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京都方面から国道9号線を亀岡に向かうと、老ノ坂トンネル手前に
左に入る細い山道が今でもあります。
その先にある峠が、旧山陰街道で京都市内(山城国)と
亀岡(丹波国)を隔てる境となった‘老ノ坂峠です。
古くから京都洛中の西の玄関口とも云われ、山城、大和と
山陰を結ぶ重要な道で、人、物資が往来する交通の要所となった峠。
また、政治・軍事的にも都を死守する最前線ラインに位置する
西の最重要場所だった所です。
その性格からか、老ノ坂峠は旧来、歴史の変革期にはよく登場し、
明智光秀が織田信長を討つ時に通った‘地’としてあまりも有名です。
天正10年(1582)5月、主君織田信長に、中国備中で毛利勢に
苦戦を強いられていた「羽柴秀吉を助けよ!」との命を受け、
居城がある丹波亀山城(亀岡)から約一万3千の兵を率いて出発
した明智光秀は、老ノ坂の峠の頂から、じっと目を閉じ瞑想一刻、
東の都を指しながら、やにわに鞭を振り上げて「敵は本能寺あり!」
と、主君織田信長を討つ決意を表したのです。
当時、老ノ坂峠の頂からは淀や伏見が見渡せたらしく、
西に向かえば山崎から備中方面、東に向かえば信長のいる都だったのです。
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峠の頂近くにある酒呑童子の首塚大明神を過ぎた所に「従是東山城国」と
刻まれた山城丹波国境石が今でも立てられています。
以前は道の両側に相対して立っていたそうですが、今は一基のみが
残っており、もう一基は京都国立博物館に寄贈されその庭に移されて
いるそうです。この境石の所から東が京都山城、西が丹波国とされた様です。
ところが・・・現代ではこの老ノ坂峠、夜な夜な霊が彷徨うと
いう噂がある、京都でも有名な心霊ミステリースポットとなっています。
その噂の原因となったのが、この廃墟となった「モーテル跡」です。
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事実、このモーテルでは、今から数年前に若い女性が惨殺される事件が
あったといいます。
その後廃業となったこのモーテルは、買い手もつかず、取り壊される
こともなく、現在にその荒れ果てた姿を残しています。
心霊現象と聞くと、調べずにはいられないはっちんは、この
モーテル跡に潜入し、何かを感じれるかと行ってみました。
車一台が通れるのがやっと細い道沿いにあるこのモーテル。
昼なのに駐車しても一台も車が通らない寂しい道。
なにやら息苦しく重たい空気が確かに流れているような所です。
モーテル入り口にはフェンスと有刺鉄線で入れない様にしてあるのですが、
誰かが噂を聞きつけて肝試しにでもくるのでしょう。フェンスが
ちぎられた痕があり、そこから入ることが出きました。
玄関の扉すらない廃墟モーテル。中は原型をとどめないベットや
椅子、テーブルが散乱しています。
足元を確認しながら進みますが、ひとりで来た事を少し
後悔させられそうな予感が走ります。
そして・・・!!それは起りました!!!
もうこれ以上は申しますまい!
