ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.7.14 突然、猛暑日熱帯夜・・・

2015-07-14 20:50:30 | 日記
 月はじめからのジメジメしたお天気がようやく解消されて、土日は久しぶりにお天気が良く、喜んでお出かけしたのも束の間。
 昨日からいきなり猛暑日である。新潟や熊谷では38度超えという高熱状態。暑さに不慣れな身体にこの時期の暑さはいかにもきつい。こちらでも真夏日を通り越し、昨日は36度を超え、体温に迫る勢いだった。

 マイ電動自転車で実家の用足しに行ってくれた夫の両腕は、火傷したごとく真っ赤に腫れ上がっていた。
 実家は外装工事中であり、周りを幌で覆われているため風通しが悪く、日中の室温は34度を超えていたという。 
 そのことを聞き「なぜこういう日にも冷房を入れないの?熱中症で死にたいの?お願いだからちゃんと冷房を入れてくださいよ・・・」と電話をしたのだけれど、相変わらずの母のあっけらかんとした物言いにどっと脱力する。
 「冷房は身体に悪いから出来るだけ使わない」といっても限度がある、というものだ。

 今日も朝から気温はぐんぐん上がり、ここぞとばかりに大物も含めて洗濯を3回分干して家を出た。

 こうして我が家のプライバシーや恥を晒しながら、ブログを綴ること早6年近く。
 無理やり話題を捻り出して書くのでは難行苦行になってしまうから、書きたいことがある時だけと決め、徒然なるままにマイペースで書いている。けれど、一日の量をもっと少なくして、話題を分けて書いた方が散漫にならないし、読んで頂く方に親切なんじゃないの、と一番身近な読み手である夫は、意見する。

 考えてみれば、ごく地味で平凡な生活をしているわけだから、毎日毎日そうそう活きのいいネタが転がり込んでくる筈もない。かといって、内容配分を考えながら記事を準備する時間がないことも確かだ。
 されば、せめて何かイベントがあった時には、それを2回、3回に分けて小出しにしながらコンスタントな量に留めて書いてアップした方がいいのかもしれない。けれど、そもそもブログとは日記であると思うと、どうもその日のことはその日のうちに、の貧乏性が頭をもたげてしまう。

 色々な書き手がいて色々な書き方がある。かたや色々な読み手もいて、色々な読み方がある。金子みすずさんの「みんなちがって・・・」ではないけれど、だからこそ面白いのだろう。
 いずれにせよ、心穏やかに続けていくために、自分らしく無理は禁物、免疫力が下がりそうな雑音にはあまり囚われないというスタンスを崩さず、のんびり書いていきたいものである。

 それにしても、今夜も暑い!週の後半からはまた雨というから梅雨明けはまだ先のようだけれど・・・。

 お読みくださっている皆様、熱中症にはどうかくれぐれもお気をつけくださいますように、御身ご自愛くださいませ。
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2015.7.11-12 非日常の週末を貪欲に愉しむ

2015-07-12 22:38:13 | 日記
 土曜日。7月に入って初めて晴れの週末だ。寝坊などしていてはもったいないということで、普通に起き出し、朝一番のインナービューティヨガのレッスンに参加。たっぷり汗を流す。
 今日は年に1度の、息子が通う大学の懇談会で都心へ。今年度から役員を引き受けることになった夫は、昼前から打ち合わせで私より一足先に出かけた。私は午後からの全体会と懇談会の参加。
 昨年と同じ会場で定刻通り全体会がスタートした。ああ、もう1年経ったのだ、と感慨深い。この会合に来年と再来年出席出来たら卒業なのだから、大学4年など本当にあっという間だ。夫は全体会の司会進行役を仰せつかっている。大学代表の挨拶、もう一人の役員の方から総会報告の後、大学の事務方3名から学びと進路についてのお話し、続いて現役の2回生から課外活動や勉強、一人暮らしのナマの声を聴くことが出来る。続いて、今年の春就職したばかりの卒業生から就職活動報告。昨年はこのテーマで話をすることになっていた卒業生が体調不良の為欠席だったため、発表は留学体験だけだったので、我が家にはあまり突っ込んで聴きたい話ではなく、印象が薄かった。
 今回はとても興味深い話題で、しっかり自己分析をして就活に臨んだ卒業生の話を聴き、息子にも爪の垢を煎じて飲ませたいなあと唸ることしきり。

