今日はあけぼの会の「初冬のお集まり」に参加してきた。あけぼの会デビューをしたことが、そもそもこのブログ開始のきっかけになった。その始めの一歩、「初夏のお集まり」参加から5ヶ月。文字通り季節は初夏から初冬に変わった。
今回は「会員のみなさまへ ワット会長から2009年を締めくくるお集まりのお知らせです。」 ということで、
「・新しく入会された(術後、日が浅い)かたから<あけぼの会>に対する新鮮で率直な要望を聞いてみたい・・・
・また旧い会員?のみなさんにも注文があるのでは・・・
・再発治療中の人にも切羽詰った要望が・・・
・そして支部のあり方に対しても意見が・・・
・また、現実問題として、会費が大変だとか・・・
あけぼの会は創立31周年、これからはもっともっと「みんなの会」でありたいと願っています。ですから多くの忌憚なき声を聞かせてほしい。(私に会いに?)出てきてください。待っています。
テーマ:あけぼの会の未来を考える」
というピンクのはがき(あけぼの会からのお知らせはいつもかわいいピンクのはがきだ。)が11月中旬に舞い込んだ。「初夏のお集まり」と同じ会場での開催だったので、早速申し込んだ。
参加者は30名ほど、教室形式の会議室で会長さんが司会進行をなさった。新しく入会された方のご挨拶等から始まり、後半は会長さんからの「いつでも、どこでも、だれでも、本当に困っている人が相談できる場所=あけぼのハウス=」への熱い思いを直接伺うことができた。また、HPの治療日記でお世話になり、ブログ立ち上げの背中を押してくださった事務局のTさんともご挨拶できた。7月にいらしていたFさんや先月「虹のサロン」でお話ししたOさんのお姿もあった。
私はまだ入会して半年の新米会員なので、1年のイベントスケジュールが頭に入っていないのだが、この後、東京支部では新春お食事会が予定されている。こうして1ヶ月、2ヶ月に1度というタイミングで集まりがあることは、体調と相談しながら参加することができるから、いろいろ不安を感じる私たち会員にとって、とても心強いことだと思う。事務局も全て乳がん体験者。再発治療中の方もいらっしゃり、少人数でとても苦労なさっている、ということが良くわかる。私にも何かできることがあれば、と思っていたが、「乳がんディクショナリー」の改定で少しでもお役に立てれば、とお話してきた。
今日のキーワードは『おしゃれ』という会長さん=パリ帰りのピンクのミニスカートで登場=のお言葉に甘えて、前から欲しかったニットのアンサンブルを買って帰ってきた。そう、治療でお金がかかるのは事実だけれど、おしゃれも決してあきらめないで前向きに生きたい。
出かけたときはまだ雨が降っていなかったけれど、帰りはかなり強い降りになっていた。
今日は往復の電車で河岡義裕さんの『新型インフルエンザ本当の姿』(集英社新書)を読んだ。わかりやすくまとまっていて良かった。先日エントリーした予防接種の連絡があり、1月に予約が入ったので、ほっとしている。
さて、前回、退院直後の頃までのことを書いたが、とにかくタキソテールの副作用が総花的に出てしまった単純な私だった。
思い出してみると、まず最も分かりやすい脱毛から。 一口に脱毛というと、ああ髪の毛ね、と思うのだけれど、実際は、ああ、こんな所も・・・というほど全身である。今まで何も気にせずにあって当然、いったいなんの役に立つのやら、と思っていた体中の体毛がこんなに役立っていたのだ、と改めて思った。
毛髪。実にうまく出来ていることを実感した。夏でも髪の毛だとうまく汗を吸い取ってくれるので、汗をかいても帽子をかぶったりすることがなければ殆ど蒸れないが、かつらの蒸れはかなり辛い。冷えピタを頭にあてて使ったという方もいらしたけれど、職場から帰ってきて、かつらをはずすと、本当にほっとした。
鼻毛。なくなると、鼻の中はつるつる。そうするといきなり色々なほこりやごみをそのまま吸い込むことになる。くしゃみや鼻水が止まらないのだ。鼻をかむと今度は鼻血が止まらない。人前ではマスク必須である。
睫。なくなると、当然ほこりやごみが入りやすくなる。今度は涙が止まらない。いつもじわじわ涙がにじんでいるので、無意識のうちにそれをぬぐう。するとまぶたの周りがただれる。まぶしくて目を開けていられない。日中はサングラスが必須である。ちょうど花粉症の季節だったのでマスクとサングラスをしていてもあまり目立たなかったのが幸いだった。かつらにマスクにサングラス、ぱっと見は不審者・・・である。
