・この桜の風景を見られるのも今年が最後になる?…のです。
今の遊船乗船場周辺は京都府が推進している「桂川河川改修工事」計画により
取り壊され遊船事務所も移転を迫られています。
それにともない堤防の桜並木も全て切り倒される運命にあるのです。
保津川下り乗船場内には、乗船場事務所と待合室・売店の
前・堤防沿い約20m間を桜並木として整備しており
ソメイヨシノや八重桜など約10数本が植えてあります。
これらの桜並木は、今の「保津川遊船企業組合」が
大手資本から独立し「自主運航」果たした昭和45年に
、当時の先輩組合員達が記念に植えたもので、
樹齢にして38歳。
毎年、満開時には可憐で優美な花をたくさん咲かせ、
全国からお越し下さった観光客の人たちの目を
癒し楽しませてくれました。
桜たちは乗船場一帯を美しく覆ってくれ‘春’を感じさせてくれた…
また時には近所の人たちがお弁当を持って花見に訪れるスポットとして…
また時は木の股をテコにして船頭が使う竿の曲がりを直したり
櫂の紐を作る時の作業台として…
また、出航を待つ間の休憩場として…
そして桜並木は嵐山へ向かい出航する私達の舟をこの38年間
いつも見守り続けてくれました。
そんな桜たちと来年出会うことが出来ないと思うと寂しい限りです。
桜たちは自分たちに待つ受ける、これからの運命を知っているかの様に
華麗に優美に咲き誇っています。
まぶしい春の日差しを体一杯に浴び、近年にない美しさで咲く桜たち。
自分たちが「美しかった」ということを多くの人の記憶に永遠に
留めてもらおうとするかの様に輝いてます。
藤右衛門さんによると「だいたい桜の寿命は100年ほど」らしいです。
ということは保津川下りの桜たちはまだ青年期です。
無念なことでありましょう。
治水対策という名のもとに、桜と同じ位の年月から計画変更
することなく進められている河川改修工事事業。
保津川上流には関西屈指の大規模ダムもある。
河川幅を拡張する工事も長い歳月をかけて完成している。
なのにまだ、この上に保津川乗船場の堤防かさ上げ工事が
なお本当に必要なのか?
草すら生えないコンクリート打ちぱなしの高い堤防。
近年、この手の工事が本当に治水対策に唯一無二の工法
なのか、多くの専門家が疑問を投げかけているとことだ。
桜が育つまで約40年という長い歳月を費やした。
しかし切り倒すのはわずか10分もあればできる。
人の心がわかるという桜や木々たち。やはり‘生きているのだ’
何とか、他の場所に移してやりたいと思っているのですが、
現実問題かなり難しいとのこと。
自然を制圧してつくりあげたヨーロッパ・キリスト教文明
は今、地球環境を考える上で限界に来ているということは
多くの識者の訴えるところだ。
‘自然との共生’こそがこれらからの人類に残された
ただ一つの選択であるといわれる今日。
このような計画は時代に逆行してはいないのか?
そのように想像出来る感性こそが、これからの公共事業に求められる要素の
様な気がしてならない。
精一杯咲き誇る保津川の桜がそのことを‘いのち’を懸けて
私たち人間に語りかけているような気がするのです。
このようなブログで訴えようとも、おそらく計画は変わることなく
実行に移されることでしょう。
利害渦巻く現実の前には、言葉はあまりにも無力であることは
骨身にしみて知りすぎるほど知っている。
最後の‘いのち’の輝きを放つ保津川乗船場の‘桜’。
今、満開のときを迎え、明日以降、散り行く時を迎える桜たち。
多くの皆さんで暖かく見送ってやろうではありませんか。
「桜は人の心がわかるのです」と話されいた。
自分の父親である15代佐野藤右衛門さんが生前こよなく愛され育てていた
桜のお話で、その桜は先代が亡くなられる前年にこれまでに見たことがないくらい
‘鮮やか’に咲き誇り、先代が亡くなられた年から一切咲くことなく寿命を迎えたという不思議な話でした。
自分を愛してくれた桜は、先代の魂とともに旅立った。
藤右衛門さんは『私はその桜を見て真剣に「桜守」を継ごうと思った』と
話されていました。
桜は人の心がわかるのですかね?
