保津川下り乗船場堤防敷きに設置している船頭休憩所横の桜の木が
先日、腐食が著しいことから切り倒されました。
毎年、桜の季節になると鮮やかな花を咲かせ、訪れる人の目を和ませてくれた
この木は、船頭たちにとっても、別の意味で思い入れがある桜なのです。
保津川の船頭が使う竿。
この竿の曲がりを直す為に、使用されてきたのがこの桜の木なのです。
保津川の船頭が使う竿は真竹材。
竹やぶから切り出された時は、節から微妙に屈折しており、
真っ直ぐな竹などほとんどありません。
そのいがんだ竹の節を火で炙り、熱した後、即に節を木の又にかまし、
テコの要領で、曲がりと逆方向へ曲げるのです。
すると、今までいがんでいた節は真っ直ぐの竿に変身のです。
直した後の竿は、いがみがないので握る手も安定し、よい仕事できるのです。
職人がいい仕事をする為には、いい道具が必要です。
船頭も同じ。いい仕事をしようと思えば、いい竿を持たねばならないのです。
この‘いい竿’に直す為に、先日切り倒された桜の木が、長年に渡り
多大な貢献を果たしてきたのだ。
テコになる木の又には、長年船頭衆が、炙った節を当て続けた為、
黒く焼け焦げていました。
歴代の船頭が竿を直した桜の木。
腐食し倒木の危険はあるのかもしれませんが、これも残しておけば
保津川下り船頭の民俗歴史を現存する文化材として貴重になる時が
あったやもしれないと思うのは私だけでしょうか?
残念でありません。
腐食が進んだのも、私たち船頭が焼けた竿を押し当て続けてことに
起因しているともいえるので、桜の木が気の毒に感じられました。
私が嵐山まで下っている僅か1時間45分の間で、この桜の木は
切り倒されてしまったようです。
僅か2時間弱、保津川船頭と長年一緒に育んだ桜の木が切り倒された
時間としては、あまりにも短く、儚いものに感じました。
この堤防敷きの桜たちは、当初、来年からの河川改修工事における堤防嵩上げ工事
により、切り倒されることが、決められていたのですが、我々船頭の熱い懇願に
より、移植等の作業で生き残れることとなりました。
その流れは嬉しくありがたいことですが、一番、船頭生活に貢献した
休憩所横の桜は生き残れなかったことは、誠にもって残念至極に思います。
伝統というものは、作り上げるのには気が遠くなりそうな、膨大な時間を要しますが、
壊すのは簡単なものです。しかし、一度壊せばもう二度と戻らないのも、それが伝統です。
我々、保津川の舟下りも、長い時間と多くの先人たちの汗と涙、知恵により
400年以上の歴史と伝統を有している訳ですが、今まさに大きな変革期を
迎えようとしているこの時、時代にそぐわないことや古きものを
すべて不要なものとして破壊することの危うさを、この桜の木が身を呈して
教えてくれたのではないかと思えてならないのです。
‘死は終局を意味しない’
この桜の種が、保津峡のどこかに飛び、芽を吹き‘いのち’を
つないでいくことを信じて、感謝を述べておきたいと思うのです。
※今年、最後の開花となった休憩所横の桜木
先日、腐食が著しいことから切り倒されました。
毎年、桜の季節になると鮮やかな花を咲かせ、訪れる人の目を和ませてくれた
この木は、船頭たちにとっても、別の意味で思い入れがある桜なのです。
保津川の船頭が使う竿。
この竿の曲がりを直す為に、使用されてきたのがこの桜の木なのです。
保津川の船頭が使う竿は真竹材。
竹やぶから切り出された時は、節から微妙に屈折しており、
真っ直ぐな竹などほとんどありません。
そのいがんだ竹の節を火で炙り、熱した後、即に節を木の又にかまし、
テコの要領で、曲がりと逆方向へ曲げるのです。
すると、今までいがんでいた節は真っ直ぐの竿に変身のです。
直した後の竿は、いがみがないので握る手も安定し、よい仕事できるのです。
職人がいい仕事をする為には、いい道具が必要です。
船頭も同じ。いい仕事をしようと思えば、いい竿を持たねばならないのです。
この‘いい竿’に直す為に、先日切り倒された桜の木が、長年に渡り
多大な貢献を果たしてきたのだ。
テコになる木の又には、長年船頭衆が、炙った節を当て続けた為、
黒く焼け焦げていました。
歴代の船頭が竿を直した桜の木。
腐食し倒木の危険はあるのかもしれませんが、これも残しておけば
保津川下り船頭の民俗歴史を現存する文化材として貴重になる時が
あったやもしれないと思うのは私だけでしょうか?
残念でありません。
腐食が進んだのも、私たち船頭が焼けた竿を押し当て続けてことに
起因しているともいえるので、桜の木が気の毒に感じられました。
私が嵐山まで下っている僅か1時間45分の間で、この桜の木は
切り倒されてしまったようです。
僅か2時間弱、保津川船頭と長年一緒に育んだ桜の木が切り倒された
時間としては、あまりにも短く、儚いものに感じました。
この堤防敷きの桜たちは、当初、来年からの河川改修工事における堤防嵩上げ工事
により、切り倒されることが、決められていたのですが、我々船頭の熱い懇願に
より、移植等の作業で生き残れることとなりました。
その流れは嬉しくありがたいことですが、一番、船頭生活に貢献した
休憩所横の桜は生き残れなかったことは、誠にもって残念至極に思います。
伝統というものは、作り上げるのには気が遠くなりそうな、膨大な時間を要しますが、
壊すのは簡単なものです。しかし、一度壊せばもう二度と戻らないのも、それが伝統です。
我々、保津川の舟下りも、長い時間と多くの先人たちの汗と涙、知恵により
400年以上の歴史と伝統を有している訳ですが、今まさに大きな変革期を
迎えようとしているこの時、時代にそぐわないことや古きものを
すべて不要なものとして破壊することの危うさを、この桜の木が身を呈して
教えてくれたのではないかと思えてならないのです。
‘死は終局を意味しない’
この桜の種が、保津峡のどこかに飛び、芽を吹き‘いのち’を
つないでいくことを信じて、感謝を述べておきたいと思うのです。
※今年、最後の開花となった休憩所横の桜木