眉毛。ずいぶん後になってから、ふと気づくととても薄くなっていた、というレベルだったけれど、もともとげじげじ眉毛の私が麻呂のようになって、人相がかなり変わった。今もまだ薄くぼーっとしたままだ。
すねもつるつる、(あ、これはいいかも!)などと思ったけれど、後半はむくみがひどく、はちきれそうにぱんぱんだったので、まるで鋼鉄のようにてかてかに光ってちょっと不気味だった。
爪の痛み、脱落。今はタキソテールの点滴中に冷やしていると良い、とのことで冷却グローブ等の新兵器が開発されているようだ。確かに点滴中冷たいのは辛いかもしれないけれど、長期にわたっての爪のダメージよりは良いと思う。私は手袋をはずして2ヶ月ほどになるが、まだ手指の爪はペラペラして縦に細かい筋が入っており、とても脆い。先日も右の中指の爪がひっかかってまた割れて、短くなってしまっている。足の爪に影響が出るのはもっとずっと遅い。当然手より爪が伸びるのが遅いからなのだが、両足の薬指や小指はあっというまにぽろりと落ちたけれど、人差し指、中指は浮きあがっただけで特に脱落しなかった。親指が一番大きく付け爪のようにぽっかりとれたので、今もまだ包帯でカバーしている状態だ。少なくともあと3ヶ月くらいはかかるのでは、と思う。
これもなくなってみて初めてわかったのだが、手指の爪がないとボタンが留められない。とにかく細かい仕事が殆ど全く出来ない。ちょっとしたものをはがすとか、小さいものをつまむとか。足は普段はあまり気づかないけれど親指の爪がないととにかく踏ん張りが利かない。力がはいらず、かばって歩くと腰痛のもとになる。
さらに手足の痺れも一緒に来ているのでたちが悪い。熱いものを感じられずにそのまま持ってしまったり、手が滑ってこぼしたりひっくり返したり、下にあるものに気づかずに踏んづけたりするので、くれぐれもやけどや怪我に注意するように看護師さんに言われた。味噌汁やスープもお椀でなくマグカップ、がよいのかもしれない。
手足の痺れと痛み。まさに足は、痒くても靴の裏から掻く、という感じ。手の方は滑ってよく物を落とした。まだ残っているけれど、今はアロマシンの手指のこわばりがわかるほどずいぶん落ち着いた。ひどい時にはこのこわばりが分からないほどの感覚だったので。半年以上ビタノイリン、ビタメジン、漢方薬のお世話になった。
味覚異常。最後までわかったのは酢っぱい味だけ。まるで妊婦のように何にでもポン酢をかけて食べていた。それ以外は甘いもしょっぱいも辛いも殆どわからない。何か鉄のような味で後味がとても悪い。よくあの味覚で味見もせずにいい加減に食事を作っていたものだ、と思う。何を食べても美味しいものが美味しく感じられない。香りは分かるのに口に入れるといきなり味が分からない。とてもさびしかった。
倦怠感。これは今までに体験したものの比ではなかった。体に重りを背負っていて背中からどんどん沈み込むような感じ。起きられない。今思えば一番ひどかったときは鬱の一歩手前だったと思う。いらいらしたかと思うとひたすら滅入る。何もしたくない。本も読みたくない。読めない。後半になるにしたがって、だんだん薬がたまってくる感じや、薬が抜けてくるのに時間がかかってくるのを感じると、治療しているというのに、良くなっていると実感できない。かえって悪くなっているように思えた。投げやりになり、人格が変わっていくような気がした。それでも看護師さんたちは「普段のあなたを知っているから大丈夫」と支えてくれた。
浮腫。後半にどんどん悪化して、最終的には妊婦時代の体重増と同じ7キロがほぼ1週間で増えた。しかも下半身に集中。足首のくびれがなくなり、靴がきつくなり、歩くのが大変になった。触れば飛び上がるほど痛い。ある日入浴していて足の甲と指が盛り上がっているのに気づいて唖然とした。医療用弾性ストッキングも試したけれど、とにかく爪がないので引き上げるための力が入らないから、自分で履けない。夫にも助けてもらいながら毎回痛くて涙を出しながら履いた。医療用はあきらめて、ドラックストアで立ち仕事によいというストッキングやハイソックス等いろいろ試した。結局、半年以上利尿剤ラシックスのお世話になった。
