ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.7.19 ヨガリトリート3日目~最高にいいお天気!心に決めれば世界は変わり出す

2015-07-19 23:06:53 | ヨガ
 昨夜は寝付きよく、一度お手洗いに起きた後は、目覚ましの時間より30分ほど前に目が覚める。カーテンを開ければ外は青空。昨日の雨でまた濃さを増したような緑に圧倒される。今日もご機嫌に尻尾を振りながら、白い馬がお食事中。
 台風はもう抜けたのだろうか。新聞もテレビも全く目にしていないが、被害は大丈夫だったのだろうか・・・と思いつつゆっくり動き出し、持ってきた血圧計で測定を終え、浴槽足湯に浸かる。ハーブティを淹れゆっくり蒸らしながら、美しく色が変わっていくのを眺める。至福の朝のひと時である。

 今朝も昨日同様に、自由参加の朝ヨガのお部屋へ。
 リトリートの旅も3日目、折り返しを過ぎた。カラダの硬さを確かめながら、ゆるりゆるりと動かしていく。常温でのヨガであるため、いつものホットな環境と違ってなかなかうまくポーズが取れないけれど、呼吸をなんとか整えていく。終盤、安らぎのポーズを取っている時にSさんが歌ってくれたキールタンは、以前、地元のワークショップでインストラクターのKさんが歌ってくれて、とても素敵だと思っていたもの。サンスクリット語の歌詞の意味はわからなかったのだけれど、今日その意味を聞いて、ああ、そうだったのか・・・ととても感動する。

 朝食。世の中は昨日からが3連休だから、レストランでは私達の一行とは違う宿泊客が数グループ増えている。メニューは昨朝とほぼ同じで、スムージーはヘンプ(麻の実)パウダー入り。スープはパプリカで橙色がとても綺麗だ。
 外は美しい雲が棚引き、青空が天高く広がり、何とも言えない開放感。ただただ、ひたすら気持ち良い。今朝もまた新しいLINE仲間が増える。便利な世の中になったものだ。
 朝食後の食休みはライブラリーで薦められた1冊、鈴木真奈美さんの「『私に生まれてきてよかった』と心から思える本」(KADOKAWAディアファクトリー)をハーブティ片手に一気読み。

 午前中の講義は「こころを幸せにしておく知恵」。メインの活動場所になっているセッションルームへ。どんな時に自分が幸せでいられるのか、これまでの人生で楽しかった思い出を時代ごとに区切って思い出しながら瞑想。ペアワークで相手にその話を伝え、一番いい顔をしていた時を教えてもらう。本当に自分が求めているものをはっきりさせるためにとても必要なことであり、いつでもトライ出来るものだという。終わった時には皆が生き生きと幸せそうで、部屋全体が優しい雰囲気に包まれている。

 昼食は去年も供されたベジミートカレー・焼き野菜添え、オニオンスープ、穀物コーヒーゼリー。マクロビのデトックス食に身体が慣れ、今日はあまり空腹になっていないなと言いつつ、その美味しさに惹かれてしっかり完食。

 夕方の講義迄のフリータイム。昨日は頭痛の為、部屋で読書と休息だけだったけれど、はて、今日はどうしようと思っていたところ、島のリトリート以来1年半ぶりに再会した、リーディングのセミナーを勉強しておられる方から、いかがですかとのお誘いを受け、30分ほど(何の?)話を聞いて頂く。程よい距離感が良いのか、驚くほど自分のことを伝えられる。
 その後は、昨年ご一緒したお二人に誘われ、一緒にカートに乗せて頂いて園内を散策。ヴィラ棟を回り、ヨガデッキまで行って小休憩。直接肌に風を感じながら走るのが気持ち良い。可愛らしいカートの中でも紫外線をかなり強く感じ、山の夏を想う。
 そんなわけであっという間に時間は過ぎ、持ってきた本は読みかけになってしまった。けれど、今回もまた新しい出逢いに恵まれたと思う。こうして素直に流れに身を任せ、普段なかなかできない行動をとること、これぞリトリートの醍醐味なのだと思う。

