昨日の読売新聞の夕刊を、なんだか下半分がやけに白っぽいな、と思いつつ手に取った。
いつも広告がある小さな欄は白抜きで「きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」とある。そして、下の2段抜きの部分には、真ん中に一行のみの文章。
1頁目から繰っていくと、一つのストーリーになる。
「東日本大震災の直後。広告が消えた新聞をおぼえていますか。
広告スペースも、記事で埋めつくされた。それでも、悲しみのすべてを伝えることはできなかった。
社会の活力がなくなる時、広告は、カンタンになくなってしまう。
ふだん、なにげなく目にする広告。でもそれは、幸福の証なのかもしれない。」
逆に最終頁から繰っていくと、もう一つのストーリーになる。
「東日本大震災では、多くの被災地が、病院や診療所を失いました。
医師も薬も、足りない日々。眠れない夜だけが、人々に訪れていました。
医療機関がないのなら、医療関係者が行けばいい。多くの医師が被災地に向かいました。
いのちを救うために集まった、医師、看護師、救命士、薬剤師など。
職業も地域も、その時は、関係ありませんでした。
ただし、医療は、いのちを救う活動の、ほんの一部だったと思う。
あの時、あらゆる人々が、いのちを救う活動をしていたのだと思う。」
そして、真ん中の見開き両面ページにたどり着く。一面雲が浮かぶ青空、それを背景に、
「人間を、
救わずにいられないのも、
私たち人類だと思う。
人を救うこと。
その人が住み慣れた、ふるさとを守ること。
地域を越え、国境を越え、その役割を担う人々の、力になること。
私たち医師の、そんな想いは、これからも変わりません。」
この見開きページで、初めの頁からと最後の頁からがお互いにジョイントして終わる。
「そばに新聞広告がある、ということ。 読売新聞
そばに医師がいる、ということ。東京都医師会
「東京都医師会と読売新聞は、これからも被災地の復興のそばにいます。きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」と。
他紙の状況はわからないが、大震災から7ケ月あまり。あえて、新聞広告の日に新聞広告が消えた日を思い出させるこの広告が、とても印象的で私の心を打った。
広告があるという日常はとても幸福なのだ、ということも。哀しいかな、何もかもなくなってみて初めて分かることなのだ、と思う。
今朝の読売新聞・編集手帳にもこの広告についての記載があった。以下抜粋して転載させて頂く。
※ ※ ※ ※(転載開始)
(冒頭略)「新聞ニ広告ノ載ル。/ナニゴトノ不思議ナケレド」である。◆不思議アリ、きのうの本紙夕刊(東京本社版)に驚かれた 方は多かろう。広告がない。あるべき場所は空欄になっている。「きょう、10月20日は、新聞広告の日です」といった文章が小さな活 字で載ってはいるのだが、ちょっと見には真っ白である◆寒々として、さみしく、痛々しく――広告なき紙面の印象をひと言では尽く しがたい◆思えばあの震災では、窓にともる明かりであったり、傾いていない家であったり、蛇口をひねればほとばしる水であった り、“ナニゴトノ不思議”なく咲いていた薔薇が無残にもむしり取られた。あるべきものが、あるべき場所にある。普段は気に留めぬ 日常の風景がいかにありがたいものかを、小社広告局の趣向は無言のうちに語っている。(以下略)
(転載終了) ※ ※ ※ ※
そう、何より日常の風景を見ながら、自分なりの日常を自分なりに日常として過ごせる心と体のありがたみを噛みしめ、日々感謝したい、と思う。
一方、被災された方々は、震災後7ケ月を経てもなお、かつての日常とはかけ離れた日常を送られているかと思うと、心が痛む。一日も早く、かけがえのない日常を取り戻せるよう、今、私に出来ることをなしつつ、祈り続けたい。
昨夜も早寝をしたが、今朝は早く目覚めてしまい、起床時間まではベッドでぐずぐずしていた。おかげさまで少し鼻水と咳が減ったようだ。今日も引き続きマスクで出勤。とにかく今日さえ乗り切れば明日はお休みだ。
これから来週にかけて、お天気は下り坂との予報でぱっとしないが、疲れた体が待ちわびる嬉しい週末だ。
