今日は母の手術の日だ。
昨日は終日仕事で病院には行けなかった。従姉がわざわざ見舞ってくれて状況を報告しれてくれた。麻酔科の先生が説明に見え、硬膜外麻酔やら何やら微に入り細に渡る説明をされて、本人はすっかりびびっていたそう。前回も全身麻酔の手術を経験済みなのだから、そんなに恐れることはないのだけれど・・・。
一昨日の説明では、昨日は夕食までは普通通りの食事で、その後に下剤をかけるとのことだったが、なかなかお通じがなく、ダメなら明日(つまり今日)浣腸をすると言われたそうだ。もろもろ聞くにつけ、さぞやしょぼくれているだろうと想像に難くなかった。なんといっても怖がりなので、あまり細かな説明はしないで頂きたいというのが本音のところだ。
夫は出張で直行直帰、いつもより大分出かけるのが遅いという。私も手術の1時間前までに招集がかかっているので、目覚ましを普段より30分遅くかけた。
朝の連続テレビ小説をゆっくり視て(残すところあと1日しかないというのにまた大変な事態になっていた)からかつらのシャンプーを済ませ、夕食の1品だけ作って夫を送り出し、ほどなくして私も家を出た。
私鉄とJRとバスを乗り継ぎ、病院に到着したのは手術開始予定の1時間半前。今日も青空が広がるいいお天気である。
1階の外来は大混雑だ。院内のコンビニで昼食を調達し、面会受付を済ませて病棟へ上がる。病室には術着に着替えてしょんぼりベッドに座っている母がいた。従姉が持ってきてくれた可愛いフラワーアレンジメントの傍で、すっかり意気消沈している様子。
聞けば術着に着替えた途端、浣腸の効果で腹痛になり、粗相してしまったという。看護師さんに申し訳ないと謝ったのだけれど、結構冷たくされた(本人の思い込みだろうが)とのこと。粗相等したくてしているわけではないし、看護師さんはそれも仕事のうちなのだから、いちいち落ち込んでいたらきりがないのに、そういうところが世間知らずというか、なんというか・・・なのだけれど、まあ致し方ない。
少しすると、レントゲン室から呼ばれましたということで、看護助手さんが車椅子を持ってきてお迎えに。点滴で繋がれているので、私が車椅子を押して、看護助手さんが点滴台を押して2人がかりのVIP待遇でレントゲン撮影室まで向かった。殆ど待たずに撮影終了。
病室に戻り、予定通りの時間になったので、5分前までにはお手洗いを済ませておくようにと担当看護師さんから言われ、気を紛らわせるようなお喋りをして過ごす。
一昨日入院した時には病室は満室だったが、眼科の方は昨日、外科の方は今朝それぞれ退院されたとのことで、窓側の同じ科の方と母だけの2人だけ。病室はごく静かなものだった。そのお隣の方もお部屋を移動するようで、一昨日からの滞在は母一人になった。母が手術室に移動するタイミングで、救急で入ってきた年配の方がお隣に移動されてきた。
では、と今日の担当看護師さんと車椅子に乗った母と、別のエレベーターで手術室のある階へ向かう。4年前もここだったなあとぼんやり思い出す。
家族控室で食事を摂ってもよいことを確認し、「では、頑張って行ってらっしゃい!」と母を送り出す。後ろ姿がやけに頼りなげである。執刀してくださるS先生にもご挨拶出来て良かった。
さて、これから持ち時間は4時間たっぷりあるわけで、持ってきた文庫の続きを読み始める。どうも既読感がある。5月の新刊なのだが・・・。おかしいと思って確認したら2年前に電子書籍版で読んでいたことが判明した。ああ、また、やってしまった・・・。
とはいえ、詳しいストーリーもラストもろくに覚えていなかったので(実に馬鹿なのだが)、そのまま読み進めた。塩田武士さんの「罪の声」(講談社文庫)である。
「グリコ・森永事件」をモデルとした超話題作。2016年ミステリーベスト10、山田風太郎賞受賞作、本屋大賞第3位にもなっている。来年公開で映画化も決まったようだ。フィクションだというが、発生日時や場所、脅迫・挑戦状の内容やその後の事件報道については極力史実通りの再現とご本人が言っている通り、途中からどこまでが事実でどこまでが物語なのかわからなくなった。