 夕方の講義は「現実を変える」。ここでは、今までお話したことのない方とペアワークを行う。人生で悲しかったことを、お互いに話す人、聴く人になる。普通は打ち解けないと話せない内容を、知らない人に一気に話してみる、というのが目的。
 嘘のないことを話すことで相手との距離が一気に縮まり、その人のことが好きになるという体験をする。その後、自分で変えたくても変えられない感情を変える瞑想のやり方、叶っていないことを叶える瞑想のやり方を学ぶ。
 どんな自分になりたいのかというイメージを持ちながら瞑想すると、驚いたことに、今まで願ってはいけないことだと封印していたことが心に浮かび、それが実現して喜んでいる自分が想像出来てとても驚く。
 その後でインストラクターのSさんから、これからはその(実現して喜んでいる)自分なら使わないだろう言葉は使わず(言葉を変える)、その自分ならするだろうと思う行動をまず一つ決めてみましょう(体の動かし方を変える)という宿題が出た。具体的には書けないけれど、こういうことがあったということを書いていること自体が今回の私の小さな行動である。

 最後の夕食は和風ベジ懐石。発酵食品を取り入れた腸内環境改善コースである。これまであまりお話していない方とあえて一緒に、それぞれがテーブルを変えての夕食だ。外は夕焼けが美しい、と言っているうちにあっという間に真っ暗になる。星空が見えるかもしれない、とそのまま見晴らしの森・ヨガデッキへマイクロバスで移動。
 今夜も無数のキャンドルライトが灯される中、皆でヨガの知恵について話をし、心を洗うキールタンを気持ちよく歌った。突然、冷たい風が吹いてきたと感じるといきなり土砂降りの雨が降り出した。山のお天気は本当に変わりやすい。帰りは傘を差して、ぬかるみの足元が悪い中、またマイクロバスに乗って部屋まで戻ってきた。

 いよいよ明日は最終日。明日の朝ヨガはよく眠れて疲れがとれた筈ということで自由参加ではなく、全員で最後のヨガだ。



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2015.7.18 ヨガリトリート2日目~心穏やかで幸せな土曜日、初個人セッションとキャンドルライトに感激!

2015-07-18 22:57:31 | ヨガ
 昨夜は記事を書き終え、大浴場でゆっくり手足を伸ばしてから見直して、と思いながら、そのまま眠気に勝てず、寝落ちしてしまった。
 今朝は集合1時間前に目覚ましをかけたが、またしてもそれより早く目覚めてしまい、慌てて昨日のブログ記事更新を終えてから、ゆるゆると支度。
 恒例の浴槽足湯でじんわり汗をかき、朝の目覚めにベランダで美味しいハーブティを頂く。外は曇り空だけれど、すっかり明るい。風が強いが、小鳥たちは朝から賑やか、白い馬が黙々と牧草を食んでいる。穏やかで心地よい朝だ。
 集合10分前に、昨年は畳敷きだったと記憶していたリフレッシュルームへ行く。既に早起きさんたちがヨガマットを敷いてスタンバイ中。朝ヨガは自由参加ということで小さいお部屋になったようだけれど、見ればほぼ全員+α(オーナー登場、他の参加者が全員女性なので目立つこと。)の出席で、お部屋から溢れて廊下にまで。