なぜ、モーテルの中の撮影写真がないか・・・それからお察し下さい。
とにかく、近寄らない方がいいところである事は確かです。
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今の国道9号線の老ノ坂峠である、トンネル付近です。
亀岡からこのトンネルをくぐると京都市です。
左に入る細い山道が今でもあります。
その先にある峠が、旧山陰街道で京都市内(山城国)と
亀岡(丹波国)を隔てる境となった‘老ノ坂峠です。
古くから京都洛中の西の玄関口とも云われ、山城、大和と
山陰を結ぶ重要な道で、人、物資が往来する交通の要所となった峠。
また、政治・軍事的にも都を死守する最前線ラインに位置する
西の最重要場所だった所です。
その性格からか、老ノ坂峠は旧来、歴史の変革期にはよく登場し、
明智光秀が織田信長を討つ時に通った‘地’としてあまりも有名です。
天正10年(1582)5月、主君織田信長に、中国備中で毛利勢に
苦戦を強いられていた「羽柴秀吉を助けよ!」との命を受け、
居城がある丹波亀山城(亀岡)から約一万3千の兵を率いて出発
した明智光秀は、老ノ坂の峠の頂から、じっと目を閉じ瞑想一刻、
東の都を指しながら、やにわに鞭を振り上げて「敵は本能寺あり!」
と、主君織田信長を討つ決意を表したのです。
当時、老ノ坂峠の頂からは淀や伏見が見渡せたらしく、
西に向かえば山崎から備中方面、東に向かえば信長のいる都だったのです。

峠の頂近くにある酒呑童子の首塚大明神を過ぎた所に「従是東山城国」と
刻まれた山城丹波国境石が今でも立てられています。
以前は道の両側に相対して立っていたそうですが、今は一基のみが
残っており、もう一基は京都国立博物館に寄贈されその庭に移されて
いるそうです。この境石の所から東が京都山城、西が丹波国とされた様です。
ところが・・・現代ではこの老ノ坂峠、夜な夜な霊が彷徨うと
いう噂がある、京都でも有名な心霊ミステリースポットとなっています。
その噂の原因となったのが、この廃墟となった「モーテル跡」です。
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事実、このモーテルでは、今から数年前に若い女性が惨殺される事件が
あったといいます。
その後廃業となったこのモーテルは、買い手もつかず、取り壊される
こともなく、現在にその荒れ果てた姿を残しています。
心霊現象と聞くと、調べずにはいられないはっちんは、この
モーテル跡に潜入し、何かを感じれるかと行ってみました。
車一台が通れるのがやっと細い道沿いにあるこのモーテル。
昼なのに駐車しても一台も車が通らない寂しい道。
なにやら息苦しく重たい空気が確かに流れているような所です。
モーテル入り口にはフェンスと有刺鉄線で入れない様にしてあるのですが、
誰かが噂を聞きつけて肝試しにでもくるのでしょう。フェンスが
ちぎられた痕があり、そこから入ることが出きました。
玄関の扉すらない廃墟モーテル。中は原型をとどめないベットや
椅子、テーブルが散乱しています。
足元を確認しながら進みますが、ひとりで来た事を少し
後悔させられそうな予感が走ります。
そして・・・!!それは起りました!!!
もうこれ以上は申しますまい!
なぜ、モーテルの中の撮影写真がないか・・・それからお察し下さい。
とにかく、近寄らない方がいいところである事は確かです。
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今の国道9号線の老ノ坂峠である、トンネル付近です。
亀岡からこのトンネルをくぐると京都市です。
1人で行かれたのですか??こえーーー
はかせは、集団で深夜2時に責めた事があります。ここだけの話、手分けして全室を調べあげ、宿帳まで引っ張り出したことがあります。
どうやら、2階のベッドの下に女性の遺体が放置されていた模様・・・・
うわさのベッドの下も懐中電灯で照らしたのですが、何も手がかりはありませんでした。
が・・・・、つい最近までの日付の新聞紙が敷き詰められていたのです・・・・なぜ??
でも、あそこを引っ掻き回してた年。あまりいいことがなかった気がします。すべてを心霊のせいにするのは良くないことですが、あまり気持ちのいいものではありませんでした。
ちなみに、謎のマネキン人形が置いてあり怖かったです。
あのモーテルラブホの名は「サンリバー」というそうです。
くれぐれも、無茶はしないでくださいね。
霊視の力がある彼女がよく言いますが、
近づいてはだめですよ。
その場の遭遇だけで終わればいいのですが、家まで連れて帰ってきてしまうと、厄介ですよ。
自分が死んだことを理解していない霊もいますが、
悪意を持って人を不幸にしようとする霊も
数多く存在しますから。
何故~夜にこの話を読んでしまったのか・・と・・・
「トイレ&入浴」~今度はHonkoが娘について来てもらわないとぉ~~~ (実に情けない話であります。)
はっちんさん、ひとりで行ったのね~
怖くないのですか~?
