ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.9.18 採血後腫瘍内科診察、パージェタ・ハーセプチン10クール目

2019-09-18 22:11:56 | 治療日記

 昨夜は夫や息子と暫しLINEをしたが、ほどなくして眠りに落ちた感じ。4時間ほどよく眠ってお手洗いに起きた。それからはまだ眠いのに眠れない。なぜか第九の合唱が鳴り響いて2時間ほどまんじりとも出来ず。その後モーニングコールが鳴るまで少しトロリとしたか。ちょっと寝不足である。

 朝のうちはお天気でも午後から雨の予報だ。夫は珍しく早起きして朝風呂に入ったと連絡があった。だから雨が降るのだろうか。足湯を済ませるが、相変わらず手足の痺れと痛みがあり鬱陶しい。
 新聞を片手にまずは痺れ対策の漢方2種を飲む。焼きたてのデニッシュとスープ、ジュースの定番朝食。朝食後はビタノイリン、ロキソニン、タケプロン、ミヤBM錠を飲み、部屋に戻る。朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウト。

 今月初めての通院だ。外はまだ青空が広がっているが、昨日より気温が低め。
 このところずっと調子が悪かった自動受付機がリニューアルしており、3台フル稼働中。IDカードを通す列は出来ていたが、すんなり進んだ。出てくるスリップも違っている。
 採血受付へ移動したら、待合い椅子は混雑中。なんとか椅子を確保して電光掲示板を見ると、待ち人数は10人以上で11分待ちと出ていた。それでも荷物を整理したりしているうちに自分の番号が出て、採血室に入った。

 今日の担当はあまりお見かけしたことのない女性。名札をしておられなかったので、お名前が不明。今月は今日の1回だけなので、マーカー等フル測定で5本。針刺の痛みが全くなく、びっくり。思わず「何ともありませんでした。素晴らしい!」と声に出てしまう。抜く時もノーストレスで止血も問題なし。幸先の良いスタートである。向かいの腫瘍内科の受付へ。

 待合い椅子はほどほどに混んでおり、定位置は確保出来ず。後方を確保して、受付へ向かった。電光掲示板の色もレイアウトも変わっている。貼り紙があり、「15日からシステムが変更になり、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれません」とのこと。受付の方に「まだリニューアルから数日なのですね。」と言うと「実際は昨日からなので、結構大変で・・・」と言っておられた。
 
 本日のお伴は、堂場瞬一さんの「不信の鎖 警視庁犯罪被害者支援課6」(講談社文庫)。帯には「それでも支援は必要か?もっとも傲慢な犯罪被害者が村野を苛む 娘を殺害された悪名高き男。部下への疑念が招く支援課分断の危機!文庫書下ろし警察小説シリーズ最新刊」とある。警察モノが実は好きである、といつかも書いた記憶があるが、書下ろしなら一度読んだのにも関わらず、それを忘れて気づかずに買ってしまい、読み始めてから既読感に?と思う・・・という間抜けな失敗がないので、安心して読める。最初からグイグイ読み進めていった。

 採血してから1時間が経ち、本の切りがよいところで血圧測定へ。89-61、脈拍は83。ちょっと低め。それから少しして「中待合いへどうぞ」に番号が出た。中廊下に入ってから先生に呼んで頂けるまで珍しくとても早く15分ほど。病院到着からまだ1時間半である。

 ご挨拶をして席に座る。今日も問診票は記入済みだ。「おかげさまで、ロキソニン減量計画は無事成功しており、朝一度飲んで痛みがあれば頓服で、の形に戻せています。頓服する回数もあまりなく、(がんそのものの)痛みは治まっています。けれど、(ハラヴェンの副作用である)手足の痛み、痺れが軽快どころかより酷くなってきていると感じることも多いです。家事をするにも痛み、足の爪も調子が悪いです。漢方もビタミン剤も真面目に飲んでいますが(改善しません)・・・」と訴えると、「ほかにも薬はありますけれど、リリカやサインバルタは眠くなって大変でしょうし、効かないということで量を増やすとまた副作用が出るし・・・」と仰る。

 いつかもサインバルタのことは書いたが、離脱症状が酷く、もう勘弁である。リリカもあまり良い話は聞かないし・・・。「結局我慢するしかないのかな、とは思うのですが、どのくらい続くのかと思うと、憂鬱です。また治らないうちに別の薬を重ねることになったらと思うと・・・」と愚痴る。