 定刻に朝ヨガスタート。眼の前は見渡す限り深緑の山々。風の音が凄い。まだ十分に目覚めていない身体を感じながら、ゆっくりと身体を緩めていく。土曜の早朝、こんな穏やかな心地よい時間が過ごせること、なんて贅沢なのだろう。改めてここに来させてくれた全てのことへの感謝の気持ちが溢れてくる。開始前、いつもの頭痛があったが、深い呼吸をしながら調整していく。
 呼吸を整え、長めの安らぎのポーズをとり、最後は静かに瞑想してクラス終了。もうお腹ペコペコ!である。
 ヨガマットだけ部屋に置き、そのままレストランに向かって朝食。起床から既に3時間近く、昨夜の夕食からは12時間が経過している。リンゴ、バナナ、モロヘイヤのスムージーにジャガイモのスープ、季節の果物のシンプルなもの。素材の一つ一つの味が体中に染み渡って身体が喜んでいるのが分かる。こういう食事をしていると血液が綺麗になりそう、とご一緒した方たちとお話し合い、新しくお二人とLINEで繋がる。
 朝食休憩の後は、2時間の講義。昨日のおさらいからスタートして、今日のテーマは「なぜ毒が溜まるのか」。心と身体に毒(ストレスや疲れ)が溜まる原因とその解決方法を学びながら、実践的に瞑想を練習する。心を疲れさせる考え方の癖をうまく解放していくのが目標だ。13分の瞑想が終わった後は、うとうととしてとても心地よい。

 そして、昼食。朝が軽かったので、毎度のごとくお腹ペコペコの欠食おばさんである。豆腐や野菜たっぷりのサンドイッチ、ミネストローネ、フルーツや穀物コーヒーがお洒落に並ぶ。食事は島でご一緒したIさんや、今回初めましてのお二人と。皆、お一人様参加だ。しぶとく頭痛が取れないので、いつもの朝の1錠に追加してまたロキソニンのお世話になる。
 昼食後は夕方の講義まで3時間のフリータイム。この施設で飼育されている馬に乗る乗馬体験、エステ等がオプションで用意されている。今回は、前回と前々回のリトリートでは人数が多く抽選となったインストラクターSさんによる個人セッションも、全員受けられることになった。私はトップバッター。なんと幸先が良いこと。
 僅か10分という短い時間で、リーディングして頂きたいことを伝えたが、思いもよらない沢山の癒しを頂き、首から上が不思議なくらい軽くなった。

 部屋に戻り、無理せずのんびりまったりとハーブティを片手に読書に励む。いつのまにかうとうと。どうしてこんなに眠いのだろうと思う。ライブラリーで気になっていた絵本を見つけ、続けざまに5冊ほど読んで、フリータイムは終了。
 夕方のクラスは「毒を解放する」をテーマに、セッションルームで3回目の講義。心の癖を解放するためのヨガのアーサナ(ポーズ)、呼吸法をそれぞれマットの上で実践する。インストラクターの誘導があると不思議なくらい身体が動くものだ、と毎度のことながら感心する。あっという間に2時間が経過し、夕食の時間に。
 今日は洋風Vegeフルコース。スーパーフードを意識したというメニューで、野菜や果物の優しい甘みに身体も心も大喜び。お昼のメンバーと美味しく頂く。あまりに話に花が咲き過ぎて、1時間半目一杯かけての夕食になった。そのため、気づけば次のプログラム集合時間の5分前になって、デザートだけお腹に収め、ハーブティは頂けず仕舞い。皆大急ぎで部屋にヨガマットを取りに戻った。

 夕食休憩の後、昨日「動く瞑想」をした見晴らしの森のヨガデッキまで、マイクロバス2台で移動する。外は真っ暗だ。小雨が降っており、残念ながら星空の夜は愉しめなかった。真っ暗な筈のヨガデッキに入ると、去年と同じ、ペットボトルを再利用した手作りキャンドルで床一面がライトアップされている。こんな素敵なサプライズの中で、2回目のサットサング。歌詞カードも見えないくらいの暗さだったので、昨夜初めて習ったキールタンは次回明るい場所で、とこれ迄慣れ親しんだ曲を、体を揺らしながら気持ちよく歌う。
  
 長い一日だった。前回もそうだったけれど、朝から夜まで充実しているので、朝のヨガがもう昨日のことのようにも感じる。
 明日は3日目、昨年はもう帰る日・・・だったのに、今回はまだあと1日この場にいられるのだ。そう思うと知らない間にニヤニヤしている。早めに眠り、明朝も朝ヨガからのスタートに備えたいと思う。

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2015.7.17ヨガリトリート第三弾参加初日~1年を経て、再び天空の庭へ!