 後半は学部毎に3つの部屋に分かれて懇談会。夫もお役御免で、今度は参加者の一人となる。息子の学部以外に2学部の3学部合同で、22名の父母に加え、大学側から教員1名、事務2名、卒業生1名の合計26名。一人暮らしをスタートさせたばかりの1回生の親御さんが断然多い。挙手が引きも切らず、熱心に質疑応答が進んだが、1回生は、親子ともどもまだまだ希望に溢れた選択肢が沢山あるのを感じる。文学部からの参加が圧倒的だったせいか、終始、海外留学や教職等の質疑が途切れることなく盛んだった。
 全体での質疑応答が終わった後は、学部毎に分かれて、ざっくばらんに意見交換。ここでは我が家以外1回生2人、3回生1人の4家族。奇しくも全員が男子学生のお母様やお父様で、LINEが既読スルーだったり、電話にも出なかったり、逢いに行ってもなかなか逢えなかったり、部屋は掃除しないで大変なことになっていたり等、いずこも同じ。お互いに「我が息子だけじゃないんだ」と安心してお開きとなった。
 
 帰途、会員になっているホテルのお誕生月特別宿泊プランを予約していて、ほぼ1カ月遅れの誕生日を夫に祝ってもらった。チェックインすると、2人用の小さなホールケーキがお部屋に届き、写真も撮って頂いてホッと一息のティータイム。蝋燭と名前入りのチョコレートプレートも用意して頂き、こんな歳になって気恥ずかしくも、素直に嬉しい。
 その後、最上階のバーラウンジでカクテルタイムを愉しむ。それにしても、ホテルのバーなんぞに出没したのは20年ぶりくらいだろうか。息子が生まれて以降はとてもではないが、そんな余裕はなかった。そもそも夫もそれほど飲めないし、私に至っては無粋なほど下戸だ。お誕生日祝いにサービスされた、小さな薔薇が浮かんだオレンジ色のカクテルをチビチビ舐めるだけ。
 普段は禁煙席にしか行かないが、バーという場所がらそうもいかず、煙草の煙も気になって、なかなか落ち着かない。それでも暮れなずみ段々と夜景に変わりゆく副都心の風景を愛でながら、非日常を存分に愉しんだ。土曜日の夜ということでカウンター席もテーブル席もどこも満席。皆、ラフなスタイルでそれぞれお酒を愉しんでいる。ああ、(お酒が)飲めたら別の人生を送ることが出来たのだろうかとも思うが、そんなことを考えてみたところで、飲めないのだから致し方ない。
 そのまま下の階に降りて、予約した和食レストランへ移動。ここでもゆっくり時間をかけて、彩豊かな旬の地魚等のお料理を堪能することが出来た。
 すっかりお腹一杯になり、お腹ごなしに少しお散歩に出る。故障したテレビの後釜をどうするかということで、閉店間際の電気店をウロウロし、噂の爆買いをする中国人観光客を横目に見ながら部屋に戻った。

