今年もあと一ヶ月半となったが、いつもの通り、小林秀雄の『本居宣長』を読み始めようと思う。ゆっくり噛みしめるようにしながら宣長の世界に浸り、大晦日の紅白歌合戦のときに読み終わるのである。毎年同じことを繰り返しているが、日本人であることを取り戻すためにも、市井の喧騒さから身を避けて『本居宣長』を味わうのである▼小林は冒頭の文章で、折口信夫が語った「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」の一言をさりげなく書いている。その言葉に小林は触発されたのであり、そのことを解明するために大著が世に残されたのである。そして、ある朝に東京に出向く用事があった小林は、鎌倉の駅で電車を待ちながら、うららかな晩秋の日和を見ていると、宣長の松阪にふと行きたくなり、大船で電車を降りると、そのまま大阪行きの列車に乗ってしまったのだった。読み手もまた同行したような思いがして、小林の文章に引き込まれていくのである▼どこまで理解したかは覚束ないが、何度も読み返すことで、心が洗われる思いがするから不思議である。賢しらになりがちな自らを戒めてくれるからではないだろうか。一年一年は人生の区切りである。虚心坦懐になって自らを省みる時間ほど大切なものはない。数多の本が世に出回っているが、私にとっての枕頭の書は小林秀雄の『本居宣長』なのである。
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