2015-07-18 06:11:08 | ヨガ
 昨年2月、心も身体も解き放たれて・・・と、命の洗濯をした初めてのヨガリトリートの旅。その素晴らしさに魅了され、半年経たずして7月には舞台を、海に囲まれた南の島から、山々に囲まれた大草原に移した第二弾に参加した。
 あれから早くも1年が経過した。振り返れば、治療の変更や退職・再就職等色々なことがあったけれど、とにかくこうしてあっという間にまた1年。日々に追われるごく通常の毎日が戻ってきている。
 
 今回は1日長い初めての3泊4日。3連休に休暇を1日追加すれば・・・ということで、ワクワクしながら今日を待っていた。お留守番してくれる夫には、1人で3泊家を空けるのは久しぶりだね、と言って送り出してもらえ、感謝である。

 今回のリトリートは事前PRが殆どなく、ヨガスタジオに貼られたポスターを見て、ネットで即予約した。「あなたの運命を変える3泊4日奇跡のリトリート」という新しいプログラムだ。「史上“最幸”のプログラムが誕生!!どんなときでも幸せに生きるコツを学ぶ4日間」という触れこみ。4日間朝昼夜と、ずーっとヨガだと体力的にちょっときついかもと心配したのだが、内容を見ればヨガ三昧というよりも座学や瞑想がメイン。実際に体を動かすのは朝のアーサナ(ポーズ)と夜のサットサングという緩い感じが、もう私にぴったりだわ!と愉しみにやってきた。

 都心の集合場所には昨年より1時間早い集合がかかり、ちょうど朝の通勤ラッシュ真っ只中。夫に頼んでいつもより早く一緒に出かけてもらい、荷物も任せ、有難いことだった。こんな天気だし、遅刻したら大変と早め早めに動いたところ、小一時間早く到着してしまい、駅前でお茶をして時間調整。
 20分前に到着の一番乗りで、可愛いマイクロバスに乗り込むと、1回目のリトリートの時、島でご一緒した方、昨年2回目にこちらでご一緒した方にばったりお会いして、早速3人で盛り上がる。バスでの参加者が7名に事務局の方と運転手さんの9人様御一行。
 雨は降ったり止んだり、時折酷くなったりと忙しいお天気だったが、全く渋滞もなく、予定より1時間以上早く、昼前に「天空の庭」という名の宿泊施設に到着。早速確認するも携帯の電波はもう届かない。いよいよリトリート開始である。

 まずは「またやってきました」とご挨拶をしてチェックインを済ませ、途中のサービスエリアで買ったお昼を3人で頂く。インストラクターのSさんに“1年ぶり”のご挨拶も出来、部屋に戻って荷物を片づけてから備え付けの美肌ハーブティでほっと一服。ウエアに着替えたらセッションルームに集合してオープニングのオリエンテーション。
 インストラクターSさんのファンで、目的はSさんにまたお目にかかりたくて、という方が多い。参加者は、後から到着された方を合わせて合計14人。もうお一人、島でご一緒した方にもお会いできる。前回の40数名に比べ、とてもこじんまりと贅沢なリトリートだ。

 4人掛けのテーブルに座り、簡単な自己紹介をして今回の参加目的等をお披露目しあう。本来、自分が持っている能力を再認識し、言葉、思考について学ぶのが目的という基礎講義をたっぷり1時間半。
 講義の最後には、参加者全員で輪になって手をつなぎ、互いの手の暖かさを感じ、リトリートスタート宣言である。
 次なるプログラム「動く瞑想」に移動する前に、インストラクターのSさんの瞑想CDと映画のパンフレットにサインして頂く。私のミーハーぶりが初日から炸裂!である。前回ご一緒した時のツーショットの写真を持参するつもりだったのだが、TVに続いてPCの外付けHDDまで故障してしまい、プリントすることが出来なかったのが何とも残念。

