ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.9.17 旅は2日目 中秋の名月の日 約30年ぶり古い町並みが立ち並ぶ世界遺産マラッカ満喫

2024-09-17 23:20:12 | 
 昨夜、ブログアップ後は、映画館で見損なった邦画を2本(「かくしごと」と「違国日記」合計で4時間半・・・)観て、夕食(夫は和食を、私は洋食をチョイス、3月のイタリア旅行の時より食事は美味しかったが、ボリューミーで半分ほどごめんなさいする羽目に。)を頂き、何回かお手洗いに立ったと思ったら無事到着した。

 座席をフルフラットにして眠るほどの時間はなかったけれど、食後は4時間ほどカツラを外してケア帽子でリラックス出来たので有難かった。夫は1時間ほど眠ったそうだ。リフレッシュメントでアイスクリームも食していたが、私はジュースを頂くので精一杯。やはりヨーロッパ便14時間とはわけが違う。

 着陸後、冷房が効いた広い空港内を延々と歩く。20数年前に降り立った時のことは全く覚えていない。案内されるがままバスを乗り継いてイミグレーションへ。真夜中だというのに空港というところは全く時間を感じさせない。お店は開いているし、お子ちゃまが一人で、カフェでパンをかじっていたりする。
 イミグレーションではパスポートをスキャンして、写真認証をしたら無事するりとドアが開いた。ターンテーブルから荷物もすんなりと出てきて、迎えのガイドさんもすぐに分かって名前を伝えた。

 今回の旅の一行は9名。見ると、ご夫婦が私達を含めて2組、母娘と思しきお2人、女友達か姉妹かのお2人、そしておひとり様の若い女性が一人である。男性が2人だけというのは珍しい。この9名だけで45人乗り大型バスに乗り込んだ。席は選り取り見取りだ。
 空港からホテルまでは40分ほどということだったが、バス内で両替をしたり、あれこれ説明を聴いたりで、眠いとは言っていられないほど忙しかった。ガイドは中国系三世の頼さん。ドライバーさんはマレー人。

 ホテルに到着したのは着陸から1時間半は経っていたか。日本時間では夜中の2時半だ。最低限の荷ほどきをして、浴槽にお湯を張ってざっと入浴し、消灯したのは現地時間で3時近かった。時差を考えればほぼ完徹状態だ。
 今朝の出発は遅めの10時だったので、7時半にアラームをかけて5時間近く眠れる算段だったが、またしても30分以上前にお手洗いで目が覚めてその後は眠れず。4時間睡眠。

 のろのろと支度をしてほぼパッキングを終えてから、階下のレストランに向かった。
 好きなオムレツも焼いて頂いたけれど、インド人も多く住むイスラムの国とあって、ソーセージもハムも全てチキンだった。果物もジュースも種類が豊富だったけれど、そうそう頂けるものでもなく。
 なんといっても、バスに乗るのにお手洗いが心配というのがネックだ。どうも過活動膀胱という感じがする。こんなことは初めて。お手洗いが近くなるというのはフェスゴの副作用にもあるようなのだけれど。

 部屋に戻り、暫し休息してチェックアウトを済ませ、いざ、2日目、観光スタートである。
 今日はバスで2時間半ほどかけて古都マラッカに向かう。いいお天気だ。かなり気温が上がりそう。それでも今年の猛暑で身体が蒸し暑さに慣れているのか、それほど苦痛に感じない。
 1時間半ほどバスに揺られている間、殆ど首が折れそうになるほど爆睡した・・・気がする。途中、サービスエリアで10分ほどのお手洗い休憩。
 こうして海外のお手洗いを使うにつけ、日本のお手洗い事情は実に天国だと思う。こちらでは洋式はせいぜい半分あるかないか。和式の変形のようなものが殆どだ。そしてペーパーの備え付けはほぼない。さらに床はびしょ濡れ。皆ホースの水で汚物を流すから、という。これも郷に入れば郷に従え、であるのだけれど。

