ちょっと時間が経ってしまったのだけれど、毎週木曜日は読売新聞医療サイト・yomiDr.大津秀一先生のコラムの更新日。読んで味わって納得して取り入れようと思いを巡らす、とても楽しい時間である。
今回は私も読んだ近藤先生の「医者に殺されない47の心得」に展開される持論についての反駁である。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話 「がん放置」は本当に楽なのか?(2013年12月12日)
がんは治療しなければ本当に楽なのでしょうか?
そんなことはありません。
がんは組織を傷害しますから、普通に痛みが出ます。抗がん剤が効いてがんが小さくなればそれで痛みが軽くなることが多く認められます。例えば、進行胃がんの比較試験において抗がん剤を使用したほうが「症状がない時間が長い」「症状が改善した」というエビデンス(科学的根拠)もあります(Glimelius ら=1997年)。
近藤誠さんの『医者に殺されない47の心得』(アスコム)から引用し、緩和医療の一専門家として、症状緩和にまつわる記載についてみてみましょう。
モルヒネ・放射線治療にも限界
「放置すれば痛まないがんは、胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなど少なくありません。もし痛んでも、モルヒネで完璧にコントロールできます」(p83)
これは間違いです。
肝臓がんは肝被膜という肝臓の外側の膜まで腫瘍が進展しないとしばしば痛みを感じないのですが、胃がんや食道がん、子宮がんは放置すると痛みます。私はいずれのがんの放置例も診たことがありますが、患者さんは痛みを訴えておられました。組織をがんが傷つけるのですから当然です。
間違いはもう1つあります。
「モルヒネで完璧にコントロールできます」と書いてありますが、そんな安請け合いはできません。
モルヒネなどの医療用麻薬は、基本的に内臓の痛みにはよく効きますが、胃がんが進行してお腹の神経が集まっている所( 腹腔神経叢)を侵したり、あるいは子宮がんが進行して骨盤の中の神経が集まっている所(骨盤内神経叢)を侵したりすると「神経の痛み」が出ます。これはモルヒネで完璧にコントロールすることは、しばしば困難です。以前の連載で述べた通りです。
他にも気になる記載があります。
「骨転移で痛む場所が1か所の場合は、放射線治療で劇的に痛みを軽くすることができます」(p91)
これもがんによって効く可能性が異なると言われており、前立腺がんや乳がんでは80%以上ですが、肺がんでは60%、腎臓がんでは48%程度とされています(緩和ケア継続教育プログラムより)。
効く場合でも、全てが著効するわけではありません。劇的に痛みが軽くなる場合もあるが、そうではない場合もあるということです。鎮痛薬が要らなくなるのは30~50%程度(同上)とされており、放射線治療をしても鎮痛薬の継続が必要になることは少なくありません。
苦痛は必ず出現、緩和医療の併用を
放置しても大丈夫だよと伝えたいがゆえに、これらのオーバーな表現が散見されるのですが、中でも顕著なのは「がんで苦しみ抜いて死ななければならないのは、がんのせいではなく、『がんの治療のせい』」(p14)という説です。抗がん剤で症状緩和が為される場合もあることは先に述べました。それでは、がんに対する治療を全くしなかった場合はどうでしょうか? 本当に苦痛はないのでしょうか?