 昼過ぎには、前が見えないほど真っ白だった濃い霧が晴れ、雨も止み、マイクロバスに分乗して敷地内でも一番遠方の、見晴らしの森のヨガデッキまで送って頂く。ああ、また戻ってきました、と緑の山々に挨拶。“心地よい”という状態を体験する瞑想的なアーサナクラスでは、ゆったりと動き、体を無理せず緩めていく。最後の安らぎのポーズでは本当にリラックスしてなんともいえないいい気持ち。心が洗われるというキールタン「ハレルヤ」を全員で3回歌うと、言いようもないくらい穏やかな気持ちでスッキリ。
 こんなにリラックスしながら風の音を聞き、雲の流れに目を見張り、小鳥の囀りや木々が揺れる気配に五感を研ぎ澄ませることが最近あっただろうか、とちょっと放心状態。

 お楽しみの食事は、「現代の食生活で蓄積された腸内または体内の老廃物を、4日間9回の食事で排出することを目指し、ご帰宅後の代謝アップ(細胞レベルの活性化、免疫力向上など)につなげられるようマクロビオティックや発酵食を中心とした『オリジナルのリセット食』をご用意しました。」と、前回同様の紹介だったけれど、ビュッフェではなくコース料理。メニュー表も一人ずつ配られ、「つぶつぶアジアンフード」と称して雑穀を取り入れたアジアンテイストのデトックスコースに舌鼓。
 お昼が早かったし、ちょっと量が少な目かな、と思ったけれど、どれもこれもアイディア一杯で野菜の味が濃く、よく噛んでゆっくり頂くと、満足感が全く違う。デザートとハーブティまで全て堪能し、お喋りにも花を咲かせた。実は病気だったなんてすっかり忘れてしまっている。

 短い食休みに明日のオプション予約等の相談にフロントへ。就寝前最後のプログラムはサットサング(真実の集い)。ヨガの知恵に関してQ&Aタイムの後、インドの讃美歌キールタンを歌い、静かでゆっくりとした瞑想を体験した。

 部屋は前回と同じ、ツインルームのシングルユース。さすがに前回と同じ号室ではなかったが、全く同じ造りの広めの客室だ。窓外には、山々へ向かってプライベート・ウッドデッキが設置されている。明日は晴れる予報だそうで、午後のフリータイムにのんびり読書するのが今回も楽しみだ。
 テレビがない(今は自宅でもないに等しいので、殆ど影響はないけれど)から、デジタル・デトックスをするには絶好の環境だ。

 明日、7時からの朝ヨガは自由参加だそうだ。今回のリトリートは身体を休めることも大きな目的の一つなので、きついかなと思ったらゆっくり寝ていてください、とのこと。さて、無事に起きられるだろうか。
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2015.7.16 たとえ私の記憶は失くなっても・・・~アリスのままで~

2015-07-16 20:49:10 | 映画
 ジュリアン・ムーアがアカデミー主演女優賞を獲得した映画「アリスのままで(原題:STILL ALICE)を観た。こういうジャンルの映画には夫は決して付き合わないので、お一人様での鑑賞である。

 途中から、ノンフィクションを見ているような錯覚に陥り、演技とは思えないリアリティをもって眼前に迫ってくる、ムーアの迫真の演技に圧倒された。他の闘病もののように、介護をする家族やケアする人の目線からではなく、徹頭徹尾、どこまでも発病した主人公・アリス本人の目線で映画は進んだ。

 アリスは著名な言語学者であり、3人の子どもに恵まれ(法科大学を卒業して幸せな結婚をした長女と医学院生の長男。大学に行かず演劇を志す次女だけが不安の種だ。)、夫に愛され、いわば地位も名誉も家族も、全て手に入れた女性。その人生の絶頂とも思える50歳の誕生日を迎え、家族揃っての乾杯シーンから映画は始まる。