いつも広告がある小さな欄は白抜きで「きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」とある。そして、下の2段抜きの部分には、真ん中に一行のみの文章。
1頁目から繰っていくと、一つのストーリーになる。
「東日本大震災の直後。広告が消えた新聞をおぼえていますか。
広告スペースも、記事で埋めつくされた。それでも、悲しみのすべてを伝えることはできなかった。
社会の活力がなくなる時、広告は、カンタンになくなってしまう。
ふだん、なにげなく目にする広告。でもそれは、幸福の証なのかもしれない。」
逆に最終頁から繰っていくと、もう一つのストーリーになる。
「東日本大震災では、多くの被災地が、病院や診療所を失いました。
医師も薬も、足りない日々。眠れない夜だけが、人々に訪れていました。
医療機関がないのなら、医療関係者が行けばいい。多くの医師が被災地に向かいました。
いのちを救うために集まった、医師、看護師、救命士、薬剤師など。
職業も地域も、その時は、関係ありませんでした。
ただし、医療は、いのちを救う活動の、ほんの一部だったと思う。
あの時、あらゆる人々が、いのちを救う活動をしていたのだと思う。」
そして、真ん中の見開き両面ページにたどり着く。一面雲が浮かぶ青空、それを背景に、
「人間を、
救わずにいられないのも、
私たち人類だと思う。
人を救うこと。
その人が住み慣れた、ふるさとを守ること。
地域を越え、国境を越え、その役割を担う人々の、力になること。
私たち医師の、そんな想いは、これからも変わりません。」
この見開きページで、初めの頁からと最後の頁からがお互いにジョイントして終わる。
「そばに新聞広告がある、ということ。 読売新聞
そばに医師がいる、ということ。東京都医師会
「東京都医師会と読売新聞は、これからも被災地の復興のそばにいます。きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」と。
他紙の状況はわからないが、大震災から7ケ月あまり。あえて、新聞広告の日に新聞広告が消えた日を思い出させるこの広告が、とても印象的で私の心を打った。
広告があるという日常はとても幸福なのだ、ということも。哀しいかな、何もかもなくなってみて初めて分かることなのだ、と思う。
今朝の読売新聞・編集手帳にもこの広告についての記載があった。以下抜粋して転載させて頂く。
※ ※ ※ ※(転載開始)
(冒頭略)「新聞ニ広告ノ載ル。/ナニゴトノ不思議ナケレド」である。◆不思議アリ、きのうの本紙夕刊(東京本社版)に驚かれた 方は多かろう。広告がない。あるべき場所は空欄になっている。「きょう、10月20日は、新聞広告の日です」といった文章が小さな活 字で載ってはいるのだが、ちょっと見には真っ白である◆寒々として、さみしく、痛々しく――広告なき紙面の印象をひと言では尽く しがたい◆思えばあの震災では、窓にともる明かりであったり、傾いていない家であったり、蛇口をひねればほとばしる水であった り、“ナニゴトノ不思議”なく咲いていた薔薇が無残にもむしり取られた。あるべきものが、あるべき場所にある。普段は気に留めぬ 日常の風景がいかにありがたいものかを、小社広告局の趣向は無言のうちに語っている。(以下略)
(転載終了) ※ ※ ※ ※
そう、何より日常の風景を見ながら、自分なりの日常を自分なりに日常として過ごせる心と体のありがたみを噛みしめ、日々感謝したい、と思う。
一方、被災された方々は、震災後7ケ月を経てもなお、かつての日常とはかけ離れた日常を送られているかと思うと、心が痛む。一日も早く、かけがえのない日常を取り戻せるよう、今、私に出来ることをなしつつ、祈り続けたい。
昨夜も早寝をしたが、今朝は早く目覚めてしまい、起床時間まではベッドでぐずぐずしていた。おかげさまで少し鼻水と咳が減ったようだ。今日も引き続きマスクで出勤。とにかく今日さえ乗り切れば明日はお休みだ。
これから来週にかけて、お天気は下り坂との予報でぱっとしないが、疲れた体が待ちわびる嬉しい週末だ。