 再び小一時間バスに揺られてマラッカに入る。まずは昼食。マレーと中国が融合した名物ニョニャ料理だ。9人で1つの丸テーブルを囲む。大皿料理がいきなりどんどん運ばれてくる。8品あったか。デザートのチェンドル(緑豆ゼリー入り黒蜜とココナツミルクのかき氷)がさっぱりしていて美味しかった。お腹が心配なので小さなお茶碗の半分だけ味見。昼からお酒を飲む方はおらず、夫も遠慮してソフトドリンクで我慢していた。周りには別の旅行会社のバッジをつけた日本人グループの姿も。

 1時間ほどゆっくりランチを愉しんだ後は、観光スタートの前に、雑貨店に立ち寄る。雑貨店のビルの向かいには、コロナ禍の影響で、建設途上でそのまま放置された建物が。世界中どこもかしこもこういう事態が起こっていたのだな、となんとなく気分が滅入る。
 立ち寄った雑貨屋さんは、広い一室に雑然と置かれたテーブルの上に、30年前に私達が買ったものと同じバティックやら手芸品やらが無造作に並べられ、まるでひと昔前にワープしたかのような古さ。時が止まっている感じ。

 パシュミナのストールやシルクのシャツ等、交渉すればディスカウントしてくれるようだったが、結局どなたもお財布を開くことはなかった。なんだか申し訳なかったけれど。あんなに多くの店員さん、インバウンド相手に日々どうしているのだろう、とこれまたちょっと胸が痛む。

 気を取り直して、古都マラッカの史跡を船から愛でるリバークルーズからスタート。マラッカ川の名物だそう。川の両側に点在する美しい町並みを見るのが楽しい。川の水は茶色だが、頬を撫でる風が心地良い。行き交う船のお客さんと手を振ったり会釈したり。色とりどりの、形も様々な橋が面白い。途中には遊園地や今日宿泊するホテルも見える。片道30分ほどだったが、強い日差しに負けそうになる。長袖のカーディガンを羽織っていてよかった。

 オランダ広場の船着き場を降りると、多くの観光客や、ぬいぐるみや色とりどりのモールで煌びやかに飾り付けられたトライショー(人力三輪車)が行き交っている。ここには30年ほど前に一度訪れたが、この広場で写真撮影だけしてろくに散策はしなかったので、今日がほぼ初めての街歩きだ。
 マラッカのシンボル、東南アジア最古のオランダ建築であるスタダイス、赤いキリスト教会は写真映えするスポットだ。急な階段を上り、右手のないザビエル像が立つセント・ポール教会へ。
 ザビエルの遺骨はここに9か月安置された後、インドに移送されたという。教会は外観のみが残り、かつて訪れたマカオの聖ポール天主堂跡を彷彿とさせた。
 階段はかなり登りがいがあり、ガイドのライさん曰く、適当な造りなので高さが一段一段違う。いきなり高くなると足を取られそうになる。かなり高台まで上がり、振り返れば、赤い屋根の街の向こうにはマラッカ海峡が広がっている。素晴らしい光景だ。
 足の裏は痺れているが、痛みがないので、もうひと踏ん張り、今度はサンチャゴ砦まで降りる。オランダとの闘いに備えるためポルトガル軍が建造した砦跡。暑いし、よく歩いてかなり顎が出ている。

 姉妹だというお2人が、ここには既に何度も訪れているし、きつい階段を上るのは辛いので、とオランダ広場からは別行動されていたのだけれど、待ち合わせ場所である筈のファストフード前に姿を見せない。
 ガイドさんは私達7人をその場に残し、探しに行くが、暑い中、皆、階段の上り下りをして、昨日の寝不足が祟っているわけで、だんだん疲れてイライラしてくる。
 30分近く待ったところで、お2人らしき姿が見える。まだ名前を知らないので「おーい!」と呼んでなんとか合流する。いやはや、であった。少し離れた同じファストフードで待っていたらしい。
 私は途中で腹痛になり、ファストフードでお手洗いをお借りできたのがせめても、だったけれど、団体行動中の自由行動は待ち合わせ場所と時間をきちんと決めておかないと、とつくづく思う。少人数だし、用意が出来たらなんとなく出発、みたいな緩い感じだったのが、仇になったか。

