今日から師走。テンプレートもちょっとクリスマス気分に変更した。暖かい12月のスタートで風邪引きの後の体には嬉しい。
月初めの採血だし、点滴6本のフルコースなので余裕をもって早い電車で行かなくては、と家を出ようとすると玄関の鍵のラックに私の鍵がない。あたふたしてまたリビングに戻り昨日のバックのポケットを探してみるが出てこない。昨日は研修でたまたま帰りの電車が夫と一緒になったので、買い物をして、・・・してと速攻で思い出してみる。とにかく鍵がなくては出かけられない、とパニック。ふと上の段の鍵のラックを見ると、先日義母が忘れていった義母用の鍵が。次の電車になると10分以上間隔があいており、さらに乗換駅でも下手をすると2台遅れ。大慌てで家を出て、歩きながら(危ないですが遊歩道なので)「昨日は私が鍵を開けたんだっけ?」と夫にメール。
必死の早足で(走ることは端から諦めている)駅に着くと、乗る予定だった電車が3分遅れでセーフ。最寄りの駅に着いた頃、夫から「昨日はあなたが鍵を開けた。鍵がないの?」と返信メール。と、矢継ぎ早に返信メールNo.2が来て、「大変だ。なんと私のカバンにあなたの鍵が入っていた」と。・・・絶句である。慌てて出かけた夫が、自分の鍵と一緒に私の鍵まで一掴みにして、それに全く気付かずにいたに違いない。とりあえずどこかに落としたわけではなく、見つかって良かったのだけれど。呼吸を整えながらこの貸しは大きいぞ、と思う。乗換駅でもなんとか滑り込みで乗車できた。
無事予定通りに病院に入る。採血の受付では10分ほど待ったので、また30分は待つのか、と覚悟したけれど、採血室に入ると、僅か5人待ち。殆ど廊下に出て待つ必要もなくそのまま室内で待つ。今日はマーカー等フル検査なので3本採取。
内科受付に移動して保険証もあわせてチェック。中待合へどうぞ、のランプがつくまで1時間ほど待った。
2週間ぶりだったので、前回投与後の週末から調子が悪く、風邪もひいて微熱が出、1週間ほど風邪薬を飲んだことをご報告。それでも日曜日に無事インフルエンザも接種できて、今日は元気です、と。
採血の結果は特に問題なし。白血球も4100あり、好中球の心配もない。ただ、カルシウムが高め、とのこと。骨転移で骨が溶けて・・・ということでしょうか、と質問すると、普段から正常上限値に近いのだが、若干超えただけなのでそれほど心配はない、とのこと。さらに血糖値が低い。正常下限値の8割強。それでもふらつきや冷や汗をかいたり、ということがなければエネルギー効率が良い、ということで心配ないでしょう、とのこと。最近毎食後デザートは欠かしていないのだけれど・・・。
次週はレントゲン撮影。白血球は心配なさそうなので、採血はなしでOKだそうだ。ここで1時間短縮できるのは嬉しい。
処置室を覗くと、今日はそのまま「どうぞ」と言われる。点滴椅子もベッドも複数空いていた。ただ、長丁場なので3時のランチタイムには到底間に合わないから売店でお昼を買って戻る。
ベッドで針刺。薬を待つこと40分ほど。とても順調に11時半前から点滴開始。終了は3時少し前だった。
処置室を出るときには腫瘍マーカー値も出ていたのでプリントアウトして頂いた。前回比1.2の減。大きくダウンというわけではないが、下がっていることは治療を続けていく上での励みになる。
ふと、ずっとお世話になっていた看護師のIさんの姿が前回に引き続き見えないので、Sさんに確認すると、「ご挨拶していなかったんですね・・・。異動したんですよ。2階の放射線で検査に入ったりしているので、行って頂いても出てこられないかもしれないけれど・・・」と。Iさんは9月のポート設置入院のときにわざわざベッドまで顔見せに来てくださった方で、この病院に転院以来3年近く化学療法室でほぼ毎週サポートしてくださっていたので、このままそれっきりでは・・・と、会計をしてから放射線の受付窓口にダメもとで行ってみた。
幸いいつもCT撮影の時に血管確保をする部屋で待機していらしたようで、廊下まで出てきてくださった。突然の異動だったそうで11月15日付の異動が5日前に本人内示を受けたそうだ。それでも今後CT撮影等でまたお会いできますね、とお話して病院を出た。本日の病院滞在時間は6時間半弱。フルコースにしては上等だ。
今日は3冊読めた。
