昨夜も早めにベッドに入った。起き出して吐気止めを飲むことなく済んだが、それでも朝はすんなり起きることが出来ない。
息子が昼から “3度目の正直”の英検。ブランチ一食というわけにいかず、早お昼も食べさせて出かけさせなければならない。そのため、そうそう朝寝坊をさせるわけにもいかず、夫をつついて起こして、朝食の準備をしてもらう。
赤いヨーグルトドリンクと果物だけ押し込んで、今朝のデカドロン16錠で吐気止めは終了。それにしても、普段ならこれだけステロイドを飲めば、ステロイド・ハイで元気に動き回れるはずなのに、ことECになってからは、ステロイドの効果は全て吐気止めに持って行かれている気がする。
昨日の体育祭明けの今朝ということか、息子は出かける直前まで殆ど目が覚めていなかった。こんな状況で試験を受けて大丈夫なのかとは思うが、なんとか適当に昼食を並べてぎりぎりに追い出した。
その後、リビングで横になりながら録画したビデオドラマを見て、夫が買い物に出かけてくれた後はまたウトウト。お昼はゼリーでおしまい。夕方、私がリビングで不機嫌そうに陣取っていては皆に邪魔だな、とベッドに逆戻り。その後、またウトウト。信じられないくらいいくらでも眠れる。
息子は英検が終わって解放感から寄り道をしていたのか、3時間ほど帰ってこなかった。夫が、私が食べられるかもしれないと考えた夕食を用意してくれるのだが、いかんせん動いていないし、お通じも出ないし、気持ち悪さで食欲は全くない。
「食事出来たよ。」と呼ばれても、ついつい「今は欲しくない。」、「それでも少しは食べないと。」、「自分でやるからほうっておいて。」と言い合いになる。自己嫌悪である。けれど、とにかく今は自分でも如何ともしがたい人格破壊といおうか、いつもの自分とは全く違う精神状態だ。
食べられそうなときに、食べられそうなものを食べられそうな量だけ口に入れるのが精一杯。今、これなら食べられるかも、と思ったものが次のタイミングで食べられるとは限らないのがタチが悪い。
一昨日の金曜日は帰宅後、一汁一菜だけ作って、あとの追加の二菜は夫にバトンタッチしてもらった。ナベルビン投与の頃、このブログで「やるからやらせる」という記事を書いたことを記憶しているが、とにかく気持ち悪い、食欲が全くない状態で食事を作るのは拷問だ。
そういう状況で、健康でお腹を空かせている人に合わせて食事を作ることには無理がある。
ご存知のとおり貧乏性の私だから、ちょっとでも余裕があればちょこまかと動いてあれもこれもやりたいのだけれど、それが出来ずにベッドに張り付いていなければならないという状態であることをどうか察してほしい、と思うのは病人の我儘だろうか。
こうして家族との関係も悪化するのが家に病人がいる、という現実か。
今日もプチ虹のサロンのメンバーから応援やらお見舞いのメールを頂く。
今の状態を情けなく思っても仕方ない、焦ってはいけないということは頭では分かっているが、少なくともあと数か月、年明けまでこの状態が続くのだ、と思うとさすがにやるせない。
明日は休暇をとってある。2人を無事に送り出したら、今日より少しでも楽になって、マイペースで動き出せますように。
息子が昼から “3度目の正直”の英検。ブランチ一食というわけにいかず、早お昼も食べさせて出かけさせなければならない。そのため、そうそう朝寝坊をさせるわけにもいかず、夫をつついて起こして、朝食の準備をしてもらう。
赤いヨーグルトドリンクと果物だけ押し込んで、今朝のデカドロン16錠で吐気止めは終了。それにしても、普段ならこれだけステロイドを飲めば、ステロイド・ハイで元気に動き回れるはずなのに、ことECになってからは、ステロイドの効果は全て吐気止めに持って行かれている気がする。
昨日の体育祭明けの今朝ということか、息子は出かける直前まで殆ど目が覚めていなかった。こんな状況で試験を受けて大丈夫なのかとは思うが、なんとか適当に昼食を並べてぎりぎりに追い出した。
その後、リビングで横になりながら録画したビデオドラマを見て、夫が買い物に出かけてくれた後はまたウトウト。お昼はゼリーでおしまい。夕方、私がリビングで不機嫌そうに陣取っていては皆に邪魔だな、とベッドに逆戻り。その後、またウトウト。信じられないくらいいくらでも眠れる。
息子は英検が終わって解放感から寄り道をしていたのか、3時間ほど帰ってこなかった。夫が、私が食べられるかもしれないと考えた夕食を用意してくれるのだが、いかんせん動いていないし、お通じも出ないし、気持ち悪さで食欲は全くない。
「食事出来たよ。」と呼ばれても、ついつい「今は欲しくない。」、「それでも少しは食べないと。」、「自分でやるからほうっておいて。」と言い合いになる。自己嫌悪である。けれど、とにかく今は自分でも如何ともしがたい人格破壊といおうか、いつもの自分とは全く違う精神状態だ。
食べられそうなときに、食べられそうなものを食べられそうな量だけ口に入れるのが精一杯。今、これなら食べられるかも、と思ったものが次のタイミングで食べられるとは限らないのがタチが悪い。
一昨日の金曜日は帰宅後、一汁一菜だけ作って、あとの追加の二菜は夫にバトンタッチしてもらった。ナベルビン投与の頃、このブログで「やるからやらせる」という記事を書いたことを記憶しているが、とにかく気持ち悪い、食欲が全くない状態で食事を作るのは拷問だ。
そういう状況で、健康でお腹を空かせている人に合わせて食事を作ることには無理がある。
ご存知のとおり貧乏性の私だから、ちょっとでも余裕があればちょこまかと動いてあれもこれもやりたいのだけれど、それが出来ずにベッドに張り付いていなければならないという状態であることをどうか察してほしい、と思うのは病人の我儘だろうか。
こうして家族との関係も悪化するのが家に病人がいる、という現実か。
今日もプチ虹のサロンのメンバーから応援やらお見舞いのメールを頂く。
今の状態を情けなく思っても仕方ない、焦ってはいけないということは頭では分かっているが、少なくともあと数か月、年明けまでこの状態が続くのだ、と思うとさすがにやるせない。
明日は休暇をとってある。2人を無事に送り出したら、今日より少しでも楽になって、マイペースで動き出せますように。