白血球減少。投与した翌週には判で押したように決まって発熱。処方された抗生物質や解熱剤を飲んでいてもどうしても白血球が下がるので、毎回好中球アップさせる注射を打ちながらの6クールだった。それでも回を重ねるうちにああそろそろこうなるな、こうなるな、と学習しながら何とか乗り切った。
顔の色素沈着。2回の投与が終わった年明け頃から頬のあたりに蝶のような形をした赤黒い色素沈着がひどくなってきた。最初は赤く腫れた感じだったが、だんだん黒ずんできた。ただでさえ顔色が悪いし、皮膚が過敏になっていてメイクもできなかったので、気になった。皮膚科のお世話になることになり、それ以降いまだに爪の剥離状況の改善に時間がかかっているので、今も皮膚科に通っている。この色素沈着はちょうど膠原病で出る蝶状斑によく似ているということだが、タキソテールの副作用として出現するケースは珍しいとのことだった。ステロイドや美白クリームを処方していただき、今は殆どわからないくらいになった。
こうしてみると本当に出現率がかなり低いものも含めて、殆ど考えられる全ての副作用が出現した。単純に出来ているのか、薬の感受性が強いようだ。だから効いているのだ、と言い聞かせて乗り切った。(実際のところ、副作用が出るから良く効いている、出ないから効いていない、ということはないようだけれど・・・)
タキソテールを投与しながらも仕事を続ける方もいると伺った。私も最初はそうしようと思っていたけれど、こんな状態ではどれだけ職場に迷惑をかけたかわからない。もちろん半年間不在にはしたので沢山の迷惑をおかけたしたけれど、突然休むとか、出勤したけれど具合が悪くなってすぐに帰ってくる、といった事態は避けられたし、兼務ながら代替職員も置いて頂けたので、私としては救われた思いがする。
それが今は週4日フルタイムで働き、週1日はほぼ一日かけて通院治療をし、土日には今日のようなイベントに出かけることができるほど、元気になっている。頑張ったかいがあった、と思う。
今の小康状態が少しでも長く続いてほしい。抗がん剤治療はもしもうやらないですむならやらないですませたい。再発患者は抗がん剤治療がエンドレス、だということはわかっているけれど。副作用の症状もその感じ方も十人十色なのだろうけれど、やはりこれは経験したことがない人、それを支えた家族以外にはわからないと思う。わかれ、と言う方が無理だけれど。
今回は「会員のみなさまへ ワット会長から2009年を締めくくるお集まりのお知らせです。」 ということで、
「・新しく入会された(術後、日が浅い)かたから<あけぼの会>に対する新鮮で率直な要望を聞いてみたい・・・
・また旧い会員?のみなさんにも注文があるのでは・・・
・再発治療中の人にも切羽詰った要望が・・・
・そして支部のあり方に対しても意見が・・・
・また、現実問題として、会費が大変だとか・・・
あけぼの会は創立31周年、これからはもっともっと「みんなの会」でありたいと願っています。ですから多くの忌憚なき声を聞かせてほしい。(私に会いに?)出てきてください。待っています。
テーマ:あけぼの会の未来を考える」
というピンクのはがき(あけぼの会からのお知らせはいつもかわいいピンクのはがきだ。)が11月中旬に舞い込んだ。「初夏のお集まり」と同じ会場での開催だったので、早速申し込んだ。
参加者は30名ほど、教室形式の会議室で会長さんが司会進行をなさった。新しく入会された方のご挨拶等から始まり、後半は会長さんからの「いつでも、どこでも、だれでも、本当に困っている人が相談できる場所=あけぼのハウス=」への熱い思いを直接伺うことができた。また、HPの治療日記でお世話になり、ブログ立ち上げの背中を押してくださった事務局のTさんともご挨拶できた。7月にいらしていたFさんや先月「虹のサロン」でお話ししたOさんのお姿もあった。
私はまだ入会して半年の新米会員なので、1年のイベントスケジュールが頭に入っていないのだが、この後、東京支部では新春お食事会が予定されている。こうして1ヶ月、2ヶ月に1度というタイミングで集まりがあることは、体調と相談しながら参加することができるから、いろいろ不安を感じる私たち会員にとって、とても心強いことだと思う。事務局も全て乳がん体験者。再発治療中の方もいらっしゃり、少人数でとても苦労なさっている、ということが良くわかる。私にも何かできることがあれば、と思っていたが、「乳がんディクショナリー」の改定で少しでもお役に立てれば、とお話してきた。
