ここ数年、立春の日はこの題名で書き続けている。昨年は11年生存率100%、一昨年は10年生存率100%・・・と。
初発手術から数えて今日で12年が経過。他の部位のがんは5年間無事に過ごすことが出来ればひとまず卒業だが、乳がんという病はその期間が倍の10年間。一昨年まで何もなく過ごすことが出来れば、目出度く“乳がん体験者、サバイバー”となれたわけだ。
けれど、何度も書いていることだが、現実は3年経たずに両肺、鎖骨・胸骨、縦隔リンパ節等に多発転移判明。卒業どころか、化学療法主体の本格的かつエンドレスな治療が始まり、卒業は望むべくもない生涯患者となってしまった。一口に9年と言っても、言葉に尽くせないほど色々なことがあった。それでもこうして生きている。あれこれ悩んで立ち止まっては落ち込んで、そうした生活もおかげさまで早9年を超えたことになる。
これまた何度も書いているけれど、再発治療が始まってすぐの頃には、9年後に生きている自分、などとても想像することが出来なかった。当時10年生存率は5%だった。その半分のせめて5年は生きられるだろうか・・・、とすれば息子の成人式はおろか、高校の卒業式に出席することも叶うまい、と覚悟した。
ところが、その息子、先日無事21歳の誕生日を迎え、4月からは大学4回生になる(筈)。無事卒業して就職、と曲がりなりにも一人で歩き出してくれるまでは親業卒業というわけにはいかないけれど、とにかくかつてのように、子どもが何歳になるまでは、いついつまでは、という切迫感が大分薄らいできている。まあ、20歳を超えた男の人生、もう親がかりではなく自分で切り開いていかねばなるまい、と思うからだ。
こうして今日まで命を繋げたこと、それを暖かく寄り添いながら支えてくれた方たち、さらには今まで通り働き続けたいという私の贅沢な希望を受け容れ、叶えてくださった職場の方たち、全ての方たちと環境に感謝してもしすぎることはない。素直にそう思っている。
一昨年は、3年前の初めに開始した内服分子標的薬・タイケルブの効きが悪くなり、薬のチェンジも時間の問題という状況で、その後10年ぶりにインフルエンザに罹ったり、視野欠損等から脳転移を疑う検査もした。
昨年の今頃は、一昨年2月末から始めたカドサイラ(T-DM1)=数多くの患者仲間たちがこの薬を使わずして死ねないと言っていた薬だ=を減量して、副作用となんとか折り合いをつけることが出来ていたが、それもそろそろチェンジをと言われていた。
そして、今年。結局、去年1年のらりくらりと薬剤変更を先延ばしにして、先月末からジェムザールにチェンジした途端、初回で早くも好中球ダウン。いきなり休薬という想定外の事態に陥っている。とはいえ、2年半を超えるランマーク注射で、増悪するかと思われた顎骨壊死も、今のところ目だった悪化はないようである。
そんな中、年末年始は親子3世代で温泉旅行に出かけたり、治療薬変更前に滑り込みでヨガリトリートに参加したり、と相変わらず往生際悪くあれこれトライしている。好きなことをしている間は再発患者であることを忘れる。齢50を超え、還暦がそう遠い未来でもなくなってきた今も挑戦してみようと思うことがある-こうした気持ちになれることが本当に有難く、愛おしいことだと思う。
明日から乳がん13年生。干支を一回りしたことになる。その新しい節目を経過したところで、また新しい1年を歩き始めることにした。これからも頑張りすぎずに頑張って引き続き前を向いて歩いていこう。
昨年も、また今年になって早々にも患者仲間を見送った。決して他人事ではない。いつもそういう思いとともにある。だからこそ、限られた日々を自分なりに精一杯大切に送りたい、と改めて思う立春である。
初発手術から数えて今日で12年が経過。他の部位のがんは5年間無事に過ごすことが出来ればひとまず卒業だが、乳がんという病はその期間が倍の10年間。一昨年まで何もなく過ごすことが出来れば、目出度く“乳がん体験者、サバイバー”となれたわけだ。
けれど、何度も書いていることだが、現実は3年経たずに両肺、鎖骨・胸骨、縦隔リンパ節等に多発転移判明。卒業どころか、化学療法主体の本格的かつエンドレスな治療が始まり、卒業は望むべくもない生涯患者となってしまった。一口に9年と言っても、言葉に尽くせないほど色々なことがあった。それでもこうして生きている。あれこれ悩んで立ち止まっては落ち込んで、そうした生活もおかげさまで早9年を超えたことになる。
これまた何度も書いているけれど、再発治療が始まってすぐの頃には、9年後に生きている自分、などとても想像することが出来なかった。当時10年生存率は5%だった。その半分のせめて5年は生きられるだろうか・・・、とすれば息子の成人式はおろか、高校の卒業式に出席することも叶うまい、と覚悟した。
ところが、その息子、先日無事21歳の誕生日を迎え、4月からは大学4回生になる(筈)。無事卒業して就職、と曲がりなりにも一人で歩き出してくれるまでは親業卒業というわけにはいかないけれど、とにかくかつてのように、子どもが何歳になるまでは、いついつまでは、という切迫感が大分薄らいできている。まあ、20歳を超えた男の人生、もう親がかりではなく自分で切り開いていかねばなるまい、と思うからだ。
こうして今日まで命を繋げたこと、それを暖かく寄り添いながら支えてくれた方たち、さらには今まで通り働き続けたいという私の贅沢な希望を受け容れ、叶えてくださった職場の方たち、全ての方たちと環境に感謝してもしすぎることはない。素直にそう思っている。
一昨年は、3年前の初めに開始した内服分子標的薬・タイケルブの効きが悪くなり、薬のチェンジも時間の問題という状況で、その後10年ぶりにインフルエンザに罹ったり、視野欠損等から脳転移を疑う検査もした。
昨年の今頃は、一昨年2月末から始めたカドサイラ(T-DM1)=数多くの患者仲間たちがこの薬を使わずして死ねないと言っていた薬だ=を減量して、副作用となんとか折り合いをつけることが出来ていたが、それもそろそろチェンジをと言われていた。
そして、今年。結局、去年1年のらりくらりと薬剤変更を先延ばしにして、先月末からジェムザールにチェンジした途端、初回で早くも好中球ダウン。いきなり休薬という想定外の事態に陥っている。とはいえ、2年半を超えるランマーク注射で、増悪するかと思われた顎骨壊死も、今のところ目だった悪化はないようである。
そんな中、年末年始は親子3世代で温泉旅行に出かけたり、治療薬変更前に滑り込みでヨガリトリートに参加したり、と相変わらず往生際悪くあれこれトライしている。好きなことをしている間は再発患者であることを忘れる。齢50を超え、還暦がそう遠い未来でもなくなってきた今も挑戦してみようと思うことがある-こうした気持ちになれることが本当に有難く、愛おしいことだと思う。
明日から乳がん13年生。干支を一回りしたことになる。その新しい節目を経過したところで、また新しい1年を歩き始めることにした。これからも頑張りすぎずに頑張って引き続き前を向いて歩いていこう。
昨年も、また今年になって早々にも患者仲間を見送った。決して他人事ではない。いつもそういう思いとともにある。だからこそ、限られた日々を自分なりに精一杯大切に送りたい、と改めて思う立春である。