 採血の結果、マーカーは1割強の増加。「上昇傾向ではありますが、まだ正常範囲内ではある。いずれピークは来るだろうけれど、CTはレントゲンで見た通り、両肺の影はどれも縮小しており、とても良いです。胸骨は変わりありません。」とのこと。確かにPC上での画像は前回と比べて格段に小さくなっているように見える。ハラヴェンは良い仕事をしてくれたのは間違いなさそうだ。先生がぼそっと「副作用は長引きはするが、効果も続く・・」と仰る。それ以上なかなか愚痴れなくなった。システムが変わって、まだ使いこなせない・・・と先生がぶつぶつ独り言ちている。

 「それから、甲状腺は異常なし。目で見て腫れているように見えたけれど、腫れていないとのことで、定期的に調べる必要もないそうです。エコーの時、(こういう特徴の)男性でしたか。」と訊かれ、「はい。」と答えると、「内分泌科の部長直々(エコーを)やってくれたみたいです。」とのこと。「恐れ入りました。お騒がせしました。」とお辞儀をしてしまう。とりあえず不安が潰せてほっとした。これでまた治療に邁進出来るというわけだ。診察室での検温は37度丁度。

 薬の処方では、ロキソニンを少な目に(3週間毎食後3回ずつを2週間分に減量)して頂き、それ以外はミヤBM錠含め5種類を3週間分。
 次回3週間後は採血なしで治療のみでよいとのこと。口腔外科の経過観察があるので、それほど時間は変わらないかもしれない。月末の2回目の治療日に採血とレントゲンの予約が入った。

 ご挨拶をして診察室を後にし、化学療法室へ入る。待合い椅子は一杯。入り口に近いパイプ椅子に腰かけた。いつものように夫やお友達にLINEで報告。20分ほどして看護師のMさんから窓側のナースステーション側の席に案内された。外は今にも雨が降り出しそうな気配。

 お手洗いを済ませ、かつらを外してケア帽子に替え、リラックスして読書の続き。
 10分ほどして刺針に見えたのはKdさん。お久しぶりだ。針が入るのになかなか落ち着かない感じでチリチリ痛んだがしばらくして落ち着く。
 その後20分ほどしてOkさんから薬が届く。こちらもお久しぶり。夏休みはずっと家にいて2人の小学生のお母さん役に徹したとのこと。お子さんたちの希望が「お出かけや旅行」ではなく「お母さんをしてほしい」だったそう。「ただいま」と帰宅した時に、お母さんがカギを開けて「おかえり」と言ってくれることに憧れるというのは泣ける話で、我が家の息子もそうだったことを思い出した。 

 2剤併用の治療10クール目。点滴棒にはいつものように2本の薬液パックと生理食塩水の小さなパック、シリンジ。点滴の順番はパージェタ、ハーセプチン、最後に生理食塩水である。

 最後の生理食塩水になったところで、Okさんが血圧測定にみえる。途中Kwさんにお願いした採血結果のプリントアウトをKrさんが届けてくださった。今日は血糖値も問題なし。終了時の血圧は119-66、脈拍は57。抜針はMさん。Kdさんがしっかりテープで固定されていたので剥がすのに一苦労。いつもながら衝撃があり、痛かった。

 今回も同じ列の反対側の椅子で点滴中ずっと咳き込む方がいた。まだ軽快していないのだ。私がそうだったように薬が奏功して楽になりますように、と祈る。

 化学療法室に滞在した時間は3時間半弱。順調だった。お手洗いを済ませ、ご挨拶して部屋を後にした。会計へ移動すると受付から長蛇の列。待合い椅子は大混雑していた。受付番号を頂いてから薬局へ処方箋を送信するのは並ばないで済んだが、小一時間待ってようやく会計番号が出た。今日も点滴代が35万円相当で、3割負担のお支払いはカードで11万弱。

 病院を出ると、小雨が降り出していた。寒いかしらとカーディガンを羽織ったが、結構湿気が高く、蒸している。薬局に到着し、「病院内から処方箋を送りました。」と申告すると、今日も10分ほどで呼んで頂けた。恩恵に被っている。「今日もいつもどおりですね?」と問われ、3,000円に満たず現金でお支払い。本日の病院と薬局の滞在時間は合計で6時間強。

 大荷物で駅ビルに辿り着く。今日も夕方までランチをやっているお店で野菜たっぷりの麺を頂いた。外は雨が強くなっていた。快速に間に合って、席も確保出来、2冊目の佳境を読み終えた。
 