 日曜日。ゆっくり起きて、いつもどおりに浴槽足湯を終えてから朝食に向かう。ビュッフェレストランはどこも外国人観光客で混雑しており、一番静かだったラウンジでゆったりのんびりと朝食を摂る。
 またお腹ごなしに、昨日とは別のもう1軒の電気店を覗きに行く。開店から間もないので店内は空いている。下見のつもりだったのだが、詳しく説明をして頂き、朝一番でフェア中なので、と割引も頑張ってもらい、あれよあれよと購入手続きに。実は明日、修理に来てもらうよう頼んでいたのだが、こちらはキャンセルすることになってしまった。
 ホテルに戻ると、チェックアウトをする人たちでロビーが大混雑。大人も子供もランドセルを背負っている中国人観光客を目の当たりにして、ランドセルが流行っているのは本当だったのだ、と吃驚する。最上階のラウンジでのんびりお茶をしながら疲労回復。昨日は見えたスカイツリーが今日は霞んで見えない。レイトチェックアウトの恩恵に十分浴し、ゆるゆると荷物をまとめてチェックアウトした。それにしても外は暑い。予報通りの真夏日である。

 さて、今回の目的はもう1つ。お友達から頂いたペアチケットを片手に、夫も私も初めての寄席へ向かう。夫は落語が大好きで、通勤の際にはいつもiPodで聴いている。寄席は入れ替えなしの途中入場OKということで、昼の部の途中から様子見だけでもいいかしら、と入ってみたところ、期待以上で断然面白い。結局、昼の部のトリまで2時間半以上座りっ放し。売店もレトロな感じだし、懐かしさ一杯のいい雰囲気。
 文字通り“笑う門には福が来る”で会場は笑いに満ち溢れている。私も恥も外聞もなく大きな口を開けて良く笑い、免疫力がアップしたのを実感する。外は暑いけれど、桟敷席で足を延ばしていると、適度に涼しく、実に快適。
 落語、漫才、物まね、太神楽と飽きさせることなく、出し物は続いた。私が子どもの頃には子猫さんとして親しんでいた方も、既に四代目猫八さんを襲名しておられ、その動物の声真似は圧巻。その後、三遊亭金馬さんが出ていらして観客席が湧く。膝を痛めておられるとのことで、座布団に正座はされなかったけれど、噺家に定年はありませんということで、80代後半で押しも押されぬ現役、天晴なことだ。
 そのまま夜の部も入れ替えなしで聴くことは出来たが、明日からまた新しい一週間ということで、後ろ髪をひかれながら寄席を後にした。
 
 よく遊び、よく笑った週末が終わった。明日から再び日常が始まる。
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2015.7.10 あまりにも高い代償

2015-07-10 21:17:29 | 日記
 新幹線での焼身自殺や自宅放火など、火にまつわるショックな事件が続く。
 単身赴任中で毎週末に帰宅していた夫が、自宅にガソリンをまいて放火し、寝ていた子供たち4人が焼け死んでしまった。

 なぜ、そんなことを・・・と思うが、あっという間に猛火に飲まれた4人の子供たちはもう決して帰ってはこない。
 真実はわからないけれど、報道によれば、妻が見送りに出てくれなかった、かまってほしかったというのが、その夫の弁。数年来の単身赴任でストレスも溜まっていたのだろうが、40歳はもはや“不惑”の歳ではなくなっているのだとつくづく思う。

 それにしても、少子高齢時代の今の世の中で、18歳を筆頭に15歳、14歳、12歳、9歳、7歳、 5歳、3歳の8人兄弟。10人家族だったというから驚いた。更には、近所でも評判の仲の良いご家族だったということも。そのうちの14歳、9歳、7歳、5歳の女の子2人、男の子2人が亡くなってしまった。あろうことか、寝ているところに他でもないお父さんが放った火で。
 逃げ遅れるも何も、まさか火が放たれるなんて想定外で、一体何があったのか分からないうちに息絶えてしまったのだろうか。子どもたちにとって一番安全である筈の自宅の寝室で・・・。
 やるせない。

