ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.12.7素直な気持ち

2010-12-07 06:45:31 | 日記
 あけぼの会事務局Tさんの治療日記を拝見していて、「腫瘍マーカーの数字で惑わされてたまるか、と心に言い聞かせる。やりたいことをしたい。好きなことをしたい。行きたいところに行きたい。わがままというのではなく、心からそう思う。」の文章にとても共鳴した。

 私も、治療をきちんと続けながら、出来るだけやりたいことをしたい。好きなことを辞めたくない。行きたいところに行きたい。素直にそう思っている。

 それでも、ふと、これは欲張りだろうか、わがままなのだろうか・・・と気持ちが萎えてしまうことがある。(何言ってるの、貴女はⅣ期のがん患者なんだから、何はともあれ治療が最優先、いろいろ我慢しないとね、だって欲張りすぎて死んじゃったら始まらないじゃない!)ともう一人の私が囁く。

 でもそれでは“生きている”ことにならない。
 ぐったり寝たまま治療を続け呼吸を続けていること、それは私の望む“生きている”ことではない。もちろん完治するというならじっと我慢すべき時期もあるだろう。それを乗り越えた後には、またこれまでどおり好きなことが出来る生活が待っているのだから。でも残念ながらそうではないのだから、うまく病状と折り合いをつけつつ後悔しないように、悪い細胞が暴れない程度に休眠してもらうべく治療を続けながら、自分の望む人生をつないでいきたいのだ。

 30代には30代なりの、40代には40代なりの、そして60代、70代でも、その方なりに病気と付き合っていても、現に生きているからこそやりたいことは沢山あるだろう。もちろん30代なら独身だったり、まだまだ子供が小さかったり、40代では子供が思春期だったり、50代ではようやく自分の時間が充実してくる頃か、60代では夫婦2人での第二の新婚生活だったり、孫に会うのが楽しい生活だったり・・・・。
 当然30代、40代で病を得た人たちに比べて、既に元気で何十年も長く生きて、結婚して、子供を産み育てて、独立させて、孫が出来て・・・、というライフサイクルまで経験済みの方も沢山おられる。
 一方、人生折り返し地点より手前で病を得た身からすれば、子供が成人するまでは生きられないかもしれない、結婚や孫なんてとんでもない。先輩たちはそれはちゃんと手に入れているのだから、もう十分でしょ・・・、と言うわけには、当然ならない。それは20代で若年性乳がんに罹り、子どもを持つことを諦めなければならなくなった方から、とにかく先輩たちは結婚して子どもも持てて、ある程度まで育てられたんだから、もう十分でしょ・・・、と言われるわけにはいかない、ということと同じだ。

 90歳だろうが100歳だろうが、十分人生を満喫して、いつお迎えが来ても何ら後悔はない、と言い切れる人がいったいどれだけいることか。
 四半世紀前に義父を見送り、未亡人生活で日々是元気印の義母は、義弟からは『(私たちがいなくなった)後をどうぞよろしくお願いします。』と言われているほど。その義母や、今や二人でようやく一人分の働きをしているような両親を見ていて、強く思う。孫が見られれば・・・と言っていたのが、孫が小学校に上がるまで、最近では孫のお嫁さんが見られるかしら、まで延長しているように感じる。冗談でなく私より長生きしそうな気配である。

 私のように40代で再発し、まだ子供が小学生だったという状況なら、とても子供の結婚や孫を見るところまで望むのは厳しい、というのが哀しい現実だろう。けれど、60代、70代の方はせめて孫が学校に行くまでとか、孫の結婚式までは、と辛い治療に希望を託すのは当然のことだろう。
 誰だって一日でも長く自分らしく自分のやりたいことをやり、行きたいところに行き、食べたいものを美味しく食べて幸せな毎日を送りたいのだから。

 私にとってやりたいこと。仕事もそう、家族との小旅行も、友人との語らいも、衝動買いのショッピングも読書も映画もヨガも。自己防衛のための仕事の前日の前泊も、みんな、そうだ。もちろん、前泊までして出席するような価値のある会議か、と言われれば否、と言われるかもしれないが、それでも、今の私の大事な仕事である。

 だから今日も朝から夫と息子の夕飯はお泊り日定番のカレーを仕込んで、明日の会議に備える私がいる。
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