桜の花びらが舞い散る季節。
潔さと儚さを観る人の心に映し、散っていく花びら。
散る桜の姿は、いつも幼い日の追憶へと私を誘い、
記憶の奥に仕舞い込んだ感情を甦らせてくれる。
今から33年前、私には3歳違いの妹がいた。
享年7歳、本当に短い生涯だった彼女。
子供離れしたすっきりした顔立ち、利発で早熟なところもあったが、
それでいていつも愛嬌を欠かさない女の子。
年の近い私とはいつも一緒に遊んでいた相棒だった。
そんな妹に悲劇は突然やってきた。
6歳へ後数ヶ月というある日。急激に体調が悪くなり、食欲もなくなっていく
彼女を心配した両親は、知り合いの医師の紹介で京都大学病院の診察を受けた。
その結果は・・・「脳腫瘍」
医師の口から出た言葉は「余命は半年…」との衝撃的な宣告だった。
私はその日のことを今でも鮮明に覚えている。
病院の検査を終え、家の布団で疲れて眠る妹の姿。隣の部屋で涙を流す母の姿。
親の泣き顔を見るのははじめてだった。
私はスヤスヤと眠る彼女の寝顔を見ながら「この子が死ぬ???」
にわかには信じられず現実の話とは思えなかった。
昨日までいつもと変わらず話をし、いつもの様に遊んでいたのだ。
今日「あと半年で死ぬ…」なんて言われても幼い私には簡単に受け入れられる
ことではない。
おそらく両親もそうだっと思うが「死」などという現実が、当時の私の世界に
存在することすら想像したことがなかったのだ。
ただ、母親の泣いている姿にその現実が紛れもない事実であることを
幼いながらも理解していった。
その夜、いつもの様に私は妹の隣で寝た。
なかなか寝付けなかった。「半年で彼女は死んで私の前からいなくなる・・・」
「明日からどんな顔をして彼女と接すればいいのか?」など、いろんな事が
頭をよぎり眠れなかった。
ふと目をやると隣で寝ている彼女の寝顔はいつもと変わらないのに・・・
そして無性に寂しさが込み上げて悲しくなった。涙が溢れてきてとまらなかった。
こんな歳で死ななければならない妹が可哀想過ぎた。
それから程なくして彼女は京都大学病院に入院し治療に専念することになった。
入院前に私に言った彼女の一言が忘れられない。「私、死ぬの?」
誰もが気付かれない様に細心の注意を払っていたが、本人はうっすらと自分の
運命を感じとっていたのかも知れない?
「何言っての、大丈夫、すぐに帰ってこれるって」子供だった私が言える
精一杯の励ましだった。
入院後、家族には厳しい決断が待っていた。
「手術をしないと3ヶ月、手術の成功率は20%と低い難しい手術。
幸い成功したとしても今までの娘さんではありません。」
担当医の言葉が両親の心を鋭く突き刺した。
当時、脳腫瘍の手術は頭蓋骨を切り取り、脳細胞に直接メスを入れるため、
神経が傷つき各機能に障害が残った。体の機能はもちろん思考能力についても
同様だ。
幼い女の子の人生にとってあまりにも厳しく辛い決断をしなくてはならなかった。
このまま何もせず天命に任すか?それとも少しの確率に賭け手術をするか?
『どのような姿になっても‘生きてさえ’いてくれればそれいい・・・』
両親は僅かな可能性に賭け手術をする決断をした。
「生きてさえいれば…」私が同じ立場でもそう決断するだろう。
手術当日。家族全員で祈る長い一日。幼い妹はよく頑張った。
そして手術は成功だった!
