今日は内科受付の後、30分ほど待って中待合へ。その後ほどなくして診察室へ入った。「前回の傷跡付近の痛みはその後どうですか。」と聞いて頂き、「あまり気にならなくなりました。」とお答えする。何がいけなかったのか、先生も首を傾げていらした。ただ、指のこわばりは相変わらずで、指先はむくみもあるのか指輪が全く入らない。結婚指輪ももう1年以上はずしたままだ。
その後処置室へ。今日は患者さんが少なめで点滴椅子の空きがあった。薬を待ち、順調に点滴も終了した。
今日も2冊の本が読めた。1冊目は井形慶子さんの『イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか』(新潮文庫)。彼女の本は何冊か読んだことがあったが、今回の本では「窮地に立つ人を傷つけないかかわり方」の章にとても学ばされた。“いつもは疑いもしなかった人間関係が、ここ一番の窮地に立たされたことによってリトマス試験紙となり、本当の姿をあぶりだす。一人になったときには果てしない寂寥感に脱力させられ、「こちらの状況を教えなければよかった」という後悔にかられる。そこに恋人は伴侶が絡んでいると、ますます複雑な心境になる。これはとても残酷なことだ。”という部分には実に納得がいった。確かにピンチになった時、ナーバスになっているということもあるだろうが、普段は気にもかけないようなことにも驚くほど反応するようになり、本心から心配してくれているのかそうでないのか、怖いくらい良くわかるのだ。
2冊目は重松清さんの『みんなのなやみ』(新潮文庫)。これは十代の子どもたちのなやみに重松さんが答える形になっているけれど、帯にあるように大人も必読、だと思った。息子対策ではあるが、本当に自分が子どもだったとき、中高生だったときに情緒不安定で不機嫌だったことを都合よく忘れ、今の息子の不機嫌を厭うだめな母であることを改めて反省した。
その息子が、昨日の夕方まだ職場にいた私の携帯に電話をしてきた。「熱があって頭が痛くて関節が痛い。」とのこと。また塾の日であったので「また行きたくないのかな、それとも今度こそ新型インフルエンザかも」と近所のクリニックで合流した。昨日はまだお腹の風邪、との診断だったが、夜寝るときには38度まであがり、今朝は朝から39度。夫が休みをとってクリニックに連れて行ってくれて、新型インフルの診断が下った。タミフルを処方して頂き、今は39度5分で自分の部屋に隔離されている。担任の先生に連絡したら、教室では今はかかっている生徒はいないそうで、どこでもらってきたことやら。だが、年末にはスキーやら旅行やらを予定しており、本人は「いいときにかかったよ、試験も終わっているし」とのんきなことを言っている。
さて、そろそろ喪中欠礼も出揃った頃で、年賀状を書き出さないといけないが、旧友には昨年の年賀状で持病再発転移と治療専念につき休職中の旨を伝えた。何人かが心配して文字通り恐る恐る、という感じで気遣いながらメールやら電話やら手紙をくれた。その頃はまだ治療の真っ只中で、とても通院以外は外出するという状態(精神状態も含め)ではなかったけれど、本当に十年ぶり以上たって懐かしい声を聞かせてくださった方もいた。一番久しぶりだったのは中学時代の数学の先生だ。母と同世代だけれど、お母様を介護していらっしゃるとのことで、あいかわらずとてもパワフルなお声だった。お会いしてお見舞いできれば、と気を使ってくれた友も何人もいたし、同窓会でいきなり寄せ書きを募ってくれて綺麗なお花とともに届けてくれた友もいた。本当にとてもありがたいことだった。あらためてこの年になると本当にいろいろな人たちに支えられてこれまでやってきたのだ、と実感する。
それでも自分でも揶揄しながら言っていたのだが、差別用語の批判を恐れずに書けば「はげ(副作用で完全脱毛)でぶ(副作用で妊婦なみの体重となったひどいむくみ)ぶす(副作用で顔のただれ、発疹)」の三重苦の状態で、とてもじゃないけれど元気で綺麗にしている人たちに会いたい、と思えなかった。驚かれるかもしれないけれど、脱毛してかつら生活になってからは、両親にも親戚にも会っていない。(もちろん電話ではご機嫌伺い等、話はするけれど)せめて自分の髪できちんと髪の毛が整えられるようになるまでは、治療報告も事後で、と思っている。
今でもまだかつて元気だった頃とは違い、眉もまつげも薄くぼーっとした顔だし、むくんでいるので出来れば昔の若く元気な私を知っている方たちとは会いたくない、というのが本音だ。最後に(なるかもしれない)会った印象が悪いのは出来れば避けたい。
吉村昭さんが「死顔」に書いていらしたように、お葬式で、最後のお別れと称して誰にもかれにも棺の中の顔を見られるのはいや、ということが本当によくわかる。そんな顔、家族以外にとても見られたくないではないか。
もちろん映画「おくりびと」で出ていたように死化粧を施され綺麗にエンバーミングもしてもらったにせよ、やっぱりもう生物でない自分を晒すのは出来れば勘弁してもらいたい。元気な頃の笑顔の私を記憶にとどめてもらうのが一番幸せだと思う。
そんな見栄えばっかり気にして馬鹿みたい、と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもせっかくなら留めて頂く記憶は綺麗な方がいいに決まっている。きちんと自分の意思決定が出来るうちにそれだけは何とか伝えておきたい。やせ衰えているのかむくんでいるかどうなっているかわからないけれど、病人然とした私は見なかったことにしてほしい。老衰で大往生、というわけではないだろうから。それでももちろんいよいよ必要、となれば、きちんとお別れすべき人には自分で行けるうちにお別れに行かなければいけないと思うけれど・・・。