1冊目は重松清さんの「季節風 冬」(文春文庫)。「ひとの“想い”を信じていなければ、小説は書けない気がする」という著者が、普通の人々の小さくて大きな世界を季節ごとに描き出すシリーズ。この後、春、夏、秋も刊行されるようだ。いつもながら涙腺のツボをあっさり刺激されてしまい、12篇を読みつつ何度うるうるしたことか。やはり同じ年代で同じキャンパスを歩いていたこともあり、私自身は地方出身者というわけではないけれど、どうも通じるものがある。「あっつあつの、ほっくほく」は今、我が家のそばでも聞こえてくる声だ。「コーヒーもう1杯」の中の「40歳を過ぎた頃から、若い頃のことを思い出す機会が増えた。記憶をたどるというより、ふとしたきっかけで、不意にあの頃の風景や言葉が浮かび上がってくるのだ。それをつかまえて、小さな脚色や言い訳や、あの頃の自分たちへのささやかなエールを混ぜてお話に仕立て上げるのが、いまの僕の仕事だ。」とあるが、実にそうなのだろう。子どもの成長、親の老い、もろもろ全てひっくるめて、「一陽来復」でありますように。
2冊目は角田光代さんの「マザコン」(集英社文庫)。帯には「お母さん、大嫌いで大好きです。甘くない、でも泣きたくなるほどいとおしい。胸を揺さぶる、親子を描いた作品集」とある。私は母とはそれほど支配的な確執があったとは思えないけれど、それでも反面教師であったことは事実だ。母のようにはなりたくない(なれない)、というのがいつもどこかにあった。やはり母と娘は同性だけに難しい。結局殆どの息子がマザコンであるように娘も母の呪縛から逃れられないものなのか。精神科医・斉藤環さんが解説で「『母』という謎」に書かれているように『母になる前の母』、『母をやめた後の母』、『母でなくなってしまった母』を知ること、母親が『一人の不完全な女』であると気づくことが重要だという言葉に、今ダメ母である私はとても救われる。
3冊目は米原万里さんの「ロシアは今日も荒れ模様」(講談社文庫)。裏表紙にあるとおり「ロシアとロシア人は退屈しない、知れば知るほど謎が深まるこの国は、書かずにはいられないほどの魅力に満ち溢れている。激動に揺れながら過激さとズボラさ、天使と悪魔がともに棲む国を鋭い筆致で暴き出す爆笑エッセイ」。それにしてもこの万里さん節がこの後、決して紡ぎ出されることはない、という厳然たる事実に改めて淋しさが心に沁みる。
12月になり、病院の最寄り駅でも乗換駅でもクリスマスイルミネーションが美しい。今年もあと30日。今年は喪中欠礼がずいぶん多い、と夫が言っていた。我が家は年賀状の印刷が既に仕上がっている。取りに行かなくては・・・。
月初めの採血だし、点滴6本のフルコースなので余裕をもって早い電車で行かなくては、と家を出ようとすると玄関の鍵のラックに私の鍵がない。あたふたしてまたリビングに戻り昨日のバックのポケットを探してみるが出てこない。昨日は研修でたまたま帰りの電車が夫と一緒になったので、買い物をして、・・・してと速攻で思い出してみる。とにかく鍵がなくては出かけられない、とパニック。ふと上の段の鍵のラックを見ると、先日義母が忘れていった義母用の鍵が。次の電車になると10分以上間隔があいており、さらに乗換駅でも下手をすると2台遅れ。大慌てで家を出て、歩きながら(危ないですが遊歩道なので)「昨日は私が鍵を開けたんだっけ?」と夫にメール。
必死の早足で(走ることは端から諦めている)駅に着くと、乗る予定だった電車が3分遅れでセーフ。最寄りの駅に着いた頃、夫から「昨日はあなたが鍵を開けた。鍵がないの?」と返信メール。と、矢継ぎ早に返信メールNo.2が来て、「大変だ。なんと私のカバンにあなたの鍵が入っていた」と。・・・絶句である。慌てて出かけた夫が、自分の鍵と一緒に私の鍵まで一掴みにして、それに全く気付かずにいたに違いない。とりあえずどこかに落としたわけではなく、見つかって良かったのだけれど。呼吸を整えながらこの貸しは大きいぞ、と思う。乗換駅でもなんとか滑り込みで乗車できた。
無事予定通りに病院に入る。採血の受付では10分ほど待ったので、また30分は待つのか、と覚悟したけれど、採血室に入ると、僅か5人待ち。殆ど廊下に出て待つ必要もなくそのまま室内で待つ。今日はマーカー等フル検査なので3本採取。
内科受付に移動して保険証もあわせてチェック。中待合へどうぞ、のランプがつくまで1時間ほど待った。
2週間ぶりだったので、前回投与後の週末から調子が悪く、風邪もひいて微熱が出、1週間ほど風邪薬を飲んだことをご報告。それでも日曜日に無事インフルエンザも接種できて、今日は元気です、と。