保津川下りの乗船場にも今年、近年稀に見る鮮やかで美しい桜が
咲き誇っています。
そして・・・この桜の風景を見られるのも今年が最後になる?…のです。
今の遊船乗船場周辺は京都府が推進している「桂川河川改修工事」計画により
取り壊され遊船事務所も移転を迫られています。
それにともない堤防の桜並木も全て切り倒される運命にあるのです。
保津川下り乗船場内には、乗船場事務所と待合室・売店の
前・堤防沿い約20m間を桜並木として整備しており
ソメイヨシノや八重桜など約10数本が植えてあります。
これらの桜並木は、今の「保津川遊船企業組合」が
大手資本から独立し「自主運航」果たした昭和45年に
、当時の先輩組合員達が記念に植えたもので、
樹齢にして38歳。
毎年、満開時には可憐で優美な花をたくさん咲かせ、
全国からお越し下さった観光客の人たちの目を
癒し楽しませてくれました。
桜たちは乗船場一帯を美しく覆ってくれ‘春’を感じさせてくれた…
また時には近所の人たちがお弁当を持って花見に訪れるスポットとして…
また時は木の股をテコにして船頭が使う竿の曲がりを直したり
櫂の紐を作る時の作業台として…
また、出航を待つ間の休憩場として…
そして桜並木は嵐山へ向かい出航する私達の舟をこの38年間
いつも見守り続けてくれました。
そんな桜たちと来年出会うことが出来ないと思うと寂しい限りです。
桜たちは自分たちに待つ受ける、これからの運命を知っているかの様に
華麗に優美に咲き誇っています。
まぶしい春の日差しを体一杯に浴び、近年にない美しさで咲く桜たち。
自分たちが「美しかった」ということを多くの人の記憶に永遠に
留めてもらおうとするかの様に輝いてます。
藤右衛門さんによると「だいたい桜の寿命は100年ほど」らしいです。
ということは保津川下りの桜たちはまだ青年期です。
無念なことでありましょう。
治水対策という名のもとに、桜と同じ位の年月から計画変更
することなく進められている河川改修工事事業。
保津川上流には関西屈指の大規模ダムもある。
河川幅を拡張する工事も長い歳月をかけて完成している。
なのにまだ、この上に保津川乗船場の堤防かさ上げ工事が
なお本当に必要なのか?
草すら生えないコンクリート打ちぱなしの高い堤防。
近年、この手の工事が本当に治水対策に唯一無二の工法
なのか、多くの専門家が疑問を投げかけているとことだ。
桜が育つまで約40年という長い歳月を費やした。
しかし切り倒すのはわずか10分もあればできる。
人の心がわかるという桜や木々たち。やはり‘生きているのだ’
何とか、他の場所に移してやりたいと思っているのですが、
現実問題かなり難しいとのこと。
自然を制圧してつくりあげたヨーロッパ・キリスト教文明
は今、地球環境を考える上で限界に来ているということは
多くの識者の訴えるところだ。
‘自然との共生’こそがこれらからの人類に残された
ただ一つの選択であるといわれる今日。
このような計画は時代に逆行してはいないのか?
そのように想像出来る感性こそが、これからの公共事業に求められる要素の
様な気がしてならない。
精一杯咲き誇る保津川の桜がそのことを‘いのち’を懸けて
私たち人間に語りかけているような気がするのです。
このようなブログで訴えようとも、おそらく計画は変わることなく
実行に移されることでしょう。
利害渦巻く現実の前には、言葉はあまりにも無力であることは
骨身にしみて知りすぎるほど知っている。
最後の‘いのち’の輝きを放つ保津川乗船場の‘桜’。
今、満開のときを迎え、明日以降、散り行く時を迎える桜たち。
多くの皆さんで暖かく見送ってやろうではありませんか。