私は最初から最後まで一切、がんに対する治療をしなかった方も診療した経験がありますが、それでも痛みが出ますし、余命が数日ともなれば「身の置き所のなさ」が出ました。
放置療法を選択されていた患者さんのご家族から相談が来たことがありますが、余命数日の「身の置き所のなさ」が出ていたにもかかわらず、何の指示も出ていないようでした。苦しかったようです。これが放置することの実態です。「鎮静」が必要な状態だったと判断されました。
緩和医療はモルヒネばかりではなく、他の医療用麻薬を使いこなし、また鎮静も扱って患者さんが最初から最後まで苦痛がないように努めます。本当の放置、あるいはモルヒネと放射線療法が中心で経過観察、というのは苦痛緩和に不十分で、標準的なレベルの緩和医療ではありません。
がんを放置しようがしまいが、がんそのものによる苦痛は必ず出現します。苦痛は痛みばかりではありませんし、死期が迫れば相応の苦しさが出ます。だからこそ、本当のがんの専門家はきちんと緩和医療医と協働し、苦痛緩和の専門家である同医師のもとできめ細やかに最新の緩和医療を併用し、どんな場合においても最高の苦痛緩和ができるように努めるものなのです。
(転載終了)※ ※ ※
治療しないでいい、なんて甘い言葉に騙されてはいけないのだなぁ。せっかくの日進月歩の医学の恩恵を享受しないとは、なんとももったいない!ではないか。(どうも私は貧乏性である。何かといえばもったいない・・・と言っている。)
間違いなく病気―それもかなり手ごわい相手なのだから、放置しておいてよいわけはない。ここは冷静に考えたい。これまでのエビデンスに基づいて適時・適正な治療をすべきである。ことエンドレスの再発治療では、自分の生き方も踏まえた上で、自分がどう生きたいのか、に出来るだけ沿うように主治医と相談しながら、なるべく長く病と共存する方法を探りたい。
もちろん、何度も書いている通り完治はしない病だからといって治療一色の人生は出来る限りご免被りたいので、いつものようにいいとこどり、のポリシーで。
何度も書いているけれど、痛みは気持ちをどうしてもネガティブにする。一度ネガティブスパイラルに入ってしまうと、どうにも良いことはない。だから、なるべくうまく痛みをコントロールして前向きに過ごせるのが一番。そのために緩和ケアは必須なわけだ。こうして毎朝ロキソニンの助けを借りながら仕事に出かけるのも、広い意味で緩和ケアであると理解している。いずれそれがモルヒネに変わったとしても、同じことだ。
当然ながら、実際に余命数日になったわけではないので、その時の“身の置き所のなさ”は経験したわけではないけれど、抗がん剤投与の数日後の体中の倦怠感、身の置き所のなさを想うと、やはり辛いのだろうな、と思う。ヘタレかもしれないけれど、タイミングを見てうまく“鎮静”をしてもらいたい。“その時”が来たら必要以上に闘わずに穏やかに受け容れていきたいと思う。
そして、痛みや辛さによる苦渋の表情を家族の脳裏に焼き付けておかないために、無理に頑張らない。鎮静する前にきちんとお別れの時間、お礼が言える時間をとれるように過ごしたい、と思う。
それには日々大切に精一杯を積み重ねたい、といつもの話に戻るわけだ。
いずれにせよ、そうそう極端なことはしない方が良い。バランスをうまくとりながら生きるのは至極当たり前のように思うのだが、どうだろう。
明日は通院日。昨日休んで明日も休暇、ということで仕事は大車輪。そして明日の朝一番に造影CT検査が入っているため、今晩も前泊している。旅の直後で夫と息子にはなんとも申し訳ないのだけれど、体力温存、ということで。
今回は私も読んだ近藤先生の「医者に殺されない47の心得」に展開される持論についての反駁である。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話 「がん放置」は本当に楽なのか?(2013年12月12日)
がんは治療しなければ本当に楽なのでしょうか?
そんなことはありません。
がんは組織を傷害しますから、普通に痛みが出ます。抗がん剤が効いてがんが小さくなればそれで痛みが軽くなることが多く認められます。例えば、進行胃がんの比較試験において抗がん剤を使用したほうが「症状がない時間が長い」「症状が改善した」というエビデンス(科学的根拠)もあります(Glimelius ら=1997年)。
近藤誠さんの『医者に殺されない47の心得』(アスコム)から引用し、緩和医療の一専門家として、症状緩和にまつわる記載についてみてみましょう。
モルヒネ・放射線治療にも限界
「放置すれば痛まないがんは、胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなど少なくありません。もし痛んでも、モルヒネで完璧にコントロールできます」(p83)
これは間違いです。
肝臓がんは肝被膜という肝臓の外側の膜まで腫瘍が進展しないとしばしば痛みを感じないのですが、胃がんや食道がん、子宮がんは放置すると痛みます。私はいずれのがんの放置例も診たことがありますが、患者さんは痛みを訴えておられました。組織をがんが傷つけるのですから当然です。
間違いはもう1つあります。
「モルヒネで完璧にコントロールできます」と書いてありますが、そんな安請け合いはできません。
モルヒネなどの医療用麻薬は、基本的に内臓の痛みにはよく効きますが、胃がんが進行してお腹の神経が集まっている所( 腹腔神経叢)を侵したり、あるいは子宮がんが進行して骨盤の中の神経が集まっている所(骨盤内神経叢)を侵したりすると「神経の痛み」が出ます。これはモルヒネで完璧にコントロールすることは、しばしば困難です。以前の連載で述べた通りです。
他にも気になる記載があります。
「骨転移で痛む場所が1か所の場合は、放射線治療で劇的に痛みを軽くすることができます」(p91)
これもがんによって効く可能性が異なると言われており、前立腺がんや乳がんでは80%以上ですが、肺がんでは60%、腎臓がんでは48%程度とされています(緩和ケア継続教育プログラムより)。
効く場合でも、全てが著効するわけではありません。劇的に痛みが軽くなる場合もあるが、そうではない場合もあるということです。鎮痛薬が要らなくなるのは30~50%程度(同上)とされており、放射線治療をしても鎮痛薬の継続が必要になることは少なくありません。
苦痛は必ず出現、緩和医療の併用を
放置しても大丈夫だよと伝えたいがゆえに、これらのオーバーな表現が散見されるのですが、中でも顕著なのは「がんで苦しみ抜いて死ななければならないのは、がんのせいではなく、『がんの治療のせい』」(p14)という説です。抗がん剤で症状緩和が為される場合もあることは先に述べました。それでは、がんに対する治療を全くしなかった場合はどうでしょうか? 本当に苦痛はないのでしょうか?
