ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.10.4 卒業出来るか出来ないか

2011-10-04 21:42:27 | 日記
 2ヶ月ほど前、同じ病で初発後経過観察中の方からメールを頂いた。
 「4回目の○○検査に行ってきましたが、早く卒業したいです。」という文面だった。もっともなことだ。気持ちは良~く分かる。けれど、我ながら了見が狭くて実に情けないのだが、正直なところ、ちょっぴりいじけた気持ちになった。私は卒業したくても永久留年決定、エンドレスの治療中で検査も続けているのに、そんな直球を投げられても・・・と。「無事卒業出来ることを祈っています。私はエンドレスの治療を続けます。・・・仕方ないですね。」とお返事した。
 「またメールします。」とあったが、それっきり、音信不通だ。

 そして、また別の日、いっとき同じ職場で仕事をしたことのある方からお手紙を頂いた。
 彼女の場合は10年、20年経っても再発がありうる乳がんと異なり、5年再発しなければ「治癒」である。「5年目の検査が終わり、無事卒業出来ましたので、ご報告します。」というものだった。これには「5年検診で無事卒業とのこと、本当に良かったですね。長いことお疲れ様でした。そして、卒業心からおめでとうございます。これからもどうぞ無理せずご自愛されながら過ごされますように。」と素直にお返事を出すことが出来た。

 まあ、これも自分の体調のなせる業(わざ)-たとえば治療後の気持ちが悪い時に言われたら素直に受け入れられないことも、休薬週で元気な時に言われたら特にひっかかることもなくスルー出来る-なのだろうけれど。
 半世紀も生きてきているのに、つくづく、まだまだだなあ・・・と思う。

 そして、卒業出来るか出来ないかは、一体どこが違うのだろう、と考えた。
 昨日読んだ中川先生の本にも「どんな聖人君子でもがんになる。がんの原因は、3分の1がたばこ、それ以外の生活習慣が3分の1、残り3分の1は運だ。」と。そして「運悪くがんになっても、早期発見して完治が望める。」「生活習慣と早期発見の2段構えこそ、がんで命を落とさないための特効薬である。」とあった。
 翻って私は、決して聖人君子ではないけれど、お酒もたばこもやらないし、野菜も好きで薄味で、細々と運動も続け、検診も欠かさず受け、結果的には自ら早期発見して、その時に出来る治療は、した。けれど、遠隔転移して完治はしないということになった。
 おそらくいささか運が悪い3分の1なのだろう。

 自分は運が悪いとは思ったことがあまりない。もちろん健康でいられれば、もっと順風満帆な人生だったかもしれない。けれど、病気になり、再発転移して、失ったものがなかったとは言わないが、得たものも結構ある。これは決して負け惜しみではない。正直な気持ちだ。もっともがんで死ななくても、人はいつか必ず死ぬ、というごく当たり前のことを思えば、運が良いだの悪いだのグチグチ言ってみても、詮ないことだ。

 とはいえ、エンドレスの治療を続けて行く上で、ちょっぴり気持ちが沈むことだってあるわけだし、それを自分に許すこともやはり大切なのだろうな、と思う。甘えているかもしれない、わがままかもしれないけれど。

 今日は風もそれほど冷たくなく、からりと青空で、気持ちの良いお天気だった。
 うーん、こんな日に衣替えや大物の洗濯を出来たらいいのに・・・と思いながら、後ろ髪をひかれつつ家を出た。
 残念ながら週末はお天気があまり良くなさそう。またもや先送りになってしまうのか・・・と思うとちょっと憂鬱だ。

コメント (7)
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