控室には最初30分ほど男性がお一人いらしたが、それから3時間は貸し切り状態で、空調温度も自分好みに設定出来て、快適だった。食事もマイペースで摂り、スマホで家族や従姉にLINE連絡する時間もたっぷりあって、思いのほかストレスフリーだった。4年前は沢山の家族の方たちがいらして、ソファが一杯で、今回より時間は短かった割には居心地が悪かったのを記憶している。
手術室に母が消えてから3時間半を少し過ぎたところでS先生からお声がかかる。「予定通りでしたか?」と伺うと、「はい。あちらで標本もお見せできるので、どうぞ。」と案内される。直径18mmと聞いていたとおり、まん丸い腫瘍の塊が膿盆の上にガーゼで包まれていた。「明らかな転移は見られなかったということでしょうか?」と問うと「出血も少なく、輸血もしていません。病理の結果はこれからですが、若干正常組織も取ってこの大きさです。」とのこと。お礼を言って、しっかりスマホで撮影。「麻酔が覚めるまでまだかかりますのであと30分くらいしたら出てきます。」と言われ、再び控室に戻って家族と従姉にLINEで報告。
これまた予定通り30分ほどして出てきたが、ベッドの上で頼りなげにとろんとした目を開けている母の姿。「頑張りました。無事生還です。予定通りでした!わかりますか。」と声をかけるとなんとなく頷いている。先生からは「この後、心電図を撮るなど色々術後処理をしますので、15分くらいデイルームで待機をしてください。」と言われ、エレベーターで病室階に戻った。
20分ほどして看護師さんからお呼びがかかって病室へ。ナースステーション真ん前のHCU病室に移動していた。酸素マスクをしているし、上からも下からもあちこちからチューブやら機械やらが出ているのでまさに重病人然としているが、声をかけると頷くことは出来る。看護師さんから「痛みは大丈夫だけれど、気持ち悪いと言われて、プリンペラン(吐き気止め)を飲みました。」と聞いていた。
私が行くと顔を歪めて「吐きそう・・・」と言うのでナースコール。お盆を用意して、横向きで吐けるようにしてくださった。呼吸練習器具の効果があったのか、うまく咳払いをしながら痰を出せている。大したものである。全身麻酔の後は喉がいがらっぽくて本当に気持ち悪いのだけれど、傷口が痛くてなかなか痰切りが難しいのだ。酸素マスクを外し、何度かえずく。ティッシュで口を拭うが、お腹は空っぽなので固形物は出てこない。左側が痛い(15センチも切開しているのだから当然だろうけれど)というので、背中から痛み止めを注入できるボタンを押す。
昨日は殆ど眠れなかったようで、「眠い・・・」と言って目を瞑る。眠れるなら眠った方がよいのだけれど、何度も検温、血圧測定等で看護師さんが出たり入ったり。お隣のベッドもそんな感じなのでなかなか落ち着かない。それでも4年前より歳を重ねている筈なのに大分しっかりしている。麻酔の量が適切だったように思う。前回はもっとぼーっとしていて、こんなに受け答えは出来なかったから。
病室に戻ってきてから2時間ほど傍にいたが、私がいなくなっても自分でナースコールを押せるかどうか確認して、しばし様子見。大分落ち着いたようだったので、病院を後にすることにした。母も「疲れたでしょう、気を付けて」と言うのだから立派である。朝は緊張のせいか上が150もあった血圧が(普段はどちらかと言えば私と同じで血圧が低いので、これは一大事である。)130になっていたし、体温も6度に満たず。86歳、チビッコ体形にしては大した生命力である。よく頑張りました。
ナースステーションで担当看護師さんに「また明日参りますので、よろしくお願いします」とご挨拶してエレベーターに乗った。
往路同様バス、JR、私鉄を乗り継いだが、月末・給料日後の金曜日ということで、バスは渋滞していた。タクシーに乗ってもそれなりに時間がかかっただろう。
ひとまず予定通りに手術が終わり、本当にほっとした。
夫が先に帰宅していたので、今日も夕飯の支度をお願いしてしまった。外食とかお弁当でも良いのだけれど、こういう時こそ家で暖かい食事が摂れる有難さを痛感する。
明日は少しゆっくり起きて昼頃見舞いに行くとともに、帰りは実家の様子見に寄る予定である。