 大学での講演で突然言葉が出てこない、学内をジョギング中にいきなり迷う・・・そんなトラブルが起こり始め、彼女は夫に内緒で神経科を受診する。検査の結果、若年性アルツハイマー症という診断を受ける。その衝撃。今まで築き上げてきたものが何もかも奪われてしまうという恐怖。
 病は家族性であり、子どもたちにも50%の確率で遺伝し、その場合100%発症する、というショッキングな事実。しかも、高度に知的な人ほどその進行が速いという皮肉。現代の医学では進行を妨げることは出来ない。

 パンフレットの中で、同じ若年性アルツハイマー病をテーマにした「明日の記憶」(渡辺謙さんと樋口可南子さんが夫婦役で2006年に映画化された。)の作者である荻原浩さんが書いておられるが、この病気は遺伝子検査で予測だけは出来るようになったものの、治療面では10年前に比べて殆ど改善していないのだ。

 無情にも病気は進行していく。教鞭を取っていた大学を追われ、自宅で過ごす生活が始まる。その日によって体調のアップダウンはあれど、良くなっていくことは決して、ない。自分が分からなくなった時のために、彼女はあるビデオメッセージを自分に向けて残す。それを見る段階まで病が進行した彼女と、病が分かった頃の画像の中の彼女が同一人物とは思えない。その変貌に胸が苦しくなり、圧倒される。

 同じく研究者である夫は、自分が今迄の人生で出会った最も美しく聡明な女性がアリスだという。誰よりも知的だった愛する妻が自宅のお手洗いの場所すら分からなくなる。どうしてそれを受け入れられるだろうか。
 葛藤の末、彼は妻の介護を放棄して新天地でのキャリアアップを選び、次女が、住み慣れた自宅で母アリスを介護することになる。その夫が「君は僕よりもいい人間だ」と涙ながらに次女を抱きしめて家を出るシーンが切ない。けれど、愛する妻の変貌をどうしても受け容れることが出来なかった夫をどうして責められようか、とも思う。

 映画に込められた、自分自身が自分の記憶を失くしても、周りの人たちが私のことを覚えている限り、私はずっと生き続け、決してその生きた証がなくなることはないのだというメッセージ。
 人はたとえどんな姿になろうと、今ここにいる瞬間(here and now)を精一杯生きている限り、役割はあり、その人の記憶はその人が愛した人たちに息づいているのだということか。

 それにしても、やはり切ない。
 監督のリチャード・グラッツアーは4年にわたるALS闘病生活の末、今年の3月、63歳の若さで亡くなったという。若年性アルツハイマー病とALSとは違う病ではあるけれど、自分の意思で動くことが出来なくなるという恐怖は同じだろう。

 がんなら良かった、とヒロインが呟いた時は心がチクリと痛んだ。アリスが呟いた「がんだったら良かった、ピンクリボンをしていれば、恥ずかしくない」という台詞は、私に辛く複雑な思いを抱かせる。確かにがんはこの10年で飛躍的に治療薬の選択肢が増えているのだけれど・・・。

 それはともかく、自分が自分でいられる限り、今ここにある日々を精一杯生きなければいけないのだ、と思わされた2時間弱だった。
 重い映画なので、是非楽しんで!というご紹介はとても出来ないが、家族についても自分自身についても、静かに見つめ直すことが出来る1本なのではないだろうか。

 台風11号の影響で朝から土砂降りの雨と風。レインコートと長靴の重装備で出かけたが、雨は止んでも風は残り、ものすごい湿気。サウナにいるようで消耗が激しい。
 職場では幹部異動があり、定例の会議がありで終始ドタバタ。あっという間に7月も後半だ。

 さて、昨日、これ以上酷くなりませんように、と書いた手足の痺れと痛みのこと。長靴の圧迫が良くなかったのか、足の裏が一面真っ赤で発熱している。チリチリビリビリと痛む。こんなに突然悪化するとは思わず、見込みが甘かった。カドサイラ(T-DM1)はゼローダのような飲み薬でもないし、自分では如何とも調整しがたいトホホな事態である。




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2015.7.15 ウエスト“きゅっ”はもう古い?

