ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.10.7 治らなくても「幸せ」に暮らせるか

2011-10-07 06:55:55 | 日記
 10月4日のブログ「卒業出来るか出来ないか」に、再発治療を始めてまだ間もなくエンドレス治療が受け入れられないとおっしゃる方と、卒業を目前にしての再発告知で人生崖っぷちだとおっしゃる方からコメントを頂いた。辛く深刻な思いが綴られたコメントである。私自身も避けてとおれぬ問題に触れていらっしゃる。というよりも、再発患者すべてに関わることだ。
 そこで、これを機会に再発・転移=完治しないこと、エンドレスの治療が続くこと=という厳しい事実をいかに受け入れて、いかにこれからの日々を送っていくのが幸せなのか、を考えてみた。

 標題に「治らなくても幸せに暮らせるか」と書いたのは、先日、読売新聞を読んでいて、「がんの再発・転移と向き合う」をテーマに行われた医療ルネサンス・名古屋フォーラムの基調講演の見出し「治らなくても『幸せ』目指す」という文字が目に飛び込んできて、まさにそうだ、と思ったからだ。
 基調講演は「がんとともに生きるための5つのキーワード」として虎の門病院臨床腫瘍科部長の高野利実さんが行ったもの。パッチ・アダムスというアメリカ人医師の言葉を紹介して講演を締めくくっている。「病気がなくても幸せでなければ健康ではない。病気があっても幸せであれば健康だといえる」つまり治らない病気であっても、幸せになることは出来る。それを目指すのが本当の医療だということだ、と。

 治らなくても幸せに暮らせるか。-答えは自信を持って「イエス」だと思う。
 幸せのハードルが低くなった、と言われればそうかもしれない。けれど、そんなに高いハードルを課してしまって、ずっと幸せを感じられないほど自分を追い込むことが本当に幸せか、ということも逆に問いたい。

 がんだけでなく治らない病気、一生共存していかなければならない病気は沢山ある。いわゆる慢性疾患といわれるものだ。けれど、どうも「がん」だけが死に直結しているイメージだ。沢山の患者さんがいる=2人に1人ががんになる時代、がん大国日本=からこそ、がん対策基本法が出来、日進月歩で薬や治療法の研究が進んでいるのだ。こと他のがんに比べて、若くして罹患する乳がん患者はどんどん増加しており、新薬の適応も増えている。ごく稀な難病を抱えている患者さんより、沢山の情報と治療法がある。ある意味恵まれているのかもしれない。

 もちろん私も、こうした心境になるまでには紆余曲折があった。胸は傷つき変形し、髪も失い、どうしてヘラヘラ笑っていられようか。副作用の気持ち悪さとあまりのだるさで起き上がることも出来ず、象のように足が浮腫んで靴も履けなくなって、本当に職場復帰など出来るのか、と思った夜もあった。平均寿命まで生きられればひ孫だって見ることが珍しくない今、なぜ、私は息子の成人式まで生きることさえ危ぶまれなければならないのか、と健康な方たちを見て、ひがんだこともあった。

 再発したことで、「定年まで働いてから夫と世界一周旅行に行く!」みたいな夢は、定年まで働くのはちょっと無理そう・・・ということでまず断たれたし、そもそも週1回の通院を生活に組み入れていく中で、たとえばヨーロッパ旅行のような長期旅行はとても無理、ということで、これまた断たれた。(それでも最近では、点滴でなく服薬治療になればそれもありかしら、とずうずうしいことを考えている。)

 出来なくなったことを数えても始まらないし、ハッピーにはなれない。
 だから、今、出来ること、これからも出来そうなことを考えたい。少し早目に、体力が残っているうちに退職して、好きな時間に好きなだけ行ける所に行く、平日の昼間から本を読む、映画を観る、友人と逢う、こんなことは十分まだまだ出来そうだ。十分幸せではないか。

 再発・転移を告知された時、(なぜ、私が?)という気持ちがなかったわけでもない。先日書いたとおり、それまで暴飲暴食をしていたわけでもないし、お酒やたばこを飲んでいたわけでもなし、メタボでもないし・・・。それなのに・・・と。ただ、それを考え続けることは不毛であることにも気付いた。

 病気をしても、まだバリバリと仕事をすることに未練があった、のも事実だ。
 けれど、休職してみたら、昇進とか昇給とか、そういったことに実はそれほどこだわりがなかったことにも気付いた。そして何より、支えてくれる家族と友人がいれば、辛い治療も頑張れるものだな、ということを実感した。なぜ頑張るの?って、もっともっと長く一緒にいたいから。草葉の陰から一人参加は、まだ嫌だから。

 こうしてブログに自分の気持ちを書き続けていくと、間違いなく冷静に客観的に自分を見つめ直すことが出来る。それに、ちょっと落ち込んだ内容だったとき、顔も名前も知らないけれど読んでくださる方たちから暖かいコメントを頂けることもしばしばだ。もちろん、誰かに読んで頂くということでなくとも、自分の気持ちを書き留めておくことは闘病を続けて行く上でとても大切なことだと思う。

 再発・転移=死ではない。再発・転移=人生崖っぷちではない。再発・転移治療はまた新しい治療の始まりだ。何より長期戦になる再発・転移治療だ。いつもいつも前向きでアグレッシブに、は厳しすぎる。頑張りすぎて心がぽっきり折れないように、ちょっと撓ってもまた元に戻れるように少し緩いくらいに自分に優しく。自分が一番納得できる治療を自分の気力・体力と相談しつつ、ちょっと落ち込む時があっても、それでも精一杯、そして心穏やかに生き続けるために、今ある自分に感謝をしながら、ありのままの自分を受け入れてしぶとく治療を続けて行けば、きっときっと大丈夫だ、と言いたい。(これは再発治療を続けていく方たちへのエールであるとともに、自分にも言い聞かせている、ということでもある。)

 昨日は制吐剤アロキシ2日目。いつもなら、投与翌日の午後あたりからグラニセトロンが半減期を迎える感じを受け、だんだん気持ち悪さが増してくる。そして夕方はよれよれになって、帰宅して横になる、というパターンだった。が、今回は気持ち悪さはなくはないが、なんとか我慢できる程度。そして夕飯も休まずに作り、そこそこ食べることが出来た。これで今日もこんな調子だったら、アロキシ変更は大成功だ。

 さて、今朝は目覚ましが鳴る前に、またお腹が痛くて目が覚めた。アロキシの副作用の便秘を和らげるはずのマグラックスが、どうもいいタイミングで穏やかに効いてくれない。これにて服用は中止ということなのだけれど。
 口の中は気持ち悪さがあるが、それでも我慢できる程度。とにかく今日1日乗り切れば、また3連休が待っている。
コメント (5)
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