メスを入れるのに難しい箇所にあった腫瘍をきれいに摘出できた。
幼い私が生まれてはじめて味わう‘本当の喜び’だった。
手術室から帰ってきた彼女はそれまでの彼女ではなったが、そんなことは
どうでもよかった。
私のところに生きて戻ってきてくれただけで満足だった。
それから一年半、彼女と家族の壮絶な闘病生活が続く。
その中で『今日、お茶が飲めたよ』『立ち上がって歩けたよ』
『うどう玉を一つも食べられたよ』そんな当たり前のことが出来る事に
うれしくて、感激することがいっぱいある毎日だった。
心身は不自由だったが「生きてればこそ!」できることがうれしかった。
「今、生きている…」それだけでよかった。幸せだと感じられた。
そして小学校に入学する春を迎えた。
腫瘍の転移が見つかり入退院を繰り返す彼女には‘式’に出ることは
かなわなかった。
「春が来て桜が咲いたら1年生。赤のランドセル背負って学校へ行きたいな~」
よく彼女は私に話してくれた。私も学校のことをいろいろ話した。
「病気を治して早く行きたい!」そう言った彼女の瞳はキラキラと輝いていたのを覚えている。
結局、その願いは叶うことはなかった・・・
その春の穏やかなある日。家の縁側に座り、暖かい日差しを受けながら
日向ぼっこをする彼女を見つけた。彼女は何も言わず、ず~っと外の風景を
眺めていた。
私も隣に座り何も言わず同じ風景を眺めていた。
穏やかで静かな、ゆっくりとした時間がやさしく流れていた。
それから間もなく、彼女は再入院し二度と家に帰って来ることは無かった。
桜の花びらが散るように‘彼女’は逝った。
享年7歳。本当に短い生涯だった。
家族が見守る中、閉じたままの目をさらに「ぎゅっ」と強く瞑り返した時、
一滴の涙が彼女の頬をつたった、その瞬間、私の妹は静かに息をひき取った。
あの春の日は私たち兄妹にとって生涯忘れることのできないものとなり、
永遠の日となった。
今でも思うことがある。
あの暖かい春の日差しに包まれながら、彼女の小さな瞳には
何が映っていたのだろう?
その映る景色の中に何を感じ、何を思っていたのだろう・・・
あの日、あの時の穏やかでやさしい時間と彼女の‘面影’・・・私は忘れない。
満開の桜が咲く木の下で撮った古い写真、無邪気に笑う幼い兄妹の姿。
目をつぶれば、あの時の君が たしかにいる。
♪ 花びら舞い散る 記憶舞い戻る・・・ ♪
(ケツメイシ さくら)から。
潔さと儚さを観る人の心に映し、散っていく花びら。
散る桜の姿は、いつも幼い日の追憶へと私を誘い、
記憶の奥に仕舞い込んだ感情を甦らせてくれる。
今から33年前、私には3歳違いの妹がいた。
享年7歳、本当に短い生涯だった彼女。
子供離れしたすっきりした顔立ち、利発で早熟なところもあったが、
それでいていつも愛嬌を欠かさない女の子。
年の近い私とはいつも一緒に遊んでいた相棒だった。
そんな妹に悲劇は突然やってきた。
6歳へ後数ヶ月というある日。急激に体調が悪くなり、食欲もなくなっていく
彼女を心配した両親は、知り合いの医師の紹介で京都大学病院の診察を受けた。
その結果は・・・「脳腫瘍」
医師の口から出た言葉は「余命は半年…」との衝撃的な宣告だった。
私はその日のことを今でも鮮明に覚えている。
病院の検査を終え、家の布団で疲れて眠る妹の姿。隣の部屋で涙を流す母の姿。
親の泣き顔を見るのははじめてだった。
私はスヤスヤと眠る彼女の寝顔を見ながら「この子が死ぬ???」
にわかには信じられず現実の話とは思えなかった。
昨日までいつもと変わらず話をし、いつもの様に遊んでいたのだ。
今日「あと半年で死ぬ…」なんて言われても幼い私には簡単に受け入れられる
ことではない。
おそらく両親もそうだっと思うが「死」などという現実が、当時の私の世界に
存在することすら想像したことがなかったのだ。
ただ、母親の泣いている姿にその現実が紛れもない事実であることを
幼いながらも理解していった。
その夜、いつもの様に私は妹の隣で寝た。
なかなか寝付けなかった。「半年で彼女は死んで私の前からいなくなる・・・」
「明日からどんな顔をして彼女と接すればいいのか?」など、いろんな事が
頭をよぎり眠れなかった。
ふと目をやると隣で寝ている彼女の寝顔はいつもと変わらないのに・・・
そして無性に寂しさが込み上げて悲しくなった。涙が溢れてきてとまらなかった。
こんな歳で死ななければならない妹が可哀想過ぎた。
それから程なくして彼女は京都大学病院に入院し治療に専念することになった。
入院前に私に言った彼女の一言が忘れられない。「私、死ぬの?」
誰もが気付かれない様に細心の注意を払っていたが、本人はうっすらと自分の
運命を感じとっていたのかも知れない?