採血の結果は特に問題なし。白血球も4100あり、好中球の心配もない。ただ、カルシウムが高め、とのこと。骨転移で骨が溶けて・・・ということでしょうか、と質問すると、普段から正常上限値に近いのだが、若干超えただけなのでそれほど心配はない、とのこと。さらに血糖値が低い。正常下限値の8割強。それでもふらつきや冷や汗をかいたり、ということがなければエネルギー効率が良い、ということで心配ないでしょう、とのこと。最近毎食後デザートは欠かしていないのだけれど・・・。
次週はレントゲン撮影。白血球は心配なさそうなので、採血はなしでOKだそうだ。ここで1時間短縮できるのは嬉しい。
処置室を覗くと、今日はそのまま「どうぞ」と言われる。点滴椅子もベッドも複数空いていた。ただ、長丁場なので3時のランチタイムには到底間に合わないから売店でお昼を買って戻る。
ベッドで針刺。薬を待つこと40分ほど。とても順調に11時半前から点滴開始。終了は3時少し前だった。
処置室を出るときには腫瘍マーカー値も出ていたのでプリントアウトして頂いた。前回比1.2の減。大きくダウンというわけではないが、下がっていることは治療を続けていく上での励みになる。
ふと、ずっとお世話になっていた看護師のIさんの姿が前回に引き続き見えないので、Sさんに確認すると、「ご挨拶していなかったんですね・・・。異動したんですよ。2階の放射線で検査に入ったりしているので、行って頂いても出てこられないかもしれないけれど・・・」と。Iさんは9月のポート設置入院のときにわざわざベッドまで顔見せに来てくださった方で、この病院に転院以来3年近く化学療法室でほぼ毎週サポートしてくださっていたので、このままそれっきりでは・・・と、会計をしてから放射線の受付窓口にダメもとで行ってみた。
幸いいつもCT撮影の時に血管確保をする部屋で待機していらしたようで、廊下まで出てきてくださった。突然の異動だったそうで11月15日付の異動が5日前に本人内示を受けたそうだ。それでも今後CT撮影等でまたお会いできますね、とお話して病院を出た。本日の病院滞在時間は6時間半弱。フルコースにしては上等だ。
今日は3冊読めた。
1冊目は重松清さんの「季節風 冬」(文春文庫)。「ひとの“想い”を信じていなければ、小説は書けない気がする」という著者が、普通の人々の小さくて大きな世界を季節ごとに描き出すシリーズ。この後、春、夏、秋も刊行されるようだ。いつもながら涙腺のツボをあっさり刺激されてしまい、12篇を読みつつ何度うるうるしたことか。やはり同じ年代で同じキャンパスを歩いていたこともあり、私自身は地方出身者というわけではないけれど、どうも通じるものがある。「あっつあつの、ほっくほく」は今、我が家のそばでも聞こえてくる声だ。「コーヒーもう1杯」の中の「40歳を過ぎた頃から、若い頃のことを思い出す機会が増えた。記憶をたどるというより、ふとしたきっかけで、不意にあの頃の風景や言葉が浮かび上がってくるのだ。それをつかまえて、小さな脚色や言い訳や、あの頃の自分たちへのささやかなエールを混ぜてお話に仕立て上げるのが、いまの僕の仕事だ。」とあるが、実にそうなのだろう。子どもの成長、親の老い、もろもろ全てひっくるめて、「一陽来復」でありますように。
2冊目は角田光代さんの「マザコン」(集英社文庫)。帯には「お母さん、大嫌いで大好きです。甘くない、でも泣きたくなるほどいとおしい。胸を揺さぶる、親子を描いた作品集」とある。私は母とはそれほど支配的な確執があったとは思えないけれど、それでも反面教師であったことは事実だ。母のようにはなりたくない(なれない)、というのがいつもどこかにあった。やはり母と娘は同性だけに難しい。結局殆どの息子がマザコンであるように娘も母の呪縛から逃れられないものなのか。精神科医・斉藤環さんが解説で「『母』という謎」に書かれているように『母になる前の母』、『母をやめた後の母』、『母でなくなってしまった母』を知ること、母親が『一人の不完全な女』であると気づくことが重要だという言葉に、今ダメ母である私はとても救われる。
3冊目は米原万里さんの「ロシアは今日も荒れ模様」(講談社文庫)。裏表紙にあるとおり「ロシアとロシア人は退屈しない、知れば知るほど謎が深まるこの国は、書かずにはいられないほどの魅力に満ち溢れている。激動に揺れながら過激さとズボラさ、天使と悪魔がともに棲む国を鋭い筆致で暴き出す爆笑エッセイ」。それにしてもこの万里さん節がこの後、決して紡ぎ出されることはない、という厳然たる事実に改めて淋しさが心に沁みる。
12月になり、病院の最寄り駅でも乗換駅でもクリスマスイルミネーションが美しい。今年もあと30日。今年は喪中欠礼がずいぶん多い、と夫が言っていた。我が家は年賀状の印刷が既に仕上がっている。取りに行かなくては・・・。