今の日本のリベラルの劣化があまりにも酷過ぎる。竹内好が戦後の早い段階で「民衆は不断に形成すべきものであって、それを形成するものは、ほかならぬ民衆自身である」(『国民文学論』)と書いたのを読んだことがないのだろうか▼朝日新聞は宇野常寛のような評論家を登場させ、上から目線の「読者を育てる」という観点から論じているのは、竹内とはまったく逆の立場である。宇野に「水は低いところへ流れる、というだけですが、強いて言うなら僕らメディアの人間の怠慢ではないでしょうか」と語らせることは、朝日新聞が自分たちを選ばれた者と勘違いしているからだろう▼「水は低いところへ流れる」との言い方はあまりにも傲慢であり、定義すら明確ではない「ネトウヨ」なる言葉も安易に用いるべきではない。それを喜んで載せるような新聞社も最悪である。「戦後左翼のテンプレを語ることで楽してきた」という批判は一応的を射ているが、その典型が憲法であることをなぜ口にしないのだろう。本来のリベラルは護憲であるわけがない。アントニオ・ネグリが憲法制定権力としての民衆の存在に着目したように、憲法は絶えず改正されて当然である。どうして守りに徹する必要があるのだろう。宇野のような発言がまかり通り、朝日新聞がそれを掲載するのは、竹内の本など一度も手にしたことがないからだろう。
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