「何言っての、大丈夫、すぐに帰ってこれるって」子供だった私が言える
精一杯の励ましだった。
入院後、家族には厳しい決断が待っていた。
「手術をしないと3ヶ月、手術の成功率は20%と低い難しい手術。
幸い成功したとしても今までの娘さんではありません。」
担当医の言葉が両親の心を鋭く突き刺した。
当時、脳腫瘍の手術は頭蓋骨を切り取り、脳細胞に直接メスを入れるため、
神経が傷つき各機能に障害が残った。体の機能はもちろん思考能力についても
同様だ。
幼い女の子の人生にとってあまりにも厳しく辛い決断をしなくてはならなかった。
このまま何もせず天命に任すか?それとも少しの確率に賭け手術をするか?
『どのような姿になっても‘生きてさえ’いてくれればそれいい・・・』
両親は僅かな可能性に賭け手術をする決断をした。
「生きてさえいれば…」私が同じ立場でもそう決断するだろう。
手術当日。家族全員で祈る長い一日。幼い妹はよく頑張った。
そして手術は成功だった!
メスを入れるのに難しい箇所にあった腫瘍をきれいに摘出できた。
幼い私が生まれてはじめて味わう‘本当の喜び’だった。
手術室から帰ってきた彼女はそれまでの彼女ではなったが、そんなことは
どうでもよかった。
私のところに生きて戻ってきてくれただけで満足だった。
それから一年半、彼女と家族の壮絶な闘病生活が続く。
その中で『今日、お茶が飲めたよ』『立ち上がって歩けたよ』
『うどう玉を一つも食べられたよ』そんな当たり前のことが出来る事に
うれしくて、感激することがいっぱいある毎日だった。
心身は不自由だったが「生きてればこそ!」できることがうれしかった。
「今、生きている…」それだけでよかった。幸せだと感じられた。
そして小学校に入学する春を迎えた。
腫瘍の転移が見つかり入退院を繰り返す彼女には‘式’に出ることは
かなわなかった。
「春が来て桜が咲いたら1年生。赤のランドセル背負って学校へ行きたいな~」
よく彼女は私に話してくれた。私も学校のことをいろいろ話した。
「病気を治して早く行きたい!」そう言った彼女の瞳はキラキラと輝いていたのを覚えている。
結局、その願いは叶うことはなかった・・・
その春の穏やかなある日。家の縁側に座り、暖かい日差しを受けながら
日向ぼっこをする彼女を見つけた。彼女は何も言わず、ず~っと外の風景を
眺めていた。
私も隣に座り何も言わず同じ風景を眺めていた。
穏やかで静かな、ゆっくりとした時間がやさしく流れていた。
それから間もなく、彼女は再入院し二度と家に帰って来ることは無かった。
桜の花びらが散るように‘彼女’は逝った。
享年7歳。本当に短い生涯だった。
家族が見守る中、閉じたままの目をさらに「ぎゅっ」と強く瞑り返した時、
一滴の涙が彼女の頬をつたった、その瞬間、私の妹は静かに息をひき取った。
あの春の日は私たち兄妹にとって生涯忘れることのできないものとなり、
永遠の日となった。
今でも思うことがある。
あの暖かい春の日差しに包まれながら、彼女の小さな瞳には
何が映っていたのだろう?
その映る景色の中に何を感じ、何を思っていたのだろう・・・
あの日、あの時の穏やかでやさしい時間と彼女の‘面影’・・・私は忘れない。
満開の桜が咲く木の下で撮った古い写真、無邪気に笑う幼い兄妹の姿。
目をつぶれば、あの時の君が たしかにいる。
♪ 花びら舞い散る 記憶舞い戻る・・・ ♪
(ケツメイシ さくら)から。