今日から9月。名前は長月とはいいながら、30日しかない小の月。今年も早くも3分の2が過ぎたことになる。
先週木曜日、思いがけずとても素敵なお知らせがグループLINEに入った。1期、2期と修了し、3期目があれば是非また受講したいと望みながら、体調やら家族の事情やらあれこれ鑑み、ギリギリに泣く泣く参加を断念したインテンシヴコース第3期。その3日目、4日目に聴講生として一部参加されませんか、というM先生からのお誘いだった。
行きたい!といきなり心が鷲掴みされたけれど、既に夜から第九の初回練習が入っていたし、午前中と夜、ダブルヘッダーで都心往復する体力がないのは自分で重々承知していた。
とても残念ですが・・・と一旦お返事したものの、どうしても諦め切れずウジウジ。
今回はこちら!と心が叫んだ感じだ。生きていることは日々選択の連続だ。身体はひとつしかないし、体力も落ちている。今、自分にとって大切なもの、行きたいこと、したいこと、(もちろんしなければならないことも沢山あるけれど)それを選び取ることは別のことを棄てること。つくづくしんどいことだ。
思い切って、まだ席がありましたら・・・と申し出たところ、M先生から「どうぞどうぞ」とご快諾頂いた。思わず一人でガッツポーズ。
というわけで、早起きして久しぶり、どころか今年初めて大好きなSさんのスタジオを訪れた。Sさんのスタジオについては先日、とても大きく心を揺さぶられるお知らせがあった。そのことについては後日書きたいと思う。
さて、スタジオに上がるエレベーターで、2期でご一緒したFさんとお会いする。何とも言えない懐かしい雰囲気。受付では笑顔のM先生がお迎えくださる。お目にかかれて本当に嬉しい。昨年のクリスマスパーティ以来となるこのスタジオの心地よい空気感に、いきなり自分の顔がほころび、心が解れていくのが分かる。
着替えを済ませてスタジオに入ると、今回3期の受講生11名(1期、2期の半分の人数でなんて贅沢! 以前、最寄り駅前のスタジオにワークショップにいらしたインストラクターのKさんが受講生のお一人としていらしてびっくり。休み時間にご挨拶が出来て良かった。)が扇型に座り、私たち聴講生は彼女たちの後ろ側二手に分かれて座る。
聴講生が私を入れて2期合わせて9名。
まずはM先生のリードによりオームの音を3回唱え、パタンジャリのチャンティング。20人の声の共鳴に心が震える。そして、だんだん穏やかに落ち着いていくのが分かる。
受講生一人ずつ、前回の課題についてのシェアが行われ、掘り下げていくスタイルは私たちの時と同じだ。
ヨガを学ぶ目的の話から始まり、今回先生が私たち修了生をご招待してくださったのは、先生ご自身の学びが深まり、1期、2期では話をされなかった「パンチャコーシャ」についてのレクチャーをされたかったからだ、ということが分かる。
既に何度もワークショップに出席されたという2期の修了生、FさんやTさんが代表して、その図をホワイトボードに書いてくださる。
パンチャコーシャはサンスクリット語で「5つの鞘(さや)~(層、次元等とも言える)」という意味。ヨガにおいて私たちはそのようにデザインされている、という考え方である。5つのベールを剥ぎ、玉ねぎの皮のように剥いていくと(私はマトリョーシカを思い浮かべた)その一番内側に真我(ブラーマン)があるという。その真我の部分はどの生物も(蟻でも象でも木でも大根でも海老でも人間でも!)同じくらいの大きさであるということ。
真我は私たちの本質、愛であり、魂であり、あらゆる生きとし生けるものに平等に備わっており、それとともにあればストレスや苦しみはないという考え方だ。