今日のキーワードは『おしゃれ』という会長さん=パリ帰りのピンクのミニスカートで登場=のお言葉に甘えて、前から欲しかったニットのアンサンブルを買って帰ってきた。そう、治療でお金がかかるのは事実だけれど、おしゃれも決してあきらめないで前向きに生きたい。
出かけたときはまだ雨が降っていなかったけれど、帰りはかなり強い降りになっていた。
今日は往復の電車で河岡義裕さんの『新型インフルエンザ本当の姿』(集英社新書)を読んだ。わかりやすくまとまっていて良かった。先日エントリーした予防接種の連絡があり、1月に予約が入ったので、ほっとしている。
さて、前回、退院直後の頃までのことを書いたが、とにかくタキソテールの副作用が総花的に出てしまった単純な私だった。
思い出してみると、まず最も分かりやすい脱毛から。 一口に脱毛というと、ああ髪の毛ね、と思うのだけれど、実際は、ああ、こんな所も・・・というほど全身である。今まで何も気にせずにあって当然、いったいなんの役に立つのやら、と思っていた体中の体毛がこんなに役立っていたのだ、と改めて思った。
毛髪。実にうまく出来ていることを実感した。夏でも髪の毛だとうまく汗を吸い取ってくれるので、汗をかいても帽子をかぶったりすることがなければ殆ど蒸れないが、かつらの蒸れはかなり辛い。冷えピタを頭にあてて使ったという方もいらしたけれど、職場から帰ってきて、かつらをはずすと、本当にほっとした。
鼻毛。なくなると、鼻の中はつるつる。そうするといきなり色々なほこりやごみをそのまま吸い込むことになる。くしゃみや鼻水が止まらないのだ。鼻をかむと今度は鼻血が止まらない。人前ではマスク必須である。
睫。なくなると、当然ほこりやごみが入りやすくなる。今度は涙が止まらない。いつもじわじわ涙がにじんでいるので、無意識のうちにそれをぬぐう。するとまぶたの周りがただれる。まぶしくて目を開けていられない。日中はサングラスが必須である。ちょうど花粉症の季節だったのでマスクとサングラスをしていてもあまり目立たなかったのが幸いだった。かつらにマスクにサングラス、ぱっと見は不審者・・・である。
眉毛。ずいぶん後になってから、ふと気づくととても薄くなっていた、というレベルだったけれど、もともとげじげじ眉毛の私が麻呂のようになって、人相がかなり変わった。今もまだ薄くぼーっとしたままだ。
すねもつるつる、(あ、これはいいかも!)などと思ったけれど、後半はむくみがひどく、はちきれそうにぱんぱんだったので、まるで鋼鉄のようにてかてかに光ってちょっと不気味だった。
爪の痛み、脱落。今はタキソテールの点滴中に冷やしていると良い、とのことで冷却グローブ等の新兵器が開発されているようだ。確かに点滴中冷たいのは辛いかもしれないけれど、長期にわたっての爪のダメージよりは良いと思う。私は手袋をはずして2ヶ月ほどになるが、まだ手指の爪はペラペラして縦に細かい筋が入っており、とても脆い。先日も右の中指の爪がひっかかってまた割れて、短くなってしまっている。足の爪に影響が出るのはもっとずっと遅い。当然手より爪が伸びるのが遅いからなのだが、両足の薬指や小指はあっというまにぽろりと落ちたけれど、人差し指、中指は浮きあがっただけで特に脱落しなかった。親指が一番大きく付け爪のようにぽっかりとれたので、今もまだ包帯でカバーしている状態だ。少なくともあと3ヶ月くらいはかかるのでは、と思う。
これもなくなってみて初めてわかったのだが、手指の爪がないとボタンが留められない。とにかく細かい仕事が殆ど全く出来ない。ちょっとしたものをはがすとか、小さいものをつまむとか。足は普段はあまり気づかないけれど親指の爪がないととにかく踏ん張りが利かない。力がはいらず、かばって歩くと腰痛のもとになる。
さらに手足の痺れも一緒に来ているのでたちが悪い。熱いものを感じられずにそのまま持ってしまったり、手が滑ってこぼしたりひっくり返したり、下にあるものに気づかずに踏んづけたりするので、くれぐれもやけどや怪我に注意するように看護師さんに言われた。味噌汁やスープもお椀でなくマグカップ、がよいのかもしれない。
手足の痺れと痛み。まさに足は、痒くても靴の裏から掻く、という感じ。手の方は滑ってよく物を落とした。まだ残っているけれど、今はアロマシンの手指のこわばりがわかるほどずいぶん落ち着いた。ひどい時にはこのこわばりが分からないほどの感覚だったので。半年以上ビタノイリン、ビタメジン、漢方薬のお世話になった。