 妻は42歳だという。40代初め、まだまだ若いといっても24歳から39歳までの間、8人の子どもをほぼ2年おきに出産し、身体が休まる暇もなかっただろう。しかも、夫は単身赴任。一人で8人の面倒を見ていれば、それはもう目が回るほどの忙しさだったのではないか。食べ盛りの子どもたちの食事の準備だって半端な量ではないし、洗濯だってしかり。一日中家事に明け暮れたとしても、軟弱な私にはとてもこなす自信がない。
 協力してくれる祖父母と同居しているわけでなし、頼みの夫が単身赴任。毎週末に帰宅するとはいえ、ウィークデーは不在なのだから、夫からの家事の協力は基本なし。大変さはなおさらだ。両手両足を使ったってとても間に合わない。
 もちろん、上のお兄ちゃんお姉ちゃんの協力がなくては日々が回らなかったのだろうけれど。手伝ってもらいたい、自分だってケアしてもらいたい、と言いたかったのは妻のほうではなかったか。

 カッとして火をつけた・・・それが自宅全焼と4人の子どもの焼死という顛末である。
 ここまで育ててきて、本当に大変なことも多かっただろうけれど、いろいろ楽しませてくれ、喜びや希望、活力を与えてくれたに違いない何物にも替えがたい4つの命を奪ってしまった父。これからこの家族はどうなっていくのだろう。
 その代償はあまりに大きい。

 奇しくも押川剛さんの「『子どもを殺してください』という親たち」(新潮文庫)を読み終え、なんだか複雑な気分になってしまった。

 さて、7月に入ってからの東京の日照時間は僅か30分にも満たなかったと聞き、びっくり。2006年以来、9年ぶりだそうだ。今日はようやくお日様を見ることが出来た。明日明後日の週末も久しぶりに良いお天気で、気温があがるという。良い週末でありますように。
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2015.7.9 テレビのない生活

2015-07-09 20:59:51 | 日記
 昨朝のこと。先日も書いたけれど、最近やけに早起きな夫が、目覚ましが鳴ってからまだグズグズとベッドにいた私のところに「テレビ壊れちゃったよ~」とやってきた。
 「は?なんで?」。
 「いや、なんで、って、いきなりブチっと言って、急に真っ暗になった。ほらね」と言ってリモコンを向けてスイッチを入れても真っ暗なままの画面を見せる。
 「昨夜はまったくなんでもなかったのにね?」「いや、電気製品なんてそんなものだよ。買って間もないものでもあるまいし」とのたまう。

 故障したのはリビングにある我が家で一番大きなサイズの、薄型デジタルテレビである。購入してからかれこれ7、8年が経過するだろうか。届いてすぐの頃は、まだ小学生だった息子が、当時大好きだったNHKの「ダーウィンが来た!」という番組を視ながら、目を丸くして「大きいね~、リアルだね~、綺麗だね~」と言うのに合わせて私達も悦んだけれど、今やすっかり当たり前の慣れっこ。うーん、あと1サイズ上でも良かったよね、と思うようになっていた。

 先代の29インチブラウン管のテレビは22年前、今の街に引っ越してきた時に買い求めたものだ。それまでは夫と私が朝の出掛けにコートを着る時、手を伸ばすとぶつかるほど小さな団地住まいで、14インチの小さなテレビで十分間に合っていた。先代はずっとトラブルなく順調で、一度だけ修理したことがあったけれど、ブラウン管は問題なし、ということで今のテレビを買い換えたときも現役で、まったく問題なく15年を過ごしてきた。

 それが今度は10年も経たずして突然、である。
 まあ、テレビを視るといっても日中は不在だし、リアルタイムで視聴するのは朝のニュースと連続テレビ小説、夜のニュース。それ以外は、夫が野球中継とお宝鑑定団を見るくらい。私は、といえば時々ドラマや映画を録画予約するだけなのだけれど、いざ、リビングで時計代わりに見ていたものが映らないとなんとも不便だ。
 寝室に一回り小さなものを置いているが、これはこれで、私の土曜日の楽しみである朝の連続テレビ小説用なので、これをリビングに、というわけにもいかない。
 応急処置で、義母が来訪する際に布団を敷いていたリビング隣の和室(今や物置状態)に置きっぱなしだった小さなテレビ-これは5年ほど前に義母専用に買ったもの-を、襖を開けっ放しにして隣室から離れて視ることにしたのだが、これはこれでストレスである。