私は最初から最後まで一切、がんに対する治療をしなかった方も診療した経験がありますが、それでも痛みが出ますし、余命が数日ともなれば「身の置き所のなさ」が出ました。
放置療法を選択されていた患者さんのご家族から相談が来たことがありますが、余命数日の「身の置き所のなさ」が出ていたにもかかわらず、何の指示も出ていないようでした。苦しかったようです。これが放置することの実態です。「鎮静」が必要な状態だったと判断されました。
緩和医療はモルヒネばかりではなく、他の医療用麻薬を使いこなし、また鎮静も扱って患者さんが最初から最後まで苦痛がないように努めます。本当の放置、あるいはモルヒネと放射線療法が中心で経過観察、というのは苦痛緩和に不十分で、標準的なレベルの緩和医療ではありません。
がんを放置しようがしまいが、がんそのものによる苦痛は必ず出現します。苦痛は痛みばかりではありませんし、死期が迫れば相応の苦しさが出ます。だからこそ、本当のがんの専門家はきちんと緩和医療医と協働し、苦痛緩和の専門家である同医師のもとできめ細やかに最新の緩和医療を併用し、どんな場合においても最高の苦痛緩和ができるように努めるものなのです。
(転載終了)※ ※ ※
治療しないでいい、なんて甘い言葉に騙されてはいけないのだなぁ。せっかくの日進月歩の医学の恩恵を享受しないとは、なんとももったいない!ではないか。(どうも私は貧乏性である。何かといえばもったいない・・・と言っている。)
間違いなく病気―それもかなり手ごわい相手なのだから、放置しておいてよいわけはない。ここは冷静に考えたい。これまでのエビデンスに基づいて適時・適正な治療をすべきである。ことエンドレスの再発治療では、自分の生き方も踏まえた上で、自分がどう生きたいのか、に出来るだけ沿うように主治医と相談しながら、なるべく長く病と共存する方法を探りたい。
もちろん、何度も書いている通り完治はしない病だからといって治療一色の人生は出来る限りご免被りたいので、いつものようにいいとこどり、のポリシーで。
何度も書いているけれど、痛みは気持ちをどうしてもネガティブにする。一度ネガティブスパイラルに入ってしまうと、どうにも良いことはない。だから、なるべくうまく痛みをコントロールして前向きに過ごせるのが一番。そのために緩和ケアは必須なわけだ。こうして毎朝ロキソニンの助けを借りながら仕事に出かけるのも、広い意味で緩和ケアであると理解している。いずれそれがモルヒネに変わったとしても、同じことだ。
当然ながら、実際に余命数日になったわけではないので、その時の“身の置き所のなさ”は経験したわけではないけれど、抗がん剤投与の数日後の体中の倦怠感、身の置き所のなさを想うと、やはり辛いのだろうな、と思う。ヘタレかもしれないけれど、タイミングを見てうまく“鎮静”をしてもらいたい。“その時”が来たら必要以上に闘わずに穏やかに受け容れていきたいと思う。
そして、痛みや辛さによる苦渋の表情を家族の脳裏に焼き付けておかないために、無理に頑張らない。鎮静する前にきちんとお別れの時間、お礼が言える時間をとれるように過ごしたい、と思う。
それには日々大切に精一杯を積み重ねたい、といつもの話に戻るわけだ。
いずれにせよ、そうそう極端なことはしない方が良い。バランスをうまくとりながら生きるのは至極当たり前のように思うのだが、どうだろう。
明日は通院日。昨日休んで明日も休暇、ということで仕事は大車輪。そして明日の朝一番に造影CT検査が入っているため、今晩も前泊している。旅の直後で夫と息子にはなんとも申し訳ないのだけれど、体力温存、ということで。