今のように、政治がわけわからなくなってしまうと、花田清輝あたりの本でも読んで、心を落ち着けるしかないだろう。一ひねり、二ひねりした観察眼でもって、騒ぎたいだけの政治屋を冷笑するのが、精神衛生上もいい。『乱世をいかに生きるか』に収録されていた「現代の英雄」は、鋭く核心をついている。英雄になるための演出について、皮肉っぽく書いているからだ。集会には1時間以上遅れて到着する。そうすれば、満堂の注意が一心に集まり、神の出現を思わせるような雰囲気を醸し出す。また、ヘラヘラするのではなく、できるだけ沈黙を守り、ここぞというタイミングで、鶴の一声を発するのである。花田によれば、ヒットラーもムッソリーニも、喋りすぎだったとか。そして、1時間以上前に退席するのである。その際にも、神の信託でもあるかのようにもったいぶって述べ、「残念ながら、もう一つどうしても出席しなければならない集会がありますので」と付け加えるのだ。カリスマ性のある英雄などというのも、ちょっとした演出次第なのである。政策とか思想性とかは、よくよく勉強しないと理解できないわけで、表面的なことで幻惑されてしまうのだ。花田はモンテーニュにも言及し、「かれの『エッセー』のなかで、あやうく殺されることを、人相がいいというので助けられたことが二度もあるといって自慢しているが、この世の中には、かれのように、虫も殺さぬ顔をしたタチのよくない皮肉屋もいるのである」と書いている。政治屋のドタバタ劇のからくりを見破るには、もっと私たちが利口になるしかないのだが、見た目に支配されるのが、悲しいかな人間の常なのである。
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