昨日は2冊読んだ。
1冊目は香山リカさんの「さよなら、母娘ストレス」(新潮文庫)。
帯には「育ててくれたのはあなた。でも、これは私の人生! 母娘問題を乗り越えた精神科医が贈る、6つの処方箋」とある。そして「こんなあなたは必読 ◇もしかして母親に支配され続けて来たのかも・・・?と思い始めている。◇母親は嫌いじゃない、でも好きにもなれない。◇「あなたを育てたのはこのわたしよ」の一言に押し切られたことがある。」とも。
私は母とは全くタイプが違うし、ある意味反面教師だと思っているので、特に母娘ストレスが大きいクチではないと感じている。が、それでも独身で実家にいた頃、専業主婦だった母から「(あれもこれも)あなたのためを思ってやっている」とか「あなたは(家事は)何も出来ないのだから」と言われる度に、それなりに重たさというかストレスは抱えていた。
良い子でいるのが当たり前、両親の自慢の娘を演じているのもしんどかった。一人娘だったから旧姓を継ぐために息子を実家の養子にして、もう一人産んだら、と言われた時には思いっきりのけ反った記憶もある(これは母だけの見解ではなかったようだが・・・)。
私自身は息子一人しか育てていないので、娘を授かっていたらどんな子育てになったのか想像するしかないわけだが、やはり同性同士というのはお互いにその眼が厳しいし、関係は難しいのだろうと思う。逆に男の子だったからある意味割り切れて良かったのかもしれない。
義理の母と娘なら遠慮があっても、実の母娘には容赦がない。色々なケースを知ると、我が母はごくごく普通の部類だし、世の中には本当に大変な目に遭っている(母という呪縛から離れ切れない、しかもそれに罪悪感を感じている)中年の娘が多いのだと改めて思う。皆、幸せになりたいし、なってよいのに・・・。
2冊目は酒井邦嘉さんの「脳を創る読書」(じっぴコンパクト文書)。
帯には「できる人はなぜ『紙の本』を読むのか?言語脳科学の第一人者が説く『考える』ために必要なツールとは!?」とある。裏表紙には「人工物に振り回される現代人へ-なんでも機械化し電子化できるという表面的な見方に対して、人間が大切で譲れないものは何かと考え、未来にどのように向かうべきか決断することが、あらゆる方面で問われている。そういう過渡期を我々が賢く乗り切るためには、人間とはどういう生き物であって、どこが愚かでどこがすばらしいのかということに我々自身が気づかなくてはならない。そうすれば、人間は人工物に振り回されることなく、古き良きものを大切にしながら新しいものを作り続けることができるに違いない。(本書第5章より)とある。
もはや、紙の本とは古き良きもの・・・なのか、と思う。私はアナログ人間なので電子書籍はどうも苦手だ。かつて、辞書も紙でないと、と書いた記憶がある(これは三浦しをんさんの「舟を編む」だったか。)。
脳の不思議と「読書」の関係をひもとく、という内容で、第1章「読書は脳の想像力を高める」では●文の構造を見抜く脳のすごい能力、第2章は「脳の特性と不思議を知る」として●脳はなぜ行間を読むことができるのか、第3章「書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか」では●読書量が多ければ多いほど、言語能力は鍛えられる、第4章の「紙の本と電子書籍は何がどう違うか」では●なぜ画面上で見音としていた誤字が紙の上では見つかるのか、最終章「紙の本と電子書籍の使い分けが大切」では●2つの読み方を使い分ければ、「読む力」は鍛えられる・・・などなど、やはりそうだよね、と思う情報が満載。
当分、というかこのまま私は一生紙の本を読み続けるのだろうな、と改めて実感した次第である。
1冊目は香山リカさんの「さよなら、母娘ストレス」(新潮文庫)。
帯には「育ててくれたのはあなた。でも、これは私の人生! 母娘問題を乗り越えた精神科医が贈る、6つの処方箋」とある。そして「こんなあなたは必読 ◇もしかして母親に支配され続けて来たのかも・・・?と思い始めている。◇母親は嫌いじゃない、でも好きにもなれない。◇「あなたを育てたのはこのわたしよ」の一言に押し切られたことがある。」とも。
私は母とは全くタイプが違うし、ある意味反面教師だと思っているので、特に母娘ストレスが大きいクチではないと感じている。が、それでも独身で実家にいた頃、専業主婦だった母から「(あれもこれも)あなたのためを思ってやっている」とか「あなたは(家事は)何も出来ないのだから」と言われる度に、それなりに重たさというかストレスは抱えていた。
良い子でいるのが当たり前、両親の自慢の娘を演じているのもしんどかった。一人娘だったから旧姓を継ぐために息子を実家の養子にして、もう一人産んだら、と言われた時には思いっきりのけ反った記憶もある(これは母だけの見解ではなかったようだが・・・)。
私自身は息子一人しか育てていないので、娘を授かっていたらどんな子育てになったのか想像するしかないわけだが、やはり同性同士というのはお互いにその眼が厳しいし、関係は難しいのだろうと思う。逆に男の子だったからある意味割り切れて良かったのかもしれない。
義理の母と娘なら遠慮があっても、実の母娘には容赦がない。色々なケースを知ると、我が母はごくごく普通の部類だし、世の中には本当に大変な目に遭っている(母という呪縛から離れ切れない、しかもそれに罪悪感を感じている)中年の娘が多いのだと改めて思う。皆、幸せになりたいし、なってよいのに・・・。
2冊目は酒井邦嘉さんの「脳を創る読書」(じっぴコンパクト文書)。
帯には「できる人はなぜ『紙の本』を読むのか?言語脳科学の第一人者が説く『考える』ために必要なツールとは!?」とある。裏表紙には「人工物に振り回される現代人へ-なんでも機械化し電子化できるという表面的な見方に対して、人間が大切で譲れないものは何かと考え、未来にどのように向かうべきか決断することが、あらゆる方面で問われている。そういう過渡期を我々が賢く乗り切るためには、人間とはどういう生き物であって、どこが愚かでどこがすばらしいのかということに我々自身が気づかなくてはならない。そうすれば、人間は人工物に振り回されることなく、古き良きものを大切にしながら新しいものを作り続けることができるに違いない。(本書第5章より)とある。
もはや、紙の本とは古き良きもの・・・なのか、と思う。私はアナログ人間なので電子書籍はどうも苦手だ。かつて、辞書も紙でないと、と書いた記憶がある(これは三浦しをんさんの「舟を編む」だったか。)。
脳の不思議と「読書」の関係をひもとく、という内容で、第1章「読書は脳の想像力を高める」では●文の構造を見抜く脳のすごい能力、第2章は「脳の特性と不思議を知る」として●脳はなぜ行間を読むことができるのか、第3章「書く力・読む力はどうすれば鍛えられるのか」では●読書量が多ければ多いほど、言語能力は鍛えられる、第4章の「紙の本と電子書籍は何がどう違うか」では●なぜ画面上で見音としていた誤字が紙の上では見つかるのか、最終章「紙の本と電子書籍の使い分けが大切」では●2つの読み方を使い分ければ、「読む力」は鍛えられる・・・などなど、やはりそうだよね、と思う情報が満載。
当分、というかこのまま私は一生紙の本を読み続けるのだろうな、と改めて実感した次第である。