ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.7.2 生きる勇気はどこから

2015-07-02 23:33:40 | 日記
 朝日新聞の編集委員・稲垣えみ子さんのコラム記事に胸を揺すぶられ、唸った。以下に全文を転載させて頂く。

※    ※    ※(転載開始)

(ザ・コラム)親の老い 生きる勇気がそこにある 稲垣えみ子(2015年7月2日05時00分)

 毎週末、両親の家へ通う暮らしを始めて1年あまりになる。
 突然の母の変調が始まりだった。夫婦ででかけた旅行で貸自転車に乗り転倒。痛みとショックでみるみるやせた。気力も失せ、記憶は乱れ、一日中横になっている。
 自分の親だけはいつまでも元気と決めてかかっていた。一体なぜこんなことに……答えの出ぬ問いが頭をぐるぐる巡る。
 心に突き刺さったのは、気丈な母から思いがけず噴き出した孤独への不安だった。
 回復したら、社交的な父が再び外出がちになると恐れた。「ひとりでやっていく自信がない」と繰り返し訴え、涙を流した。
 28年前に就職した私は四国の支局へ赴任。心細くて母とよく長電話した。夏休みと正月は飛んで帰った。だが新生活に慣れると電話はとだえ、忙しいからと帰省も正月の数日だけになった。その正月を母は本当に楽しみにしていた。毎年同じおせちを何日もかけてこしらえ、私の顔を見ると必ず「今年は失敗した」とこぼし、「おいしいよ」と言うとうれしそうに笑った。
 笑顔の向こうにあった寂しさを思う。
 高度成長期を駆け抜けた両親。父は会社に生きがいを求め連日の残業で帰宅は常に夜中だった。母は子育て一筋。勉強に手抜きは許さず優しくも厳しい人であった。
 そして子は独立、父も定年に。その後の2人に共通の話題はどれだけあったろう。
 都会へ出て懸命に働き、日本の経済成長を支えた世代がいっせいに老いている。急増する高齢者のうち夫婦または単身世帯の割合も年々増え、ついに5割を超えた。
 支える金も人も足りぬと大騒ぎの昨今。しかし、彼らの抱える孤独にもっと目を向けるべきではなかろうか。
 そう思ったのは、静岡市で認知症予防のデイサービスを営む増田末知子さんのことを知ったからだ。増田さんは、急増する認知症を「寂しい病」と呼ぶのである。
 病院の総婦長をしていた20年前、交通事故の治療を終えた認知症患者の引き取りを拒否されたことを機に、妄想や徘徊(はいかい)を繰り返す高齢者と寝起きを共にして機能回復訓練に取り組んだ。そのとき出会った80代の女性に「胸の中をピューピュー風が吹いている」と言われ、ハッとした。
 老いればできないことが増え、「自分は用のない人間」と生きる気力をなくしがちだ。急な時代の変化、疎遠な家族関係も拍車をかける。うずくまった頭と心は次第に働きを止めていくのではないか。
 以来「優しさを伝えること」に心を砕く。共にすごし、話し、聞く。触れる。ほめる。感謝する。すると塞いで表情を失った人も満面の笑みを浮かべる瞬間がくる。「人は自分に目を向けてもらったと感じたとき、生きる力を取り戻すんです」
 私は優しくなれるだろうか。
 愛媛県西条市職員の近藤誠さんの講演にも教えられた。亡き父がボケの不安と悲しみに一人死にものぐるいで闘っていたことを残されたノートで知り、老いの孤独を伝えたいと全国を回る。「大事なのは本人を認め、ともに歩んでいくこと」「私は自分の都合ばかりでした。自分を認めさせようとして、本人を追い詰めていた」
 自分を認めさせようとする――それは私だ。競争社会では、そうしなければ負けてしまう。役に立つ相手は認めても、そうでなければ切り捨てて生きている。
 気づけば私も孤独である。孤独が孤独を呼び、ツケとなり返ってきたのか。
 母は幸い、少しずつ元気を取り戻している。父が外出を減らす決断をしたことにホッとしたのだろう。外出や料理もできるようになったのは父の優しさの力だ。
 だが時は止められない。手が震える。息苦しい。後ろ向きな嘆きの絶えぬ母にイライラする優しくない私がいる。
 悩みつつ再び実家へ向かうと母が迎えてくれた。体調が悪いといつもの愚痴。それでも私の料理が楽しみだと何度も言い、ムリして食べようとする。
 私を元気づけようとしているのだ。
 優しいのは母なのである。人は老いても、できないことが多くなっても、誰かを励ますことができる。そう思うと生きる勇気がわいてくる。親の教えは永遠である。(編集委員)

(転載終了)※    ※    ※

 しみじみ、自分は優しくないなあ、とため息をつく。日々の自分の生活に精一杯なのをいいことにして。このまま治療が奏功して長期にわたる延命が叶い、順番どおり、父を見送り、母を見送り、ということが出来るかどうかもわからないことを言い訳にして。
 私を当てにしないで、2人で出来るだけ頑張ってくれと言い放っている一人娘の私。それは両親も承知の上だ。あなたに迷惑はかけないように頑張るから大丈夫と言ってくれている。それでも本心は、さぞかし心細くて切ないだろうな、と思う。頑張るなんて、実際に今以上の介護が必要になったらそんな精神論だけでは乗り切れるわけがない。

 けれど、出来もしないだろう約束は出来ない、カラ手形は切れないという思いが先にたつ。実際のところ、本当に出来るのか出来ないのか、その場に立たされたら私は一体どうするつもりなのだろう。
 稲垣さんが冒頭で書かれているとおり、自分の親だけは大丈夫、などということは、決してない。頭ではそれを理解しているつもりだ。けれど、それと同時にどこかでそうあってほしいと願っている自分が間違いなく、いる。もちろん、最近の父の足腰の衰えを目の当たりにすると、そうでなくなる日は刻一刻と近づいているのだけれど。

 先日読んだ下重暁子さんの「家族という病」で、彼女のお母様や叔母様が、あなたに迷惑をかけないように、と最期に自分を頼ってくれなくて寂しかったということを書いておられた。私も早晩そうなるのかもしれない。そして、話をしたかった、聞いておけば良かったと思う時に、それが最早叶わないこととなり、実は両親のことについて何も知らなかったということに気づき、後悔するのかもしれない。小池真理子さんが「沈黙のひと」にも書かれていたように。だからこそ、今ならまだ間に合う、のかもしれない。

 生きる勇気は、自分が誰かに必要とされていること、誰かを励ますことが出来るということ、が分かれば湧いてくる、と稲垣さんはおっしゃる。
 たとえ病気を抱え、または老いて自分で出来ることが少なくなっても、どんな形であろうと、どんなに孤独であろうと、生きていれば必ずや誰かを励ますことは出来る。それはそうなのだ・・・。

 コラムのラスト一行から堂々巡りに考え込んでしまう夜である。

コメント
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