ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.12.15 逢いたい気持ちは翼に乗って

2013-12-15 22:00:38 | 
 昨夜は、駅まで見送りに来てくれた夫に感謝しつつ最終便のリムジンバスに乗り込み、車窓からクリスマスツリーのような東京タワーや文字通り七色にライトアップされたレインボーブリッジの夜景を楽しみながら、夜遅く空港に接するホテルにチェックインした。

 明日は遠足という子どもの気持ちよろしく、消灯したもののなかなか寝付けない。そして今朝は、モーニングコールよりも30分早く目が覚めた。いつものように足湯をして、軽い朝食を摂る。部屋からは遠く富士山が見える。いいお天気だ。

 早々にチェックアウトし、ドアを開ければそこは出発ロビー。ホテル内とは別世界のように賑わっている。手荷物を預け、ラウンジで時間調整をし、普段出勤する時間には機内の人となった。飛行時間はジャスト2時間。ちょうど「村上ラヂオ2」の文庫1冊を読み終わり、定刻に到着。
 初めてこの空港に降り立ったのは息子が小学校2年の時だったから、10年ぶりのことだ。街まで地下鉄で数分というアクセスの良さにびっくりしたことは覚えていたが、空港の感じは殆んど忘れている。
 空港から高速バスに揺られること一時間。10年前に、鉄男の息子に付き合って特急に1駅だけ乗って行った街だ。駅前のからくり時計の前には、ブログを通じて「お目にかかりたい」とラブコールを送り合っていたたぁさんが迎えに来てくださっていた。

 10月のながながさんの訃報に続き、先月のアッピアさんの訃報に接し、もう迷っていてはいけない、と思った。お逢いしたいと思った方にはやはりお逢いしておこう、と。
 こんなバイタリティがヘタレな私の体の中の一体どこにあったのだろう、と我ながらびっくりしている。
 逢いたい気持ちは距離にも勝ったということか。飛行機に乗ればあっという間だ、と夫も息子も快諾してくれて、の前泊含め2泊3日の遠征だ。
 アッピアさんはたぁさんに会うため、こちらへの旅行を励みに闘病していらした、と聞いた。
 その頃、都内にお住まいのもう一人の方と私を含めて4人で会おうという話もあったが、さすがに体調や治療の状況を考えると、たぁさんに上京して頂くわけにはいかなかった。
 アッピアさんがたぁさんとの面会が叶わなくなり、そこでお節介は承知の上、アッピアさんとお目にかかった時のツーショットの写真も携えて一緒にやってきた。

 気づけばあっという間に2時間が経ち、美味しいお豆腐料理の数々をご馳走になった後は、たぁさんが通っておられる医院に隣接している高齢者生活支援ハウスのクリスマスコンサートにもご一緒した。1部は叙情歌を、2部はコンスピリートというグループの歌とピアノ、電子オルガンの演奏。バッハからあまちゃんオープニングテーマまで、久しぶりの生演奏を楽しんだ。最後は、クリスマスに因んで「くるみ割り人形」から3曲。
 終演まで聴かせて頂き、「聖しこの夜」のアンコールの後は「雪の降る町を」を全員で斉唱。この歌は夫の郷里の駅に歌碑がある。またもご縁を感じながら気持ちよく歌ってしまう。

 そして、さらにお茶へ。素敵な喫茶店でケーキと紅茶を頂きながらこれまたあっという間に2時間以上。話が尽きなかった。JRの駅まで送って頂き、細く長くしぶとく!の合言葉を確認し、再会を約束して握手とハグをして、後ろ髪をひかれる思いでお別れした。
 とにかくお目にかかれて良かった。初めてお目にかかったとは思えないほど話が弾んだ。なかば押しかけだったけれど、来訪を喜んでくださって、とても嬉しかった。

 パージェタの治療から2週間を経て、まだ白血球が低い状態で、とてもお疲れになったかもしれない。無理をさせてしまったのでは、と心配だけれど、本当にお目にかかれて良かった。
 そして九州新幹線に乗り、僅か15分で今夜の宿がある終点の駅へ。息子のために写真も撮ってラインで送る。朝も昼も胸痛でロキソニンを飲んだとは思えないハッスルぶりの単純な私だ。
 駅前の美しいイルミネーションにうっとりしながらホテルにチェックインしたのは19時半を回った。早起きとずっと楽しみにしてきた面会の興奮が相まってさすがに草臥れて、ちょっと放心状態、である。今日はたぁさんから頂いた「星の王子さまからの贈り物」の本を大切に読みながら眠りにつきたい。

 
 明日は、既に何名かの方からお守り等を頂戴し、私も京都でお参りをした“学問の神様”まで、再び最後の、すがるような駄目押しのお願いに行き、夕方には帰京の予定だ。
 
コメント
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