何か楽しいこと考えないと、今晩眠れないかもぉ・・・
はっちんさん、漫才やってくださいませ~
本当は、老ノ坂を書こうか迷ったのですが、
何かに急かされる様な気がして書きました。
でも、さすがは新聞記者さん。
事件について詳しく書いてくれましたね。
そう!下にね・・・あったですよね。あれが。
そのベットの下はもちろん何もないです。今は。
宿帳は見当たらなかったですが、マネキンの首は
ありました。誰かが恐がらす為、捨てていった
のでしょう。でも見たとき、マネキンとわかるから
なんとも感じなかったです。
それより、起ったのです!
中をデジカメで撮影している時!
今まで多くの心霊物件を訪れましたが、あんな
ことは初めてのことです!
何か、悲しさ、哀れを感じる所でした。
罪人は激しく懺悔されようお願いします。
御心配していただきありがとうございます。
いつもそう言われるのですが、どうゆう訳か、
不思議なもの、心霊現象があると、本当のことを
自分の五感(シックスセンスはないと思うので)で
感じ調べてみたいと思ってしまうのです。
学生の頃、心霊現象に悩まされ、引越しが続くと
噂の空家に一日泊まって調べた事もあります。
また、同級生の謎の死が綴られた本人の日記を読み、
その日記に沿って検証した事もありました。
我が母校には心霊研究の第一人者の安O教授が
おられたので、講義でいろいろ教わりました。
でも、今回は不可解なことが起ったので、少し
心霊にもロマンを持つことができるかも知れないです。
トイレ&入浴にひとりで行けなくして、ごめんなさい。
こんな寒い日に季節はずれの心霊ネタ?(歴史ネタだったような)を書いてしまってすいません。
不思議なことは自分の胸にしまって一切公表しません
ので、これからもはっちんブログを読んでくださいね。
ひとりで行っても怖いとは感じないですね。
それ以上に悲しく酷い貧しい世界の現状を見てますから。
心霊も元々、私達と同じ人間です。面白いと笑い、
悲しいと泣き、意地悪されれば怒りといろんな感情が
あると思います。寂しければ、夜を徹して熱く語れば
いいのではないかと思います。
はっちんの熱い語りは厳しいですよ~
ストップをかけないと、延々語りますから。
熱くロマンと夢を語り、今生きているという
‘いのち’の素晴らしさを語りますから、
幽霊さんのほうが「もういいわ~」と帰って
いかれるかも?
霊は人に悪さをする者だとは、あまり考えたくないですね。
俺もあそこにトモダチと行きましたよ。
車の免許取ったばっかで嬉しかったときですね。
一度夜に行こうという話になったのですが、さすがに夜は怖かったので行きませんでした。
3日後くらいにちょうどトモダチと京都に出かけた帰りの夕方に右折しましたよ!!
勇気を出して!!
まだ夕方やっていうのにすごい不気味だったことを覚えています。
はっちさんみたいに、中に入るなんてことはできませんでした。でも廃墟(?)の横に車を停めて覗き込んだときはゾクッとしましたねぇ。
心霊の話ときたら、コメントしないわけにはいきません。
はっちんさんとは、心霊でもご縁があったので…ね。
写真を見てるだけで、嫌な感じです。
でも、お天気のときで、良かったです。
私は雨の日は、チョッと感じやすいので…
バッチリ写真に映ったようですね。
あ~デジカメでよかったですよ。
消去できるし…
2年前に日光の華厳の滝で写真を写したら
岩がみんな顔に見えて
でも、岩よ!コレは!と思うようにしてます。。。
心霊好きなはっちんさん、くれぐれも気をつけてくださいよ。一人は危険です!!
夜も眠れない位怖い体験をしたココアより…
是非、中で何が起こったか、詳しく聞きたいですねぇー。今度、この手の話を熱く語る会でもやりましょうか?(笑)
それはともかく、僕もつねづね思っていた事ですが、幽霊が本当に存在するかどうかは分かりませんが、いたほうがロマンがあるし、また、元々人間なのですから、良い人もいれば、悪い人もいると思って来ました。はっちんさんも同じ事を書かれていたのが、ちょっと嬉しかったです。
あの場所は地元亀岡の人なら一度は肝試しに行く場所
ですよね。
でも、ある霊感が強い人に聞けば、ココは
日本でも有数の霊気の強いところだそうです。
あまり近づかない方が無難かも。