新聞の広告にあった「いじめられ行きたし行けぬ春の雨」の俳句を読んだ時、「まいったなあ」と思わずつぶやいた。俳句を少しかじっているがとうてい及ばない。言葉の感性は天性のものだろう。「ランドセル俳人の五・七・五 小林 凜著」を図書館で借りた。(ごめんね、買わなくて)。どの俳句も琴線に触れた。実にいい。なんて素直でみずみずしい俳句だろう。「いじめ」との因果を考察するより、一人のすばらしい詩人との出会いを喜びたい。「いじめ」がなくても彼はすばらしい俳句を詠んだであろう。ただ、「いじめ」や間違った「大人の干渉」が彼の才能を潰さないかが心配だ。君は思ったまま俳句を読めばいいよ。それはきっと様々な人に感動を与えるのだから。君の好きな一茶みたいにね。