味覚異常。最後までわかったのは酢っぱい味だけ。まるで妊婦のように何にでもポン酢をかけて食べていた。それ以外は甘いもしょっぱいも辛いも殆どわからない。何か鉄のような味で後味がとても悪い。よくあの味覚で味見もせずにいい加減に食事を作っていたものだ、と思う。何を食べても美味しいものが美味しく感じられない。香りは分かるのに口に入れるといきなり味が分からない。とてもさびしかった。
倦怠感。これは今までに体験したものの比ではなかった。体に重りを背負っていて背中からどんどん沈み込むような感じ。起きられない。今思えば一番ひどかったときは鬱の一歩手前だったと思う。いらいらしたかと思うとひたすら滅入る。何もしたくない。本も読みたくない。読めない。後半になるにしたがって、だんだん薬がたまってくる感じや、薬が抜けてくるのに時間がかかってくるのを感じると、治療しているというのに、良くなっていると実感できない。かえって悪くなっているように思えた。投げやりになり、人格が変わっていくような気がした。それでも看護師さんたちは「普段のあなたを知っているから大丈夫」と支えてくれた。
浮腫。後半にどんどん悪化して、最終的には妊婦時代の体重増と同じ7キロがほぼ1週間で増えた。しかも下半身に集中。足首のくびれがなくなり、靴がきつくなり、歩くのが大変になった。触れば飛び上がるほど痛い。ある日入浴していて足の甲と指が盛り上がっているのに気づいて唖然とした。医療用弾性ストッキングも試したけれど、とにかく爪がないので引き上げるための力が入らないから、自分で履けない。夫にも助けてもらいながら毎回痛くて涙を出しながら履いた。医療用はあきらめて、ドラックストアで立ち仕事によいというストッキングやハイソックス等いろいろ試した。結局、半年以上利尿剤ラシックスのお世話になった。
白血球減少。投与した翌週には判で押したように決まって発熱。処方された抗生物質や解熱剤を飲んでいてもどうしても白血球が下がるので、毎回好中球アップさせる注射を打ちながらの6クールだった。それでも回を重ねるうちにああそろそろこうなるな、こうなるな、と学習しながら何とか乗り切った。
顔の色素沈着。2回の投与が終わった年明け頃から頬のあたりに蝶のような形をした赤黒い色素沈着がひどくなってきた。最初は赤く腫れた感じだったが、だんだん黒ずんできた。ただでさえ顔色が悪いし、皮膚が過敏になっていてメイクもできなかったので、気になった。皮膚科のお世話になることになり、それ以降いまだに爪の剥離状況の改善に時間がかかっているので、今も皮膚科に通っている。この色素沈着はちょうど膠原病で出る蝶状斑によく似ているということだが、タキソテールの副作用として出現するケースは珍しいとのことだった。ステロイドや美白クリームを処方していただき、今は殆どわからないくらいになった。
こうしてみると本当に出現率がかなり低いものも含めて、殆ど考えられる全ての副作用が出現した。単純に出来ているのか、薬の感受性が強いようだ。だから効いているのだ、と言い聞かせて乗り切った。(実際のところ、副作用が出るから良く効いている、出ないから効いていない、ということはないようだけれど・・・)
タキソテールを投与しながらも仕事を続ける方もいると伺った。私も最初はそうしようと思っていたけれど、こんな状態ではどれだけ職場に迷惑をかけたかわからない。もちろん半年間不在にはしたので沢山の迷惑をおかけたしたけれど、突然休むとか、出勤したけれど具合が悪くなってすぐに帰ってくる、といった事態は避けられたし、兼務ながら代替職員も置いて頂けたので、私としては救われた思いがする。
それが今は週4日フルタイムで働き、週1日はほぼ一日かけて通院治療をし、土日には今日のようなイベントに出かけることができるほど、元気になっている。頑張ったかいがあった、と思う。
今の小康状態が少しでも長く続いてほしい。抗がん剤治療はもしもうやらないですむならやらないですませたい。再発患者は抗がん剤治療がエンドレス、だということはわかっているけれど。副作用の症状もその感じ方も十人十色なのだろうけれど、やはりこれは経験したことがない人、それを支えた家族以外にはわからないと思う。わかれ、と言う方が無理だけれど。