と、どうもこんなことを言うなんてマイナス思考で失礼しました。
その後処置室へ。今日は患者さんが少なめで点滴椅子の空きがあった。薬を待ち、順調に点滴も終了した。
今日も2冊の本が読めた。1冊目は井形慶子さんの『イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか』(新潮文庫)。彼女の本は何冊か読んだことがあったが、今回の本では「窮地に立つ人を傷つけないかかわり方」の章にとても学ばされた。“いつもは疑いもしなかった人間関係が、ここ一番の窮地に立たされたことによってリトマス試験紙となり、本当の姿をあぶりだす。一人になったときには果てしない寂寥感に脱力させられ、「こちらの状況を教えなければよかった」という後悔にかられる。そこに恋人は伴侶が絡んでいると、ますます複雑な心境になる。これはとても残酷なことだ。”という部分には実に納得がいった。確かにピンチになった時、ナーバスになっているということもあるだろうが、普段は気にもかけないようなことにも驚くほど反応するようになり、本心から心配してくれているのかそうでないのか、怖いくらい良くわかるのだ。
2冊目は重松清さんの『みんなのなやみ』(新潮文庫)。これは十代の子どもたちのなやみに重松さんが答える形になっているけれど、帯にあるように大人も必読、だと思った。息子対策ではあるが、本当に自分が子どもだったとき、中高生だったときに情緒不安定で不機嫌だったことを都合よく忘れ、今の息子の不機嫌を厭うだめな母であることを改めて反省した。
その息子が、昨日の夕方まだ職場にいた私の携帯に電話をしてきた。「熱があって頭が痛くて関節が痛い。」とのこと。また塾の日であったので「また行きたくないのかな、それとも今度こそ新型インフルエンザかも」と近所のクリニックで合流した。昨日はまだお腹の風邪、との診断だったが、夜寝るときには38度まであがり、今朝は朝から39度。夫が休みをとってクリニックに連れて行ってくれて、新型インフルの診断が下った。タミフルを処方して頂き、今は39度5分で自分の部屋に隔離されている。担任の先生に連絡したら、教室では今はかかっている生徒はいないそうで、どこでもらってきたことやら。だが、年末にはスキーやら旅行やらを予定しており、本人は「いいときにかかったよ、試験も終わっているし」とのんきなことを言っている。
さて、そろそろ喪中欠礼も出揃った頃で、年賀状を書き出さないといけないが、旧友には昨年の年賀状で持病再発転移と治療専念につき休職中の旨を伝えた。何人かが心配して文字通り恐る恐る、という感じで気遣いながらメールやら電話やら手紙をくれた。その頃はまだ治療の真っ只中で、とても通院以外は外出するという状態(精神状態も含め)ではなかったけれど、本当に十年ぶり以上たって懐かしい声を聞かせてくださった方もいた。一番久しぶりだったのは中学時代の数学の先生だ。母と同世代だけれど、お母様を介護していらっしゃるとのことで、あいかわらずとてもパワフルなお声だった。お会いしてお見舞いできれば、と気を使ってくれた友も何人もいたし、同窓会でいきなり寄せ書きを募ってくれて綺麗なお花とともに届けてくれた友もいた。本当にとてもありがたいことだった。あらためてこの年になると本当にいろいろな人たちに支えられてこれまでやってきたのだ、と実感する。
それでも自分でも揶揄しながら言っていたのだが、差別用語の批判を恐れずに書けば「はげ(副作用で完全脱毛)でぶ(副作用で妊婦なみの体重となったひどいむくみ)ぶす(副作用で顔のただれ、発疹)」の三重苦の状態で、とてもじゃないけれど元気で綺麗にしている人たちに会いたい、と思えなかった。驚かれるかもしれないけれど、脱毛してかつら生活になってからは、両親にも親戚にも会っていない。(もちろん電話ではご機嫌伺い等、話はするけれど)せめて自分の髪できちんと髪の毛が整えられるようになるまでは、治療報告も事後で、と思っている。
今でもまだかつて元気だった頃とは違い、眉もまつげも薄くぼーっとした顔だし、むくんでいるので出来れば昔の若く元気な私を知っている方たちとは会いたくない、というのが本音だ。最後に(なるかもしれない)会った印象が悪いのは出来れば避けたい。
吉村昭さんが「死顔」に書いていらしたように、お葬式で、最後のお別れと称して誰にもかれにも棺の中の顔を見られるのはいや、ということが本当によくわかる。そんな顔、家族以外にとても見られたくないではないか。
もちろん映画「おくりびと」で出ていたように死化粧を施され綺麗にエンバーミングもしてもらったにせよ、やっぱりもう生物でない自分を晒すのは出来れば勘弁してもらいたい。元気な頃の笑顔の私を記憶にとどめてもらうのが一番幸せだと思う。
そんな見栄えばっかり気にして馬鹿みたい、と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもせっかくなら留めて頂く記憶は綺麗な方がいいに決まっている。きちんと自分の意思決定が出来るうちにそれだけは何とか伝えておきたい。やせ衰えているのかむくんでいるかどうなっているかわからないけれど、病人然とした私は見なかったことにしてほしい。老衰で大往生、というわけではないだろうから。それでももちろんいよいよ必要、となれば、きちんとお別れすべき人には自分で行けるうちにお別れに行かなければいけないと思うけれど・・・。
と、どうもこんなことを言うなんてマイナス思考で失礼しました。