1つ目がアンナマヤ・コーシャ、5つの鞘の中で一番外側にあり、いわゆる肉体と呼ばれているもの。2つ目がプラーナマヤ・コーシャで、あらゆる動きを司るもの。3つ目がマノマヤ・コーシャ、感覚、感情、思考など目に見えないもの。4つ目がヴィジュナーナマヤ・コーシャで、集中している、深まっている、フォーカスしている、という感じ。そして最後、5つ目がアーナンダマヤ・コーシャ。歓喜の層、至福の層と言われる5つの鞘の中で最も真我に近いものだ。
この説明を聞きながら、S先生の指導者養成コースで学んだパタンジャリのヨガの経典「ヨーガスートラ」に出てくる八支則と繋げている私がいた。M先生からもヤマ、ニヤマは別としてアーサナ(ポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸法)、プラーティヤーハーラ(制感)、ダーラナ(集中)、ディアーナ(瞑想)、サマーディ(深い瞑想)という最終ステップのサマーディにアートマン、真我が重なるという補足説明があった。3年越しで深く納得。
M先生が仰るには、学びにはアウトプットが大切で、こうして聞いた知識は情報でしかないけれど、それを自分で体感し、人に伝えることで初めて自分のものになる(体得する)という。本当にそうだ。学んで充電することは大切だけれど、きちんとそれを自分のものとして人に伝えていくこと、手放していくことは、もっと大切なのだなと思う。
ここまでで2時間。聴講が許された私たちのスタジオ同席時間は終了。残り1時間は3期生が実際に練習する時間ということで、私たち修了生はスタジオを後にした。
じんわりと幸せが満ち足りた感じで気持ちが高揚している。思い切って来て良かったし、ともに学んだ皆さんに再会叶って本当に嬉しかった。何よりこうして声をかけてくださったM先生に感謝である。
着替えた後、お礼のご挨拶をし、先生からハグして頂いてウルっとしてしまった。気づけば来月も是非また・・・、と言っている私である。
他の皆さんはずっとM先生のクラスを継続受講されているが、私は今年になってからの体調不良等で受講することもままならなかった。細々と続けているのは朝ヨガと地元のホットヨガスタジオでのクラスに時々参加することだけ。けれど、健康でバイタリティと向上心に溢れる皆さんと今の自分を比べてみても始まらない。自分のペースで出来る時に出来ることを選びながらやっていくしかないし、それでよいのだ、と心を強くした。
聴講生として参加された修了生の皆さんは、午後のワークショップにも出席される方が殆どで、その時間に戻ってこられるように、とランチに行かれた。私は一人でせっかく久しぶりに来たこの地、お気に入りのタイ料理レストランに行ってみた。幸い殆ど待たずにテーブル席に案内された。迷わず大好きなパッタイを注文。ランチセットはトムヤンクンのスープと生春巻きがついてくる。しみじみ美味しい。3年前の指導者養成コース、2年前の均整術師養成コース受講の頃からほぼ毎回、何度通ったことか。
心もお腹も満ち足りてスタジオのある駅を後にした。日差しが強く、気温はかなり上がっている。車内ではM先生とHさんにLINEでお礼のメッセージを送り、ご機嫌な帰路だった。
最寄り駅に夫が迎えに来てくれて一緒に帰宅。ウエアの洗濯をしたり、片付けものをしたりした後は暫し休憩。頭を総動員してちょっと疲れたのか、やけに眠くなって少しウトウトした後は、はた、と気づいて拭き掃除。
それにしても、手袋をしないで指先を使うといきなり赤くなってチリチリと痛む。原因となる薬を止めてそろそろ3か月。いつになったら収まってくれることやら。足の裏も同様で、立って自分の体重という負荷がかかるだけでジンジン痛むのはどうしたものか。
せっかくパンチャコーシャを学んだのだから、こうした痛みの感覚もうまく制御出来るように幸せに暮らしたいものである。昼食後はとても久しぶりにロキソニンを飲まないで様子を見た。夕食後もちょっとお休みしてみている。このまままた朝だけのペースになればよいのだけれど。