 なんだかかなり憔悴した感じで、マラッカタワーへ向かう。遊園地の乗り物のようだが、360度回転しながら上がっていく。高所恐怖症の夫を心配したけれど、座っていられるのでなんとか無事だった。外の行列で待っていた時は正直どうでもよくなっていたけれど、上がって観れば景色は素晴らしく、少し冷房が効いている中で座れたので、ちょっとほっとする。

 次は水上モスクへ。
 “モスクのルールが変更となり、下車観光の案内の場合も女性のお客様は、 胸元が広く開いておらず、身体の線が出ない十分丈の長袖、かかとまで隠れる長 ズボン、髪の毛全体を覆うスカーフが必要となりました。ノースリーブ、スカート、レギンス、スリムタイプのパンツは 不可とみなされる場合があります。服と スカーフは現地でレンタルもできます。男性のお客様は、肩とひざが隠れている服装であれば問題ないとされておりますが、念の為、長ズボンの着用をお願い申し上げます。”という直前連絡がきていた。
 そのためにストールやらカーディガンやらを持参したのだが、あいにくお祈りが始まってしまい、見学ができるのは45分後とのこと。
 とてもそんなに待つことは出来ない、とモスクをバックに女性はストール姿で写真撮影のみ。けれど、水上にある、という姿はそこからは全く分からなかったので残念。

 そこから今度はチャイナタウンへ向かう。雲ゆきが怪しくなってくる。まあ10月からは雨季だというから、乾季もあと半月足らずだし無理もない。目抜き通りのジョンカーストリートは土産店や飲食店、アンティークショップ等が軒を連ねている。
 目指すはマレーシア最古の中国寺院青雲亭寺院。資材は中国から運んできたという。屋根の上の動物や人の小さな像が美しい。お線香が香る中、観音様、交通安全、商売繁盛の3人の神様にそれぞれお参りする。
 続いてイスラム寺院カンボン・クリン・モスクにも立ち寄る。ミナレットもあり、様々な建築様式が融合していて興味深い。さらに同じ並びには最古のヒンドゥー寺院まで。僅かの距離に3つの宗教のシンボルがあるのは凄いことだ。

 豪邸が立ち並ぶ通り等も元気ならちょっと歩いてみたい気もするが、雨がぽつぽつしてくるし、かなり草臥れている。夕食までの小一時間、ホテルで小休止をすることを8名が選択(母娘連れのお母様はまだ散策したいようだった。)。そのまま歩いてホテルのロビーへ向かう。
 バスが既にホテル前につけてくれていて、荷物を持ってチェックインを待つ。素敵なリゾートホテルだ。ウエルカムドリンクと称してレモンシャーベットがふるまわれ、その美味しさに生き返った心地。夫も私もちゃっかりお代わりをした。

 部屋には広いベランダがあり、リバーサイドに面しているだけあって景色は素晴らしい。室内は、絢爛豪華なプラナカン文化とスペイン文化が融合したかのようなエレガントな風情。プールもスパも完備されており、1泊だけでは勿体ない。
 荷ほどきをする元気もなく、暫しカツラを外し、ベッドで横になったらもう夕食会場へ出発の時間。出がけには、中秋の名月ということで、ホテルからの立派な月餅のプレゼントがあった。
 ところが、いきなりスコールだ。前が見えないほどの土砂降り。降る前にベランダで写真を撮っておいてよかった。
 バスは濡れないようにホテルロビー真ん前に付けてくれたけれど、とんでもない雨風に吹き飛ばされそうだった。30分弱揺られて夕食はマレー料理のレストランへ。こちらでも大皿料理がどんどん出てくる。ボリューミーだし、疲れていてあまり食が進まない。夫はタイガービールを飲んでご機嫌だ。デザートのスイカが美味しかった。

 ということで、帰りはスコールもやんでいたが、雨風で大木が根っこから倒れて通行止めになっており、迂回してホテルまで戻る羽目になった。

 明日は今日より1時間早い出発だ。プトラジャヤ経由でクアラルンプールへ向かう。
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