 修理を頼まなくてはならないが、あいにく今週末には外せない用事があって出かけるので、修理に来て頂けるのはいつになることやら・・・だ。
 まあ、なければないで済んでしまうのかしら、また読書に励もうかしら、と思いながらHDDもまるごとダメだったら、録画して溜めていたもの、保存しておきたかったもの、全部が飛んでしまったのかなあ・・・とちょっと哀しいのである。

 ここのところ雨続きで青空が恋しい。こんな天気だと何やら頭痛も胸痛も腰痛も・・・。今日は朝から都心で会議と打ち合わせ、午後職場に戻ってからも会議で、なかなか自席を温めることが出来なかった。あと1日、なんとか乗り切らなくては。
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2015.7.8 ようやく飾ってみたものの・・・

2015-07-08 22:53:04 | 日記
 昨年、遺影の次は3Dという記事にしたのだが、自分の1/10サイズのフィギュアが出来たのは去年の夏も後半のこと。そのまま飾れば埃を被るし、石膏だから誤ってぶつけて壊れても縁起でもないし、ということでずっと買った時のままの紙のボックスに入りっぱなしだった。
 受け取る時、撮影先の写真館から「フィギュアの作成業者が専用のドーム型アクリルケースを開発中です。」と聞いていたので、出来た暁にはご連絡を、とお願いしていた。ところが待てど暮らせど、ウンでもスンでもない。春頃だったか、もしや忘れられているのかもしれないと思い、たまたま近くに寄った時に確認した。しっかり覚えていてくれて「申し訳ないけれどまだですが、必ずご連絡いたします。」ということだった。それでは待ちますので・・・と言っているうちにまたも数ヶ月が経過した。

 先日、前を通りかかったときに、フィギュアがそれらしきケースに入って飾られているのを見かけた。確認すると、専用ケースは相変わらず出来ておらず、写真館で、大きなガラスケースに並べているうちのいくつかを、試験的にそれらしいケースに入れてみたのだという。これはあくまで店員さんがご自分で秋葉原まで行って調達してきたものらしい。他にプリザーブドフラワーを入れるようなガラスのドーム型ケースもあったが、これではいかにも重くて、ということだった。
 というわけで「販売がいつになるかお約束できずに申し訳ありません。」とのこと。待っていても埒が明かないことがわかり、それでは自分で探してみます、と写真館を後にした。

 まあ、延々と指をくわえて待っているより最初からネットで確認すればよかったのだけれど、お願いしてしまった手前、勝手なことも出来なかった。けれど、これでようやく踏ん切りがついた。
 検索すると、既製のフィギュア用ケースは、高さ・幅・奥行きが同じサイズの立方体が殆どで、高さだけ長い直方体は見当たらなかった。私の希望にピッタリのものはなく、結局、アクリルケース専門店にサイズ指定してオーダーする形になった。注文してから1つ1つ生産するということで、待つこと1週間あまり。発送しましたという連絡があってから(福岡のお店だった)2日後に無事到着とあいなった。

 背面は鏡になっているので、後姿も見えるつくりだ。それにしても二次元の写真と違って、立体だとなんだか圧倒的な存在感。人間そのもの、なのである。どこに置こうかと決めるまで、成す術もなくダイニングテーブルに仮り置きしていたのだが、ミニチュアの自分が視界に入ってくると、なんとも落ち着かない限り。
 「そもそもそんなものを作ること自体ナルシストだよな~」と夫には言われたけれど、いえいえ、遺影の代わりですから私だと思って大事にしてよね、と切り返す。

 ということで、ようやく置く場所は決まった。実に撮影しようと決めてからほぼ1年かかってしまった。

 あとは「まったく、新し物好きでこんなものまで作ったけれど、お母さんもこの頃は随分若かったね~」と笑われるほど、このまま生き永らえたいものである。

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