2015-07-15 20:07:00 | 日記
 私が就職した時(既に30年前の大昔になってしまったが)、スーツ姿の男性の隣に立った時に不釣合いでない装いで、というのが仕事をする上でのドレスコードだったように思う。だから、職場にジーンズなど穿いて行くのはもってのほかで、当時のオフィスでは、女性のパンツスーツ姿も今ほど市民権を得ていなかったと記憶している。

 クールビズがすっかり広まり、今や随分長くなったように感じるいわゆる“夏”の期間は、男性のノーネクタイ・ノージャケットが当たり前になってきた。そして、女性もかつてのようなキッチリした装いではなくなった。それでも、なんだか下着姿にも見える軽装は、女性同士でも目のやり場に困ったりするのだけれど・・・。
 まあ男性に伍して長時間勤務をするとなると、肩パッドが入ったキッチリスーツでずっと頑張っているのはいかにも疲れるし、ちょっと柔らかい服装でも、きちんとしてさえいればそれはそれで問題ない。今の職場では、ジャケットを身に着けると逆に目立ってしまうこともあり、普段は随分ラフな格好で仕事をするようになった。とはいえ、さすがにジーンズでの出勤はいまだしたことがないし、これからもすることはないだろう。

 さて、私が若い頃は(と言うと、もうすっかり老人の繰言のようだけれど)、ウエストゴムのスカートやパンツはお洒落な若い人たちにはご法度だったと思う。ちょっとばかり苦しくてもウエストマークをして、ウエスト“きゅっ”を頑張っていた。
 かく言う私は昔から胸が貧弱だったから、そのままストンとウエストまで寸胴だといかにも・・・、ということで、ベルトをしたりウエストを絞ったり、それなりに涙ぐましい努力をしていた。確かにウエストが絞られていないアッパッパのワンピースは楽ちんだし、涼しい。家でくつろぎ着にするにはもってこいだ。
 一方、お友達とケーキバイキングに繰り出す時には、ワンピースやウエスト緩めのスカートを選んだりした。それでも現場でウエストがきつくなればご馳走様、ではなく一番上のホックを外してまで食べた(!)という、今思い出せば赤面・・・の武勇伝があったりする。けれど、日常的には「若いうちからウエストは甘やかしたらダメ」と思ってきた。

 ところが、最近ショップでボトムを見ると、私たちおばさんではなく、若い娘さんが身に着けるであろうスカートやパンツに、やけにウエストゴムの品物が多いことに気づいた。
 勤務する大学の女子学生にもそんなスタイルが目に付く。まあ楽なのだろうけれど、今から楽ばかり追求していてそれでいいのかしらんと思う。そのことを都心通勤している夫に言ってみたら、言われてみれば確かにウエストゴムのスカートが目立つね~と言う。

 まあ、ウエスト“きゅっ”よりも中身が大事で、そんなことに構っているより私たちにはもっと磨く所がありますから!と言われてしまえば、こちらにはもう返す言葉はないし、余計なお世話以外の何物でもないのだろうけれど。

 イマドキの草食系男子は、女子のウエスト“きゅっ”についてどう思っているのだろう・・・と考えながら、猛暑の日はウエストを絞ってアセモを作るよりも、ウエスト楽々でゆるゆると過ごすのが一番かな~と思うのである。

 最近の体調のことを少し。カドサイラ(T-DM1)の副作用である手足の痺れ、痛みがここ数日で気になるようになってきた。全ての指先が赤くなり、皮膚が敏感に薄くなっている。パソコンのキーを打ったり、スマホの画面を触ったり、指を曲げる都度チリチリと痛み、ちょっと憂鬱だ。足指も同様にピリピリ・チリチリしているのだが、やはり手先の方が敏感で、気になる。涙目も相変わらず。うーん、これ以上悪化しないと良いのだけれど・・・。
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