昨日は、昼頃まではしっかりアロキシが効いていたが、午後遅くなってから1週間の疲れと薬の半減期が重なった形で気持ち悪さが酷くなり、ほうほうの体で帰宅した。
息子が塾だったので、夕食の支度をした後は、夫の相手もせず、横になった。昼でロキソニンも飲み終えているが、なんだか熱っぽくてだるい。気持ち悪さのせいで、食欲もあまりなく、早めに休んだ。
これまで、投与翌日の木曜日午後あたりから調子が悪くなっていたことを考えれば、完全に1日遅らせてくれるほどの効き目があるということなのだが、効き目がもっと続いてくれたら、と欲深くなってしまう。
今朝も何となく体が重い感じで、起きるのもちょっと辛かった。息子を送り出した後、朝一で大洗濯開始。洗濯日和という予報を聞きながら、3回洗濯機を回した。ベランダがもっと広くて干すスペースさえあれば何度でも洗濯するのだが、そうもいかず。
午前中は予約していたリフレクソロジーに1か月ぶりに出かけた。腰のあたりがかなり硬くなっているとのこと。やはり先週のハードな台湾旅行で終日バスに揺られた疲れがまだとれていないのかな、と思う。胃腸も疲れているということだった。確かに吐き気止めのアロキシを点滴されながら、便秘防止でマグラックスを飲んでいるのだから、胃腸もどうしていいのかわからない、という感じなのだろう。施術後、胃腸すっきりブレンドのハーブテイを頂く。すっきりした気分になった。
凝り固まっていた体がほぐれた感じ。本当に爽やかないいお天気。美しい秋の青空だ。昼はやっとお腹が空いてきて食事が出来た。午後は骨盤調整ヨガに参加してすっきり汗を流した。
完璧ではないけれど、これまでに比べてアロキシのおかげで吐き気がうまくコントロール出来たと思う。精神的にとても楽だった。
明日は衣替えを終えて、断捨離もしたい、と張り切っている。
今日は1冊読んだ。
南直哉さんの「なぜこんなに生きにくいのか」(新潮文庫)。
帯には「生き延びるために いまこそ、仏教。禅僧が教える究極の処生術」とあった。以前「老師と少年」を読んだことがあるので、南さんの本は2冊目。ご本人も「おわりに」で書いておられるよが、(自分の)文章は難解で読みにくい、とよく言われるので、本書は、語り下ろした内容をまとめるという新しい試みによって作り出された、とのこと。確かにすんなり読みやすくあっという間に読めてしまった。
「人生苦しいことは多いけど、なんとかしてみよう」と少しでも思ってもらえたなら、本書の目的は果たしたことになる、ということならば、十分そうだった、と思う。
ただ、「生きることが素晴らしいと思える人は、仏教のメインターゲットにはならない。人生が苦しいという人、この世を生き難いと感じている人こそメインターゲットになるだろう。」と記されていることを思うと、生きることに貪欲な今の私は、仏教のターゲットにはなりえないのかな、とも感じる。けれど、仏教を「生きるテクニック」(つまり処世術でなく処生術だと理解する。)だという著者の思いからすれば、よりよい生き方のヒントになる、ということには頷けた。
息子が塾だったので、夕食の支度をした後は、夫の相手もせず、横になった。昼でロキソニンも飲み終えているが、なんだか熱っぽくてだるい。気持ち悪さのせいで、食欲もあまりなく、早めに休んだ。
これまで、投与翌日の木曜日午後あたりから調子が悪くなっていたことを考えれば、完全に1日遅らせてくれるほどの効き目があるということなのだが、効き目がもっと続いてくれたら、と欲深くなってしまう。
今朝も何となく体が重い感じで、起きるのもちょっと辛かった。息子を送り出した後、朝一で大洗濯開始。洗濯日和という予報を聞きながら、3回洗濯機を回した。ベランダがもっと広くて干すスペースさえあれば何度でも洗濯するのだが、そうもいかず。
午前中は予約していたリフレクソロジーに1か月ぶりに出かけた。腰のあたりがかなり硬くなっているとのこと。やはり先週のハードな台湾旅行で終日バスに揺られた疲れがまだとれていないのかな、と思う。胃腸も疲れているということだった。確かに吐き気止めのアロキシを点滴されながら、便秘防止でマグラックスを飲んでいるのだから、胃腸もどうしていいのかわからない、という感じなのだろう。施術後、胃腸すっきりブレンドのハーブテイを頂く。すっきりした気分になった。
凝り固まっていた体がほぐれた感じ。本当に爽やかないいお天気。美しい秋の青空だ。昼はやっとお腹が空いてきて食事が出来た。午後は骨盤調整ヨガに参加してすっきり汗を流した。
完璧ではないけれど、これまでに比べてアロキシのおかげで吐き気がうまくコントロール出来たと思う。精神的にとても楽だった。
明日は衣替えを終えて、断捨離もしたい、と張り切っている。
今日は1冊読んだ。
南直哉さんの「なぜこんなに生きにくいのか」(新潮文庫)。
帯には「生き延びるために いまこそ、仏教。禅僧が教える究極の処生術」とあった。以前「老師と少年」を読んだことがあるので、南さんの本は2冊目。ご本人も「おわりに」で書いておられるよが、(自分の)文章は難解で読みにくい、とよく言われるので、本書は、語り下ろした内容をまとめるという新しい試みによって作り出された、とのこと。確かにすんなり読みやすくあっという間に読めてしまった。
「人生苦しいことは多いけど、なんとかしてみよう」と少しでも思ってもらえたなら、本書の目的は果たしたことになる、ということならば、十分そうだった、と思う。
ただ、「生きることが素晴らしいと思える人は、仏教のメインターゲットにはならない。人生が苦しいという人、この世を生き難いと感じている人こそメインターゲットになるだろう。」と記されていることを思うと、生きることに貪欲な今の私は、仏教のターゲットにはなりえないのかな、とも感じる。けれど、仏教を「生きるテクニック」(つまり処世術でなく処生術だと理解する。)だという著者の思いからすれば、よりよい生き方のヒントになる、ということには頷けた。