草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

明治新政府は白人の奴隷売買を許さなかった

2024年07月20日 | 歴史
 日本という国家は民族差別には一貫して反対してきた。日大の准教授のトーマス・ロックリー氏が「イエズス会は反対したのに日本の大名の間で黒人奴隷が流行っていた」というのは、反日的な国家に批判の口実を与えかねない。
 葦津珍彦は「明治五年、横浜でマリヤ・ルズ号に監禁中のシナ人奴隷を解放した日本政府の英断は、東洋解放史上に不滅の記録を残した。それは開国後間もない維新政府が、東洋解放の先駆者としての自負を、国際外交に示威した事件として永く記憶されるべきものである(『明治維新と東洋の解放』)と書いている。
 その当時においても、白人による奴隷売買が東洋でも横行していた。ペルーの商船マリヤ・ルズ号が。マカオから二百三十余人の支那人奴隷を積んで横浜に寄港した。奴隷が脱走を企てたことで、奴隷船であることが明らかになり、副島種臣外務卿はシナ人奴隷の解放をやってのけたのだ。船長を裁判にかけ、監禁中の者たちをすべて釈放した。
 日本人がそれを行ったことで、東洋におけ奴隷売買は影をひそめるになったのである。民権と共に国権を充実させなければならない事情を、それによって葦津は説明した。「このマリヤ・ルズ号事件は、明治維新の外交精神を端的に示している。それはアジアを植民地化し、奴隷化しようとする白人の勢力に反発して、東洋に独立と解放とを求める精神である」(『同』)と主張した。
 明治維新そのものが、欧米の植民地になるまいとする決意のもとに断行されたのだ。私たち日本人の先人の思いがどこにあったかを理解すれば、日本民族の立ち位置そのものが明確になるのであり、それは今も変わらないのである。

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