 自宅最寄り駅に到着すると雨が小降りだったが、タクシーは出払っていた。仕方なく歩く。途中雨脚が強くならないうちに普段より少し早い時間に帰宅出来た。夫は出張先から直帰で、私が帰宅すると既に生協配達の食品の収納も終わっており、食事の支度をしてくれていた。まだ昼食を食べたばかりなので、遅くて良いとお願いし、洗濯物を片付けてリビングでお夕寝。
 明日は午前中仕事をして、昼前から会議のためまた東京横断だ。疲れを残さないように今日も出来るだけ早めに休まなくては・・・。

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2019.9.17 母の入院前面接、入院支度を終えて・・・

2019-09-18 21:58:57 | 日記

 午前中で仕事を終え、母が来週入院する病院での入院前面接に付き添った。朝一番に提出締め切りにしていた書類がなかなか出て来なくて、ようやく手にしたのはお昼を回ってから。それからその処理をして、結局お昼休みを大きく食い込んでから職場を後にすることになった。

 急いでいる時に限って私鉄とJRの接続も悪く、途中駅ビルで少しゆっくりランチを摂る予定が、叶わず。ドタバタとかき込み、余裕をもって到着出来るバスに乗るつもりでバス停に急いだものの、目の前で行かれ、暑い中20分待ちというトホホの事態になった。

 それとは対照的に、20分後に乗ったバスの運転手さんは「発車します」の合図の後、3度もドアを開け閉めして駆け込んでくるお客さんたちを乗せてあげていた。そんな調子だったのと信号待ちが続いたため、ギリギリで間に合う予定が病院入口のバス停に到着したのが面接開始時間丁度。走ることは出来ないが、最速早歩きでエスカレーターを歩き、待ち合わせの泌尿器科前に到着したら、3分遅刻であった。母と看護師さんが私を見つけて、会釈した。

 息切れしながら申し訳ないとお詫び。せっかく2階に上がったのだけれど、案内されたのは1階の入り口脇すぐの面接室だった。最初からこの場所が分かっていれば、1分の遅刻で済んだかも・・・と思うも結果論である。

 先週書き終えた厚い問診票に従って看護師さんからのヒアリング。基本は母に答えてもらって・・・のつもりが、なかなか埒が明かず、だんだん助け船を出すより私が答える部分も多くなる。1時間20分くらいかかって、ようやく終了。それでも退院後のショートステイの希望やら何やら言いたいことはお伝えすることが出来たので、付き添った甲斐はあったと思う。

 売店で呼吸練習のための器具等を再び買い(前回の手術の折にも買ったのだけれど、こんなものはあまり縁起が良くないとか父に言われて処分したらしい。結構高額なのに・・・。)実家に戻ったのはもう勤務時間終了の時間だった。

 前回別れる時に入院用品の支度をしておくようにと言って、今日はチェックするだけのつもりだったが、まだ何もしていない母である。横について一つ一つ準備。なんだか昔息子の修学旅行の支度を手伝いながら、いつも間にか本人がお客様状態になり、全部私がやる羽目になった・・・のデジャヴのようである。叱咤激励しつつ、なんとか準備完了。後は、退院後そのままショートステイ先に移れるように、その着替えなども準備しなくてはならない。

 そんなこんなで実家を出るのはすっかり遅くなってしまった。夫は出張で箱根一泊なので、夕食不要。明日の通院に備えた前泊お泊り道具は持参しているので自宅に寄る必要もなく、途中で夕食を摂ってからホテルを目指す算段だったが、母が一緒に夕食をしても良いというので、では、と駅方面に繰り出した。

 落ち着けるというので、従姉や息子とは来たことがあるというショッピングモール内の和食レストランへ。母はお魚御膳を、私は天ぷら御膳を頂き、そこで別れて私はJRを乗り継いで前泊するホテルに移動した。

 移動する車内では白石一文さんの「ここは私たちのいない場所」(新潮文庫)を読み始めた。帯には「救いと光に満ちた長編小説 この小説をたくさんの人、とくに大切な人の死や喪失にかかわった全ての人に読んでもらいたいです。―中瀬ゆかり(編集者・解説を担当されており、4年前にパートナーを突然失くされている。)」とあったが、読みやすく出てくる舞台もなんとなく土地勘があり、するすると引き込まれて最後まで読み終えた。

 ホテルに到着。暑い中動き回ったせいか、かなり疲れていたので、母に無事チェックインした連絡をしてからは湯舟に少し熱めのお湯を貼り、早めに休むことにした。
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